金曜レビュー[ドラマのこころ] 終わりに見た街(山田太一脚本・1982) | こころの臨床

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心理学は、学問的な支えも実践的身構えも、いずれも十全と言うにはほど遠い状況です。心理学の性格と限界を心に留めつつ、日本人が積み重ねてきた知恵を、新しい時代に活かせるよう皆さまとともに考えていきます。

映画レビューの曜日ですが、本日は、1話完結のこちらのドラマをご紹介します。

 

 

山田太一さんが、11月29日に亡くなられたことが、大きく報道されています。

様々な名作を手掛けられたのですが、わたくしがずっと(いわゆるトラウマレベルで)映像記憶として焼き付けられていたのが、この作品のラストシーン。

 

その後、21世紀の時代背景に合わせてリメイクされたものは見ていません。

 

Youtubeにラストの細川俊之さんのモノローグからエンディングのクレジット(背景には当時の時事の映像が流れる)までをアップしてくださっていた方がありました。

 

そこに書き込まれたコメントを読んで、本放送当時に、わたくしと同じ衝撃を受けて、その後もこの作品を決して忘れることができなくなった方々が、少なくなかったことがわかりました。

 

あの時代性だからこその社会への訴えかけだった、....のではなく、人間の世紀が続く限り、性懲りも無く繰り返され続ける愚行への、いまここ、そして未来に向けての警鐘なのだと思います。

 

永遠には続かないとわかりながらもそのひとときひとときを大切な人や生き物たちとともに懸命に生きる愛おしい個々の営みが、一瞬で無残に奪われ殲滅させられてしまうかもしれない。

人間の集合的無意識の影(シャドウ)は、愚かしく稚拙であるがゆえに、統制を喪いかねない巨大な暴力装置として、既に実体として危うくもそこに、在るのです。

この時代のこの場所に投げ出されたわたくしたちは、自らが作り出したカタストロフの終末に日々怯えながら、いまを仕方なく生きているですよね、よく考えれば。....怖くなるし、わかっていたからってどうなるわけでもないからって、よく考えようとしないだけで。

 

山田太一さんの追悼として、この作品が再放送されるかもしれません。

でも、ラストを知っているので、もう怖すぎて、わたくしは視聴できそうにありません。

主人公は、懸命に、「いまは何年か」と問い続けます。それは、見ているわたくしたちの代わりに問いかけてくれていたのです。

このラストのシークエンスは、『猿の惑星』の第1作よりも、何倍も衝撃的でした。

 

こちらは、終わりの8分だけですが...

 

山田太一さん、お疲れ様でした。

終生忘れられそうにない素晴らしい作品を残していただき、本当にありがとうございました。

ご冥福をこころよりお祈りいたします。