自分の人生(現状)を変えたいと思うのなら、最終的に「行動を変える」ことがすべてと考えている。
心の問題を扱う心理カウンセリングの最終目的も「行動を変える」ことにある。
カウンセリングでよく言われる「心の変容」は、重要ではあるが行動を変えるための手段のひとつに過ぎない。
では、現状をブレイクスルーするために、いまの自分の行動をどのように変えたらよいのか。
それにはまず、「自分はどのような人間であるのか」を的確に理解する必要がある。
つまり「行動を変える」には「自分をとことん知る」ことが前提となる。
「自分を知る」ことの重要性は、「自分の行動をどう変えるか」の基軸となるだけではなく、同時に「人間(他者)理解」という最強の手札を手に入れることにもつながる。
「自分を知る」ということは、自分のポジティブな面だけではなくネガティブな面も含めて知らなければならない。
これと真正面から向き合うのは、なかなか強い苦痛を伴う。
したがって、自分の心のダークサイドに関しては色々なかたちで防衛規制がはたらき、自分のなかに在る悪意や恥(妬み、憎悪、蔑み、劣等コンプレックスなど)との対峙を避けるため無意識にスルーしていることが多い。
一方で人は、自分に対しても他人に対しても、個人の特性(心理的特徴)には一貫性があるという錯覚を抱く傾向がある。
通常は、知っている人の社会的行動における特性を、その人の普段の言動によって判断する。
社交的、無愛想、知性的、生真面目、攻撃的、神経質、寛容、冷淡、お人好し、気弱、誠実etc. といった判断はたいていの場合、他の人が抱いている印象や当人の自己認識ともほぼ一致している。
人が自他に広く「このような人間である」と認識が共有されることは、社会生活を営んでゆくためにはとても有益で欠かせないものだ。この印象をもとに、その人に何を見込めるか、見込めないかについてかなり妥当な予測ができる。
しかし個人の特性について、ほとんどの人が大いなる勘違いをもとに更なる推定をしてしまうのだ。
つまり、「個人の特性は、普段見られない多種多様なあらゆる状況下でも一貫性をもって発揮される」という思い込みである。
この思い込みは当人にも当てはまる。
知性的な人として認識されている人間は、さまざまな状況下にあっても、それほど知性豊かではない人間よりも一貫して知性的かつ冷静に振る舞うだろう‥‥と考えられている。
なにかと攻撃的な言動をとる人として認識されている人間は、どのような状況においても、それほど攻撃的ではない人間よりも一貫して威圧的で攻撃的態度をとるであろう‥‥と考えられている。
ほんとうにそうだろうか。
そうでないことを知るには、分かりやすさという点で事件のニュースがいちばん手っ取り早い。
事件になるくらいだから、そのほとんどが、「個人の 好ましい特性 は多種多様様さまざまな状況のすべてで一貫して見られるか」の反証となる事例ではあるが。
例えば、東京 池袋で車を暴走させ、母子を死亡させた多重衝突事故。
報道機関や警察への批判、加害者、被害者のご家族へのバッシングやデマ等々、様々な言論で錯綜した事件だったが、ここではではなく、「個人の特性の一貫性」に関する考察のみに絞る。
元通商産業省技官であり東京大学工学博士でもあった加害者は、優秀な学者としての多大な功績、行政や国際事業への様々な貢献、叙勲など、自他ともに認める、(いわゆる)社会的に一流の人物としてそれまでの人生を歩んできたと考える。良識のある人格者としても尊敬されてい他のではないか。
そうした高い知性や判断力を身につけている人間が、明らかな証拠が有るにもかかわらず、自らの過失を最後まで否定し無罪を主張し続けた。
事実として有罪となる状況証拠は揃っている。
被害者が知性をはたらかせ合理的に判断すれば、車の不具合に責任転嫁し運転ミスを否定し続けるより、速やかに自らの過失を認め、被害者のご遺族に謝罪する‥‥それが本人にとっての最適解となることは明らかである。しかし、それができなかったのはなぜか、主観で想像を巡らせてみる。
それまでの輝かしい人生によって形成されてきた「自分は決して自らのミスによって人の命を奪うような人間ではない」という信念・思い込み、無意識の傲慢が(90歳に近い高齢であることもそれらを増幅させたかもしれない)、最後の最後まで「私のせいではない」「なんとか回避できるはず」というような妄想的思考にしがみつかせてしまった。
無意識的に、周囲も自らも認識を共有している「好ましい特性」の一貫性を情動的・短絡的に保とうとして逆に一貫性の破綻に到った、のではないか。
というのは私のただの勝手な憶測に過ぎない。
そのほかにも「個人の特性の一貫性」への反証となる事件はいくらでも探すことができる。
(せめて恥ずかしくない程度の)社会的規範意識を求められる政治家や官僚、会社役員、団体理事、教師などが起こした、多種多様の恥ずかしい事件やスキャンダルを観察しても、「ほんのいっときの目先の誘惑に負けて」その後の人生を狂わせてしまったことがわかる。
「善の心」が「悪の心」に負けたのではない。
「合理的思考・判断」が「ほんのいっときの目先の誘惑」に負けたのだ。
犯罪を犯した時点において、彼らは絶対にバレないと思い込んでいたと考える。
自らの心の傾向性や弱点、つまり自分をよく知らなかった。
事件だけではなく、身近でも「個人の特性は、普段見られない多種多様なあらゆる状況下でも一貫性をもって発揮される」とは限らない、という経験をされている人も多いと思う。
自分を知るにはどうしたらよいのか。
以前に他の記事で触れたかもしれないが、人間の脳の働きを「情動的思考と合理的思考」「ホットシステムとクールシステム」「ファスト(速い思考)とスロー(遅い思考)」といったような、異なる過程を経て生まれる2種類の思考「二重過程理論」から考察してみる。(続く)