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すべてはうまくいっている! 光と心の調和

横浜の心理カウンセラー ロキのつぶやきブログ
その人がその人らしく
『生まれてきてよかった!」
と思える人生のために。

自分の人生(現状)を変えたいと思うのなら、最終的に「行動を変える」ことがすべてと考えている。

心の問題を扱う心理カウンセリングの最終目的も「行動を変える」ことにある。

カウンセリングでよく言われる「心の変容」は、重要ではあるが行動を変えるための手段のひとつに過ぎない。

 

では、現状をブレイクスルーするために、いまの自分の行動をどのように変えたらよいのか。

それにはまず、「自分はどのような人間であるのか」を的確に理解する必要がある。

 

つまり「行動を変える」には「自分をとことん知る」ことが前提となる。

 

「自分を知る」ことの重要性は、「自分の行動をどう変えるか」の基軸となるだけではなく、同時に「人間(他者)理解」という最強の手札を手に入れることにもつながる。

 

「自分を知る」ということは、自分のポジティブな面だけではなくネガティブな面も含めて知らなければならない。

これと真正面から向き合うのは、なかなか強い苦痛を伴う。

 

したがって、自分の心のダークサイドに関しては色々なかたちで防衛規制がはたらき、自分のなかに在る悪意や恥(妬み、憎悪、蔑み、劣等コンプレックスなど)との対峙を避けるため無意識にスルーしていることが多い。

 

一方で人は、自分に対しても他人に対しても、個人の特性(心理的特徴)には一貫性があるという錯覚を抱く傾向がある。

 

通常は、知っている人の社会的行動における特性を、その人の普段の言動によって判断する。

社交的、無愛想、知性的、生真面目、攻撃的、神経質、寛容、冷淡、お人好し、気弱、誠実etc. といった判断はたいていの場合、他の人が抱いている印象や当人の自己認識ともほぼ一致している。

 

人が自他に広く「このような人間である」と認識が共有されることは、社会生活を営んでゆくためにはとても有益で欠かせないものだ。この印象をもとに、その人に何を見込めるか、見込めないかについてかなり妥当な予測ができる。  

 

しかし個人の特性について、ほとんどの人が大いなる勘違いをもとに更なる推定をしてしまうのだ。

つまり、「個人の特性は、普段見られない多種多様なあらゆる状況下でも一貫性をもって発揮される」という思い込みである。

この思い込みは当人にも当てはまる。

 

知性的な人として認識されている人間は、さまざまな状況下にあっても、それほど知性豊かではない人間よりも一貫して知性的かつ冷静に振る舞うだろう‥‥と考えられている。

 

なにかと攻撃的な言動をとる人として認識されている人間は、どのような状況においても、それほど攻撃的ではない人間よりも一貫して威圧的で攻撃的態度をとるであろう‥‥と考えられている。

 

ほんとうにそうだろうか。

 

そうでないことを知るには、分かりやすさという点で事件のニュースがいちばん手っ取り早い。

事件になるくらいだから、そのほとんどが、「個人の 好ましい特性 は多種多様様さまざまな状況のすべてで一貫して見られるか」の反証となる事例ではあるが。

 

例えば、東京 池袋で車を暴走させ、母子を死亡させた多重衝突事故。

報道機関や警察への批判、加害者、被害者のご家族へのバッシングやデマ等々、様々な言論で錯綜した事件だったが、ここではではなく、「個人の特性の一貫性」に関する考察のみに絞る。

 

元通商産業省技官であり東京大学工学博士でもあった加害者は、優秀な学者としての多大な功績、行政や国際事業への様々な貢献、叙勲など、自他ともに認める、(いわゆる)社会的に一流の人物としてそれまでの人生を歩んできたと考える。良識のある人格者としても尊敬されてい他のではないか。

そうした高い知性や判断力を身につけている人間が、明らかな証拠が有るにもかかわらず、自らの過失を最後まで否定し無罪を主張し続けた。

 

事実として有罪となる状況証拠は揃っている。

被害者が知性をはたらかせ合理的に判断すれば、車の不具合に責任転嫁し運転ミスを否定し続けるより、速やかに自らの過失を認め、被害者のご遺族に謝罪する‥‥それが本人にとっての最適解となることは明らかである。しかし、それができなかったのはなぜか、主観で想像を巡らせてみる。

 

それまでの輝かしい人生によって形成されてきた「自分は決して自らのミスによって人の命を奪うような人間ではない」という信念・思い込み、無意識の傲慢が(90歳に近い高齢であることもそれらを増幅させたかもしれない)、最後の最後まで「私のせいではない」「なんとか回避できるはず」というような妄想的思考にしがみつかせてしまった。

無意識的に、周囲も自らも認識を共有している「好ましい特性」の一貫性を情動的・短絡的に保とうとして逆に一貫性の破綻に到った、のではないか。

というのは私のただの勝手な憶測に過ぎない。

 

そのほかにも「個人の特性の一貫性」への反証となる事件はいくらでも探すことができる。

(せめて恥ずかしくない程度の)社会的規範意識を求められる政治家や官僚、会社役員、団体理事、教師などが起こした、多種多様の恥ずかしい事件やスキャンダルを観察しても、「ほんのいっときの目先の誘惑に負けて」その後の人生を狂わせてしまったことがわかる。

 

「善の心」が「悪の心」に負けたのではない。

「合理的思考・判断」が「ほんのいっときの目先の誘惑」に負けたのだ。

犯罪を犯した時点において、彼らは絶対にバレないと思い込んでいたと考える。

 

自らの心の傾向性や弱点、つまり自分をよく知らなかった

 

事件だけではなく、身近でも「個人の特性は、普段見られない多種多様なあらゆる状況下でも一貫性をもって発揮される」とは限らない、という経験をされている人も多いと思う。

 

自分を知るにはどうしたらよいのか。

 

以前に他の記事で触れたかもしれないが、人間の脳の働きを「情動的思考と合理的思考」「ホットシステムとクールシステム」「ファスト(速い思考)とスロー(遅い思考)」といったような、異なる過程を経て生まれる2種類の思考「二重過程理論」から考察してみる。(続く)

覚え書き

 

2019年末に中国武漢市から報告された原因不明の肺炎は、新たなコロナウイルスが原因であることが判明し、感染者は瞬く間に世界各国に拡大した。WHOは2020年3月11日「パンデミック」宣言をした。その時点では、まさか2年以上を経ても終息に至らないなど、極々少数の専門家を除いて誰も予測できかったのではないだろうか。

 

人類文明を相手にこれほどの死者を出し、あらゆる分野に影響を及ぼし続けている未曾有の現象が、人間の知性によってどう総括され歴史の一過程になってゆくのかは、まだまだずっと先の話だろう。

宇宙的?視座からいえば、人類全体を被験者とする凡ゆる学問領域を包括する地球規模での壮大なる実験‥という見方も成り立つ。

 

今の時点でこんなことを書くと、死者に対する冒涜!不謹慎!と捉える方々からのお叱りを受けるのは当然だと思うが、不快な方は「この愚か者が」と冷笑しながらブログを閉じ無視してほしい。

 

このような状況下で、パンデミック宣言のころからコロナ禍にまつわる諸々の情報は無限増殖している。だれもが発信できるネット時代、どれが事実でどれが偽だかの玉石混淆。ひとりの人間の受容量はもちろん、各方面の専門集団であってもキャパを遥かに超えるトラフィックは、今の状況下で的確に処理するのは到底不可能だろう。

それでも人々はあらゆる立場を超えて、ほんとうに協力的に真面目に精いっぱい、その人なりの感染防止対策に取り組んできたと思う。

 

そこで本題。

そろそろ始まっているようだが、感染拡大につれて世界各地(国内限定でも良いが)で発信拡散された数々のデマ情報についての調査研究。

荒唐無稽なデマから専門家の発するまことしやかな似非理論まで、ひじょうに興味のある分野。

 

これまでで読むことのできた「デマ」に関する社会心理学からのアプローチとしては、米国の心理学者G.W.オルポート&L.J.ポストマンの『デマの心理学』だけ。

もはや古典といえる「デマの公式」であるけれど、いかせん時代が古く、ネット社会という重要なファクターが抜けている。

 

『デマの公式』

流言(rumor)の流布量(R)は、その内容の重要度(i:importance)と 内容のあいまいさ(a:ambiguity)の積に比例するという法則(R~i×a)

 

   R     ~   i  ×  a 

流言量   重要性   曖昧さ

 

上記の公式自体が、論拠に値するほどの実験内容やデータによって導き出されたものではなように思えるので、当たらずといえども遠からず的な感じで理解している。というか、十年以上前に読んで、そのときの読書メモに「実験の質?データ不足」「受け手の不安感情が脚色という定説」とか書いてあったので、あらためて読み返す気にならなかった。他にAmazonで見たら日本語で読めるものでは「デマの心理学 怖い群集心理のメカニズム」というのがあるが、目次の感じで食指が動かずに未読。

 

 

コロナ禍に突入したころ、デマというか、不織布マスクの原料が紙だと勘違い、原料不足でトイレットペーパーが品薄!という噂がネットを駆け巡ったのがあった。

これなど、太古時代のオイルショックのデジャヴといった感があるが、もっと深刻な人命に関わるような偽情報については、、最悪のケース命に関わる事態を招く。

すぐに検索でヒットするように、専門機関等による明快な打ち消し情報を発信してほしいが、一般人に浸透するまでえらい時間がかかる。

 

すぐに思いつくのは、マスクの効果について、

当初日本では「健康な人がマスクで感染を予防する効果は低い(無い)が、自分が感染者であった場合、自ら感染を拡散しないための効果は有効」という論調が主流。

 

「未知なる敵だ!とりま、やれることは何でもやろうよ!」的というか、マスクに馴染みのある日本では早い段階でマスク着用がデフォになった。「もし自分が感染していたら人にうつして迷惑をかけたくない」という動機も強力にはたらいたと憶測する。このころ「マスクは無意味、感染予防に何の役にも立たない」と断言するお医者さん等もいて、それを激しく信じた人たちもいた。

 

そのころWHOは、健康な人はマスク不要!と発表していた。そもそも欧米では(文化的背景により)一般人のマスク着用には強い抵抗があり、それも背景にあったのだろう。

ちなみに、そのすぐ後にWHOは方針を大転換、各国に一般人のマスク着用を推奨するよう呼びかけたとさ。

海外と日本の感染率で何となく分かるよね。

 

 

WHOのマスク不要!と同じ年に、東大教授チームが実物のコロナウイルスを使った実験で、マスク着用時の吐き出し吸い込み双方にウイルス防御効果があることを証明した。その後スーパーコンピューター「富岳」君のシミュレーションによっても、「飛沫の吸い込みを予防する」点を含めてマスク着用の効果が明らかになった。一般人が入手可能なマスクでは、不織布マスクが比較的効果が高いとか。当然だが、だからといって100%でも絶対でもない。

 

現時点でもマスクはウイルス感染防御に何の効果もない!と確信する人々がいるのは自然であるが、その主張を善意によって他者に押し付けるには、それなりの実証的根拠を用意するべきかな。

 

しかし今のオミクロン株の感染状況を見ると、人通りの少ない場所でのマスク、いらないよね。暑いし汗だく! よその人がひとりでも視界に入ると急いで着用してしまうが。

 

もう一つ注目したいのは、コロナウイルスワクチンの様々な反ワクチン偽情報について。

現時点でのワクチン効果や副作用について、信頼できる情報をもとに接種するかどうかを判断するのは全くのノープロブレム。

問題なのは、出どころのわからぬ、科学的根拠も明確なソースもないデマ情報による判断と行動。逆にリスクが生じる場合も多い。

 

コロナワクチンによって不妊になった、流産した、ワクチン推奨は陰謀である等々。なかには、医師が実在の学校名を出して「ワクチンで生徒死亡」という事実無根のデマをSNSで発信した実例もある。それを信じ込んだ人々の誹謗中傷や抗議の対応に学校側は多大な迷惑を被った。当事者の医師はいっさいの対応を拒否。

 

米英を拠点とするNPOの調査によると、米国のSNS上で拡散した「反ワクチン」投稿の65%は、医師や起業家など12人のインフルエンサーが発信源だったという。

有料会員を集め、コロナに関する高額セミナーやサプリメント販売で多額の収入を得ている人もおり、NPOによると「それぞれが協力し、売り上げを伸ばしている」そうだ。

 

日本のケースでは、「ワクチンで不妊」というデマは、全体で数万のアカウントのなか「上位20のアカウントの発信者」の投稿だけで、全体の約4割を占めているという。

 

ワクチンの効果や副作用あるいは害については、今後の検証によって徐々に明らかになってくるだろう。

 

「新型コロナウィルスに関するデマツイート検知を NTTデータが検証」

https://www.datarobot.com/jp/blog/datarobot-finds-false-rumors-on-sns/

 

コロナ禍では、一部の専門家(とくに医師や医療関係者)による断定口調の怪しい言説が目立った。専門家っていっても、人間だもの。

 

そんなこんなで、大規模なウイルス感染のような「不気味なものへの不安」にとらわれた群集心理は、個々人の心を激しく波立たせるだけではなく、さまざまな社会現象を生じさせる。

 

一時的な衝動はいったん棚上げし、落ち着いて事実を探究しつつ、ていねいに1日1日を過ごしたい。

前の記事「生まれか育ちか2」の修正をした。遺伝子のON/OFFについての説明が、 (´゜д゜`)ハァ? というレベル5のわかりにくさなので、「遺伝子の発現スイッチ」として補足してみた。あまり変わらないけど。 <(_ _)>

 

遺伝子は何世代にもわたってゆっくりと変化してゆく、というダーウィンの進化論が従来の常識であった。その遺伝学の定説を完全にくつがえしたのがエピジェネティクス(後成遺伝学)ということになる。

 

遺伝子的に記憶障害を誘導されたマウスを、遊具や運動用具などを豊富に取り揃えた環境に入れるという実験。

その結果、驚くべきことに、マウスの記憶力が環境のおかげで大きく向上し、記憶障害は解消された。

 

それだけではなく、新しい記憶に必要とされる、シナプスの伝達が高くなる現象「長期増強」という脳内プロセスも変化したという。さらに、次世代のマウスにも脳内プロセスの変化は受け継がれた。(タフツ大学/リー・フェイグ研究チーム)

 

また、ラットを用いた実験では、母ラットが赤ん坊ラットにどれだけ愛情深く接するかによって、子どもラットの脳に大きな変化が生じたという。

 

愛情深い母ラットは、赤ん坊ラットを抱いたり舐めたり、巣から転がり落ちればすぐに拾い上げたり、1日のうち何時間も世話を焼いて過ごす。

一方、愛情の薄い母ラットは、赤ん坊の世話にわずかな時間しか費やさない。

 

双方の赤ん坊ラットの遺伝子発現量を分析すると、著しい差異が認められた。愛情の薄い母ラットの赤ちゃんは、海馬にあるストレスに関わる遺伝子の発現がOFFになっていたという。

母ラットの愛情が、遺伝子発現というレベルからストレス耐性に強く影響することが判明した。(モントリオール/マギル大学イアン・ウィーバーの研究チーム)

 

動物実験だけではなく、ヒトの遺伝子へのエピジェネティクス研究も、何千組にも及ぶ双生児研究を始めとして様々なアプローチによって、次々と驚くべき事実がわかってきている。

 

遺伝子と環境との相互作用の研究は、今後どのように発展するのか。

 

これまでは「〇〇に弱い遺伝子」が主な研究対象であったが、今後は「〇〇に強い遺伝子を発現させる」という方向へも広がってゆくのかな、と考える。

 

心理学・神経科学の学者によれば、真に重要なのは、どんな遺伝子を持って生まれてくるかではなく、無数の遺伝子の中で、どれが発現に至り、どれが沈黙したままで終わるか、ということだという。

 

どのように行動し、どのように生きるのか?によってつくられるコントロール可能な環境も、自らの遺伝子発現のON・OFFに大きく影響するのだ、ということを知っておいても損はないと思う。

 

エピジェネティクス研究はスタートしたばかりだけれど、個人の心と人生のありように「変化」や「希望」を付加できるかな、という意味で素人ながらも注目している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の記事で、赤ちゃんがこの世に産まれ出たときに、最初に示す「情動的反応」について触れた。

この世ではすべてが未経験の新生児も、胎盤の中という環境で「胎児期」という経験を経ており、すでに遺伝子と環境との相互作用がはじまっている。

 

乳児が一つの刺激に対する反応の仕方は個々に千差万別である。それが「遺伝子の影響によるものか?環境の影響によるものか?」という区分けは、現状では意味をなさないものとなった。

 

エピジェネティクス

 

もう一つ、遺伝子に関しては「エピジェネティクス」という研究分野がある。

「エピジェネティクス」を簡単に説明するのはド素人には手に余るので、興味のある方は書籍やネットで情報収集をしていただきたい。

そんな暇はない!という方のために、理解しているつもりの範囲で大雑把に解説してみる。

 

ヤケクソ解説----------------

 

遺伝子の「塩基配列=ゲノム」を変えることなく、遺伝子の発現を制御(ON/OFF)する後天的システム = エピジェネティクス制御

エピジェネティクスの情報の集まり = エピゲノム(細胞ごとに異なる)

 

ひとりの人間を形成するすべての細胞は、基本的に同じ塩基配列の情報をもっているが、それぞれ別々の細胞(内臓や皮膚などの各組織)になるのはなぜか。

 

遺伝子の発現スイッチ

 

DNA(デオキシリボ核酸)は、塩基という4種類の物質が長く連なってできている。4種類の塩基の頭文字A、T、G、Cという文字で表した「文字列」を「塩基配列」という。遺伝子の情報は「塩基配列」によって決まり、その塩基配列で表される遺伝子情報すべてをゲノムという。ゲノムは約32億個の文字列(塩基配列)に及ぶ。そしてヒトゲノムには約23,000個の遺伝子がある。

 

ゲノムの中で「タンパク質」の設計図の部分が遺伝子となる。

 

つねに23,000個すべての遺伝子が働く(発現する)のではなく、決まった細胞ではたらく遺伝子や、必要なとき、または突然変異によって、発現(ON)したり休止(OFF)したりする。この遺伝子(タンパク質の設計図)の制御システムが、上記で説明したエピジェネティクスとなる。

 

細胞ごとに異なるエピゲノム(ON/OFF情報)によって、細胞ごとに発現する遺伝子発現しない遺伝子目印がついている。それに基づき遺伝子の発現を制御することで、或る細胞は肺になり、別の細胞は眼球になる。

 

さらに、その人間が五感によって何を見たか、何を聞いたか、どのように行動したかに応じて、どの遺伝子を発現させるか否か、無数の遺伝子のスイッチをON/OFすることになる

 

エピゲノムの変化のパターンは、個人ごとに、同じ個人でも組織(肺なら肺の組織)ごとに、さらには同じ組織でも一つひとつの細胞ごとに異なっている。

また、さまざまな外部環境による経験が、後天的にエピゲノムの変化に影響を及ぼすことも判明している。

 

一卵性双生児のゲノムは同一であるが、外見はもちろん病気に対する抵抗力や物事への反応の仕方など、全く同一ということはない。

 

エピゲノムの情報によって、細胞ごとに発現する遺伝子発現しない遺伝子に目印がついており、それに基づき発現をON/OFFで制御することで或る細胞は肺になり、別の細胞は眼球になる。

 

さらに、その人間が五感によって何を見たか、何を聞いたか、どのように行動したかに応じて、無数の遺伝子のスイッチをON/OFする

 

エピゲノムの変化のパターンは、個人ごとに、同じ個人でも組織(肺なら肺の組織)ごとに、さらには同じ組織でも一つひとつの細胞ごとに異なっている。

また、さまざまな外部環境による経験が、後天的にエピゲノムの変化に影響を及ぼすことも判明している。

 

一卵性双生児のゲノムは同一であるが、外見はもちろん病気に対する抵抗力や物事への反応の仕方など、全く同一ということはない。

それは、成長に伴う環境の変化(経験)によって、個別にヒトのエピゲノムの状態が変化するからである。

 

 

ヒトは遺伝子的に変わることができる

 

 

蜜蜂のケース

(参考:「遺伝子は変えられる」シャロン・モレアム著より)

 

女王蜂は、同じ両親から生まれた他の姉妹の働き蜂とは大きく異なる形質をもっている。

 

女王蜂は他の働き蜂よりも数段長い胴体と脚を持つ。働き蜂の命は数週間であるが、女王蜂は何年も生きることができる。また、女王蜂は何度でも再利用できる針を持つが、働き蜂は一度その針を使うと死ぬ。女王蜂は1日に何千個の卵を産むことができる。女王蜂のためのすべてのニーズを満たすのは、その他大勢の不妊働き蜂たちである。

 

この桁違いの差をみると、女王蜂と働き蜂とは異なるDNAによる形質をもっていると考えたいが、遺伝的には全く同じゲノムをもつ同胞なのだ。

では、女王蜂と働き蜂との著しく異なる、行動学的、生理学的、解剖学的な違いはどこからきたのか。

 

実は、女王蜂の食事がロイヤルゼリーというだけのことである。

蜜蜂の幼虫は、最初はローヤルゼリーを与えられるが、働き蜂になる幼虫はすぐに「離乳」させられる。

しかしコロニーが新しい女王が必要と判断すると、数匹の女王蜂候補の幼虫を選び(運まかせ)、そのままローヤルゼリーだけを与え続ける。

 

ローヤルゼリーは若い働き蜂の口内によってつくられる、タンパク質とアミノ酸豊かな分泌物だ。ローヤルゼリーだけを食べて育った幼虫はやがて女王蜂の形質を備えていく。これは後天的な遺伝子変異🟰エピジェネティクスといえる。

 

以前どこかで読んだが、人類の進化はハチミツ(ロイヤルゼリー含)のおかげである、という論文があった。そういえば手塚治虫のSF短編で、生まれたときから研究のためにローヤルゼリーだけを与え続けた結果、難解な論文を理解するほど高い知能をもつネズミに成長し‥‥という漫画を読んだ。栄養剤の成分にもなっているローヤルゼリーは、それほど栄養効果の高い食物ということらしい。

 

もとい。要するに、蜜蜂の食べるエサの違いが遺伝子の発現を変えたという事実である。

食物によっても容易に遺伝子発現スイッチのON/OFFが切り替わるのだ。

 

 

マウス実験でのケース

 

マウス研究では、幼少期に様々な劣悪環境などによるストレスを受けた個体は、その後、うつ的状態やストレス応答の異常、認知障害など、適応障害という負の影響を受け、ちっちゃなマウスに育つことがわかっている。彼らは困難な状況に置かれると、それに立ち向かったり色々な方策を試みるより、すぐにあきらめてしまうようになる。興味深いのは、この

マウスたちは、自分のこのような性質や行動を次世代のマウスにも受け渡すのである。次世代の子マウスの生育には全く問題がないにもかかわらず。

 

一方、幼少期のストレスが、その後の成体期に有益な作用をもたらすケースもあることが明らかになっている。これも個別のマウスにおける遺伝子発現スイッチON/OFFの変異である。しかし、有益な影響が次の世代にも受け継がれるかどうかは現時点では判明していない。

 

或るマウス実験によると、母親から雄の仔マウスを一時期分離することで、ストレスを受けた親に育てられた雄マウスの子孫は、エピジェネティックな変化として、行動の柔軟性や優れた目標指向行動を身につけていることが明らかになったという。以下のURLで読むことができる。

「幼若期のストレスが子孫を利する可能性(記事の引用)」

 

 

 

ちなみにマウスのゲノムと人間のゲノムは99パーセントが

一致。🐭チュ~

 

エピジェネティクスの研究は発展途上

 

以前書いたいくつかの記事でも触れているが、脳の柔軟な可塑性にはエピジェネティクスが大きく関わっているケースが多々ある。しかしエピジェネティクスの研究はスタートを切ったばかりだ。

 

ロンドンのタクシー運転手の海馬領域が拡大するのも、左脳に損傷を受けた患者の右脳に左脳の機能が芽生えるのも、いじめにあった子どものトラウマが遺伝子レベルで人生を変えるのも、喫煙による遺伝子変異でカフェインの分解速度が変わるのも、遺伝子発現を制御(ON/OFF)するエピジェネティクスによるものだ。

 

「なぜヒトは集団を作るのか?」という問いに対し、ダーウィンは、ヒトのもつ社会性が「本能的」なものであることを示唆しつつ、経験による「後天的」な獲得の可能性を排除しなかった。

 

後年、主に社会心理学の研究結果によれば、ヒトの社会性が本能的であることを示唆する状況証拠をたくさん示してはいるが、同時に「経験」が社会的脳を作ることを示唆する証拠も数多く示されている。これもエピジェネティクスが大いに関係していると推測できるが、大雑把にいえば「生まれと育ちの複雑な相互作用」によるものと考える。

 

今後の遺伝子研究によって、後天的なエピジェネティクスについての解明も加速度的に進んでゆくと思う。それに伴う様々な遺伝子操作には、病気の発現を未然に防ぐようなプラス面だけではなく、それを利用する倫理的マイナス面も増大してゆくだろう。

 

現にアメリカのある鉄道会社は、コスト削減の手段として従業員の遺伝子に目をつけた。「一時的労働不能休暇」を減らすため、遺伝子的に手足の痺れが起きやすいかどうかを示すDNAマーカー検査(血液検査)を従業員に強要し、責任をDNAに転嫁しようとしたのだ。この問題によって、「遺伝子情報差別禁止法」別名「反ガタカ法」(ご存じ映画の「ガタカ」から)が成立した。

 

 

思いつくままに書いてきたが、なにが言いたいかというと、いまだに関連書籍が出ている「あなたの人生は両親から受け継いだDNAによってすでに決まっている」といった類の時代遅れの考え方は、事実において完全に間違っているということ。

 

DNAは、環境(何を感じ、何を見て、何を聞いて、どのように行動したかetc.)という無数の発現スイッチのON/OFFによって、遅々刻々と変異し続けている。「高貴な血」「優秀な血」「劣等な血」なんてモノは存在しない。

 

人生は自分であがいて決める、

受け継いだ遺伝子で決まるわけじゃねぇ!

 

ということである。

何年かぶりに私のブログを読んだ年の若い友人から、「漢字か多い」と言われた。つまり「読みにくい、文章ヘタ」と言うことである。

彼は最上級の文章を書くプロ(そこは尊敬)なので、ムカつく前に速攻、一般人として無心に諸々の記事を読み返してみた。はい、おっしゃる通りでございます。

 

確かに「心理学」関連の記事についてはやたら専門用語が多いし、まどろっこしく堅苦しく、専門家気取ってんじゃねーよ! 的な表現の文章が多い。毎回、大学生が初めて書いた論文みたいになっている。そのうえ遅筆だし。

 

しょうがないよ! 文才がないんだから!

それに勝手にPCが漢字変換してるし!

専門家気取りたいし!

 

と居直りたいが、それ以前に恥ずかしくて全部書き直したくなり(書き直しても同じ)、あらためて「自分の文章は読み返さないスタイル」を貫いていこうと思った。

これ以上大幅な文章力アップは望めないが、しかし、できる限り読者に読みやすい記事にすべく努力しよう。。

 

それで思い出したが、「文章の力」というものに大きな衝撃を受けたことがあった。だいぶ前の記事に書いたかもしれないが。

数年ほど前に実家で発掘した、弟が小学校4年のときに「ぼくの家族」というテーマで書いた作文。それの最後の文章、

 

「私は姉がきらいだ。」

 

という一文を読了したときである。

文中では、母と父について「怖いけど優しい💛」「休みのときは遊んでくれる💛」的に「ぼく」を主語に、両親が微笑ましく語られている。

 

だが最後のところで姉を語るに際し、一人称が「ぼく」から「私」に変わっている。あとに続く「きらいだ」が際立つ。

 

一行にも満たない文章に凝縮された姉という存在。ノックアウト鼻血どばーレベルに効いた。

 

作文用紙いっぱいに花丸をくれた先生はどう思われたのでしょうか。。。

あのころは、そう‥‥弟を家来だと考えていました。

いまは割と仲よくしてくれている。