すべてはうまくいっている! 光と心の調和 -35ページ目

すべてはうまくいっている! 光と心の調和

横浜の心理カウンセラー ロキのつぶやきブログ
その人がその人らしく
『生まれてきてよかった!」
と思える人生のために。

カウンセリングの最もたいせつなことは、共感し、受容するということなんですが、これは想像するよりもひじょうにむずかしいものです。

というのも、他者に共感し受容するということを第一とするカウンセラーは、それができるために、自分をどれだけ豊かな器として持てるか、という努力をつねにしなくてはならないからです。

そういう意味では、カウンセラーというのは、強い信念や正義感、独自の理想や主義の持ち主といった方には不向きといえます。もっといえば、一般的な常識や倫理観さえも邪魔になるときがあります。

たとえばカウンセリングの過程で、「深い憎しみによって相手への復讐心にとらわれている」といった意識が表面化してきたとします。すぐに共感できるでしょうか。そのまま受容できるでしょうか。

ふつうは、そういった感情は負の感情として否定したくなりますし、なんとか考えを改めさせようと思うでしょう。または、犯罪につながる懸念や、その憎悪のすさまじさに、関わりたくないという気持ちが沸き起こるかもしれません。

カウンセラーは、そういう他者を受け入れる器としての自分を、どれだけ鍛えるか、ということが重要になってきます。

器が小さな場合、理論やひとつの療法にとらわれたり、独りよがりな押しつけ、支配的で説教じみたカウンセリングになってしまう可能性が大きいのです。それが間違っているというのではなく、共感や受容のない人生相談になってしまうということです。

カウンセラーの、生来の性格としての向き不向きはもちろんですが、それに加えていかに自分を鍛えるか、自分の器を大きく豊かにしていくか、それが問題になってくるわけです。

そこが、治療に重点を置く心療内科やセラピーと、「援助的人間関係」といわれるカウンセリングとの違いかもしれません。もちろん必要に応じて心理療法も用いますが、理論や技法以前に、まず信頼関係を築かなければ何も始まらないわけです。

他者を受け入れる器を鍛えるためには、どうしたらよいか。

人間の普遍性と多様性を客観的に知り、あらゆる機会をつくってそれを実感として感じることです。

また、世の中には人の数だけ価値観があること、他者の価値観を自分の価値観でジャッジしないという心得、そういったものも必要なのです。

それらを培うのにいちばんよい方法は、さまざまな経験をすることです。同時に、その経験に固執することのない自由な精神を保たなくてはなりません。

多くの経験をもつに越したことはありませんが、ひとりの人間の人生経験なんて、ある意味たかがしれています。

では、いかにして多くの経験を積むのか。

経験には大まかに分けて実体験と追体験があります。その追体験をたくさん経験するわけです。

追体験のよい方法として、文学に接することがあげられます。文学というのは、人間を描いています。さまざまな小説の中で、さまざまなパターンの人間に出逢うことができ、その人生を追体験することができるわけです。

また、映画を観たり、いろいろな宗教に触れたり、音楽を聴くこともよいでしょう。要は、人間を広く深く味わうことですね。

河合隼雄はカウンセラーの卵たちに、小説をたくさん読みなさいと勧めています。

河合先生ご自身、クライエントの状況がわかりにくいときには、それと似たような小説を探しては読んだそうです。同性愛の方をカウンセリングすることになったときには、三島由紀夫の小説をだいぶ読んだとか。

小説を読んで(心を)推測する力を付けることが、カウンセリングの「共感」「受容」に大きく役立つわけです。

そしてもっとも重要なこと。

ウンセリングがうまくいった場合、それはクライエントがすばらしいからだと知ることです。完璧なカウンセリングなんてないのです。どこまでいっても答がないのがカウンセリングです。新しい何かが芽吹くのを、一緒にじっと待つ作業といってもいいかもしれません。

失敗したときは、カウンセラーがじょうずに援助できなかったからです。

良い結果をだせたときは、クライアントが自分で解決してくれたからです。


あああ、まだまだだ~、
そんなことを実感する日々です。
  

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昨日は憲法記念日だったけれど、数日前にいい機会だからと自民党の「日本国憲法改正草案」などを読んでみた。

気になったのが「人権」というものの扱いと、今回の草案に加えられた第24条(家族、婚姻等に関する基本原則)の条項について。昔仕事で、日本国憲法について考える機会があって、そんなことも含めて思いつくままに書き散らしてみます。長いし面白くもないので、興味のない方はスルーしてくださいませ。

日本国憲法が保証する権利「人権 (Human Rights)」についての規定は、人類普遍の価値観や思想ではなく、アメリカ及び西欧民主主義が標榜する基本理念の一つに過ぎないのね。なぜならこの思想の根拠が「キリスト教の神(創造主であるゴッド)によって与えられた」人権神授説であるから。

アメリカの「人権思想」の代表ともいえるトマス・ジェファーソンの「アメリカ独立宣言」を少し抜粋してみる。(この「独立宣言」はロックの「自然法理論」の影響が大きいといわれているけれど、その理論?は学者が考え出した一観念に過ぎずここでは取り上げない。)

ところでこの独立宣言の起草者トマス・ジェファーソン、実は徹底した人種差別主義者でもあった。彼は白人農民のために先住民を排除することを是とする、おおぜいの黒人奴隷を雇っていた大牧場主。ジェファーソンのいう「人間」のなかにアメリカインディアンや黒人は入っていなかったのね。

「アメリカ独立宣言」より抜粋
「我らは以下の諸事実を自明なものと見なす。すべての人間は平等につくられている。創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている。これらの権利を確実なものとするために、人は政府という機関をもつ。」

読んでおわかりのように、全ての人間は(神によって)平等につくられており、人の「生命、自由、幸福の追求」などの様々な諸権利は、創造主「神」によって与えられた生来のものであるから、誰によっても奪うことはできない、といっている。その主張の根拠は「神」にあるというわけ。

乱暴な言い方をすれば、人権思想を支えているのはキリスト教信者の主観的思い込みということになる。論理的裏付けのない情緒的主張には、必ず解釈による矛盾や異なる価値観が発生するのは当然のこと。

解釈によっては
たとえば、ひとつの国家よりも、ひとりの人間の権利を優先する思想にもなる。
たとえば、殺人の加害者と被害者を同等に扱う思想にもなる。

善悪の判断というのは理論ではなく価値の問題。最後には個々人の好みの問題に行き着く。

そういえばかつて日本政府が「一人の生命は地球より重い」として、ハイジャック犯に獄中メンバーの釈放引き渡しと身代金600万ドルを支払った事件があったけれど、この判断も正しいとか間違っているとかではなく、価値観の問題だった。

アメリカはこの「人権思想」を、外交や国連で「人類の普遍的原理」として宣伝布教に努め、今やその価値観を全世界に浸透させつつある。結果、国連で採択された「世界人権宣言」が、現在の人権に関する世界共通の基本的理念として位置づけられている。

ところで、日本国憲法ではさまざまなかたちで「人権( Human Rights)」が規定されているけれど、アメリカ合衆国憲法では人権思想に関する文言はどこにも見当たらないのね。あるのは国民の権利を指す「民権 (Civil Rights)の保証」だけ。全て民権(市民の権利、人民の権利)で通している。したがって解釈に含みはなく、ひじょうにすっきりしている。アメリカが「人権」を用いるのは常に外交において。これはとても興味深い。

アメリカ合衆国憲法での「権利」を「民権(Civil Rights)」とする章典を提案したのは、建国の父といわれる人々の一人ジェームズ・マディソン。彼は「人権思想(Human Rights)」が論理的矛盾を含まざるを得ない「宗教思想」のひとつであり、政教分離にも抵触することを知っていた、ひじょうに冷徹かつ知的な政治家だったのかもしれない。

だものだから、今回の「日本国憲法改正草案」では人権について「西欧の天賦人権説」という説明を草案のQ&Aに加えている。

『人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました』

『今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです』


しかし人権は人権なんですね。「人権」についてまわる曖昧な価値観と矛盾を、「人権」はそのままに、国家と個人の狭間で日本独自にうまく解釈しようと苦しんでいる。


といったような屁理屈はさておき、国家の根本規範となる憲法について、私のようなド素人が理解するのはとても難しい。


今回取り上げるのは自民党の日本国憲法改正草案の第24条(家族、婚姻等に関する基本原則) に新たに加えられた条項について。

家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

特に違和感なく読み過ごしてしまいそうな文章だけれど、とてもたいせつな問題を含んでいる。

「家族は~として尊重される」「家族は、互いに助け合わなければならない」などと一方的な価値観を国が規定してよいものだろうか。

たとえそれが理想であっても、それが叶わぬ家族がどれほどたくさん存在しているのか、認識していない文章といえる。いくら努力しても再生できない家族というのが存在するのだ。尊重されない助け合わない家族の元で、子どもだけが精いっぱい頑張り続けていることだってある。

虐待家族、家族の一員が重い障害をもつ家族、認知症の親を抱える家族、そうした家族の現状を知れば、甘っちょろい幻想で家族を規定できるものではないと知るだろう。

たとえば、児童虐待の家族にいくら「家族はたいせつよ、互いに助け合いましょうね」といっても通用しない。虐待は繰り返され、そこにはひたすら我慢し耐える子どもが存在するだけだ。

「子どもに対して暴力を振るってしまう」と悩む母親は、虐待しているといえない。子どもに愛着が生まれているからこそ、罪悪感が生じ悩むのだから。

ほんとうに虐待する親は悩まない。そして変わることができない。

そうした親は、虐待しても罪悪感がない。虐待に快楽を感じることさえある。したがって悩まないし、変わろうとする余地もない。子どもが愛情をいくら求めても、親から何も返ってこなければ、そこに親子の絆も尊重も助け合いも生まれない。

親が脳の発達の問題を抱えているからであって、倫理の問題ではないのだ。

そうした再生不能の家族に、国が「家族ってたいせつよ」とか「家族だから助け合えるよね」とか甘い価値観を押し付けたら、逆に問題を隠蔽し、維持し、助長することにもなりかねない。そんなものを家族の基本原則にしてほしくない。

草案のQ&Aに24条の新しい条項について
『家族は、社会の極めて重要な存在ですが、昨今、家族の絆が薄くなってきていると言われています。こうしたことに鑑みて、24条1項に家族の規定を新設し、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」と規定しました。』

と説明している。家族に着目したのはいいけれど、家族が抱えるさまざまな問題の原因が「家族の絆が薄い」ことにあると思い込むのは間違っている。もしくは上記の説明は詭弁で、本当の狙いは公的支援の削減?

どう頑張っても「尊重し合い、助け合う家族」をつくれない家族が存在する。そのようなときには、家族以外の人や行政機関がその代わりになればよい。

せっかく改正するならば、もう少し実情に基づいて考えてほしいと思った次第。

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今日は憲法記念日でした。

 


というわけで自民党の改正草案を読んでみましたら、カウンセラーとして少々気になる部分がありました。

 

第二十四条に新しく加わった条項です。

 

 

 

自民党憲法改正草案

 

「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」

 

 

 

これを読んでどう思われますか?

 

 

 

と、ここまで書いて睡魔が襲ってまいりました。

 

実は昨日の夜中にまたまたアクション映画を観てしまい、その後お目めぱっちりで明け方まで眠れず、いまそのしわ寄せがきたという次第。

深夜の(録り溜めしてある)アクション映画、あれほどやめようと自戒しているのに・・・でも面白かったもん 

 

 

 

え、何の映画かって?

 

いやいや、おばさんが深夜に夢中になって観る映画として、さすがに恥ずかしくて口が裂けても「ザ・シューター/極大射程」とかいえませんわ。。

 

 

 

というわけで、明日に件の草案条項について書きたいと思います。
 

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一日に何度もため息をつく
食事が喉を通らない、
夜眠れない
思考力が著しく低下する
すぐ涙が出てくる
動悸がする
有頂天と絶望を繰り返す
状況によってはイライラや不安が増す
妄想全開になる
無気力・無関心・意欲喪失を引き起こす

これはなんという病気の症状でしょう?
何かの禁断症状の様でもあります。
この病に罹っている方はピンとくるかもしれません。
麻薬中毒です。・・・・・・・嘘です。

そう、恋煩い です。

成就か破局かに至るまでの間に罹患するケースが多いようですが、心がなんだかとても苦しくなるそうですね? ヾ(ーー )ォィ

恋愛が麻薬と似ているといわれるのは、依存症や病的嗜好のメカニズムと同じ「報酬系」が猛烈な勢いで働いているからです。

脳の報酬系というのは、美味しいものを食べたり、性欲が満たされたり、褒められたりといった、ある欲求が満たされたときに、中脳の腹側被蓋野からドーパミン(快感ホルモン)を放出するドーパミン神経系をいいます。

ドーパミンが一気にどばーっと分泌されると「いい」「気持ちいい」「幸せ」という感情が生じ、それに関連した行動が強化され、クセになってしまうことがわかっています。これが
依存 dependenceや 嗜癖 addiction のメカニズムです。

恋愛感情は性欲と異なり、特定の相手にだけ向けられます。その人にだけ注意と関心が向き、その人を脅迫的に追い求め、その人のひと言に一喜一憂し、その人の気を惹きたくなり、その人を自分のものにしたくなる・・・・そのために全エネルギーを消耗することになります。

結果として報酬回路を含む辺縁系はフル稼働し、反対に前頭前野の活動は低下します。つまり、知性が痴性になってしまうのですね。このおバカ状態に至らしめる愛のエネルギー作用については、「愛という感情状態」にも記した通りです。

そうして、好きになった人と会えない状況になると、あたかも薬物依存における禁断症状のような体を表出します。イライラが募り、不安が増し、ものごとに対する意欲が減退し、妄想ばかりが広がり、他のことには一切無気力・無関心となり、すっかりダメダメ人間になってしまうのです。

「寝ては夢、起きては現幻の・・」と脳内で、恋する相手をめぐる様々な幻覚妄想が繰り広げられる状態。これが「恋煩い」であり、「お医者様でも草津の湯でも恋の病は治りゃせぬ、あぁ、こりゃこりゃ♪」ということになるわけです。

で、どうしたら治癒するかといいますと、ほっておけばいつかは治る病なので、特に治療の必要はありません。DNAプログラムがそのようにできています。

たとえば、22歳のときに恋煩いになり38歳に至るもまだ完治せず、というようなケースは皆無に等しく、たとえ38歳の時点で恋煩いにあるとしても、雪見大福を賭けてその相手が別人であることを断言できます。そこが他の依存症と異なる点ですね。

いずれは明か暗かに分かれ、場合によっては失恋という結果が待っていようとも、けっして早まったことをしてはいけません。それもいずれ、必ず癒えるときがやってきます。恋愛の痛手には、時という頼もしい医者がついているのです。

「恋煩い」と診断できる、心千々に乱れ桃源郷に浮遊し虚無を彷徨う・・といった恋愛のいわば
VSOPを経験できることは、とても幸せなことではないでしょうか。

たとえそれが成就することなく終わったとしても、貝の傷の大きさが真珠の珠のみごとさを決定するように、きっとその人の精神に、深い光沢と豊かな魅力を加えることでしょう。←他人ごと

現在煩っていらっしゃる方は、ほんとうにやるせなく心揺れる日々でありましょう。けれども、今まさに人生の神髄を味わっているのだということも、ちらりと頭の片隅で思ってくださいませ。

せめて一生に一度は経験してみたいという、希有な病でもあります。もちろん、恋煩いに年齢は関係ありません。・・・・が、今世ではおそらく縁がないであろう方も、私のように来世に望みを託す
という方法がございます。。
 

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「笑い」の効能については、すでに広く知れ渡っているところだけれど、何度でも脳にインプットしておきたい。

人間の「笑い」ほど、お手軽で心地よく、おまけに只という万能治療薬は、他にはない。「笑い」のもつすばらしい力については様々な人が認めているところだが、アメリカのジャーナリストであるノーマン・カズンズの「笑いと治癒力」は面白かった。

彼は、医者に治る確率は500分の1と言われた膠原病を、体への「ビタミンC」と、心への「笑い」を大量投与することで克服した。彼は自然治癒力を最も引き出す条件として、積極的な情緒の必要性を自ら突き止める。

その「積極的情緒」をつくり出すのに絶大な効果を上げるのが「笑い」というわけだ。そこで、喜劇映画やユーモア文学で文字通り「腹をかかえて大笑い」しながら病状を好転させてゆく。笑うことでストレスを緩和し、免疫力を回復させるのだ。


この本で彼が最も訴えたいのは、積極的な情緒で生きることがいかに大切であるか、ということであろう。彼の体験を通じて、病気を医者に治してもらうのではなく、「主体的に自分で治すという姿勢が、人間の自然治癒力を最大限に活性化させる」ということに気づかせてくれる。「笑い」生きる希望と勇気を生み出してくれる特効薬なのだ。

ということで

「笑い」の効能

「笑い」が脳を刺激し、神経ペプチドという免疫機能活性ホルモンが分泌される。その神経ペプチドは血液やリンパ球によって全身に流れ出し、ナチュラルキラー細胞(NK細胞)の表面に付着して、NK細胞を活性化する。活性化されたNK細胞は、ウイルスやガン細胞などを次々と攻撃破壊し、免疫力が高まる

神経ペプチドは免疫力を高めるだけではなく、強すぎる免疫異常を制御するといった、免疫システム全体のバランスを整える効果もある。

「笑い」は腹式呼吸を促し、副交感神経に働きかけて自律神経を整える効果もある。

「笑い」によって、胸や腹、腰、背中などの筋肉を使うことになり、程よい筋肉トレーニングにもなる。

「笑い」によって脳の海馬の容量が増し、記憶力がアップする。また、脳波のα波が増して脳がリラックスしたり、大脳新皮質に流れる血量が増えることで脳の働きが活発になる。

「笑う」と脳内ホルモン「エンドルフィン」が分泌され、幸福感をもたらしてくれる。エンドルフィンは「ランナーズハイ」の要因ともいわれている。さらに「笑い」はモルヒネの数倍の鎮静作用で痛みを軽減してくれる。


どうです。あらためて書き出してみると、「笑い」の効能、すごいでしょう?

 

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