<来談者中心療法>
ロジャーズは自己理論に基づく面接法として、来談者中心療法(client-centered therapy)を提唱した。
その骨子は、これまで述べてきたように「自己概念」の変容のための面談カウンセリングである。どのように自己概念を変えていくか。自己不一致を自己一致へと近づけてゆく面談である。
来談者中心療法はこれまで、大まかに分けて三段階の変遷を遂げてきた。
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◉1940年代
「非指示的療法 (Non-Directive Therapy)」
受容・繰り返し・明確化・支持・反射・質問(リード)等の技法を用いた洞察療法である。それによって何を洞察するのか。今まで気づかなかった「あるがままの自分」に気づくのである。この頃はどちらかといえば技法を中心に展開されていた。
日本にロジャーズの心理療法が導入されたころ、教授法としてワークショップや研究会ではテープ分析が盛んに行われた。カウンセリングでの逐語録を念入りに検討し、「ここで繰り返しを入れるべき」「ここは開かれた質問」「この箇所では明確化すべき」「受容がなっていない」等々と重箱の隅をつつくように指摘しまくるのである。
そういえば私もロールプレイで、カウンセラー・クライエント・観察者というロールをとって何度か経験しているが、内容よりも、嬉々とした観察者(役)の猛烈なつっこみに感動した憶えがある。疑似カウンセリングは所詮疑似なんですけれど、それを通して違うものが見えてきたりしてね。
◉1950年代
「来談者中心療法 (Client-Centered Therapy)」
知識や技法よりも、カウンセラーの態度が重視された。クライエントのフレーム(内的枠組)のなかで、カウンセラーが如何に「無条件の肯定的関心」や「共感的理解」をもって対するか、それが治療の不可欠条件となった。
◉1960年代
「パーソン・ センタード・アプローチ(Person-Centered
Approach : PCA)」
ロジャーズの心理療法は後年になって実存主義的になってくる。心理療法での実存主義とは、治療者(カウンセラー)と患者(クライエント)というプロフェッショナルな関係ではなく、お互い同じ人間どうしじゃないの 腹を割って語り合おうよ(ちょっとオーバー)という関係である。
それまでのクライエント・センタード(来談者中心)から、パーソン・センタード(人間中心)にシフトしたわけである。ここでは、それまでの「受容・繰り返し・明確化・支持・反射・質問(リード)」や「「無条件の肯定的関心・「共感的理解」からも超越している。
その瞬間、いまその時その瞬間に、ありのまま、感じたままの自分を示し合う。お互いができうる限り本音で語り合う。このような人と人との関わりが、癒しと自己概念の変容を促すとした。
ロジャーズは上記の「互いに、ありのまま感じたままを、本音で語り合う」という関わりを、グループで行うことを提唱した。いわゆる、エンカウンター(encounter)技法(集団心理療法)である。
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ロジャーズの来談者中心療法を、以上の3段階のいずれを指して言うのか、カウンセラーによって異なると思う。しかし、三段階の技法を通して、ロジャーズが一貫して重要であると強調してきた条件がある。(つづく)
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3. 【 自己一致 】
歪んだ自己概念を変容させてゆく方法として、ロジャーズは来談者中心療法を提唱した。では、自己概念をどのように変えてゆくか。
「自己一致」するように変えるのである。
自己一致とは、簡単にいえば「あるがままの自分 (actual self)」と「思い込みの自分(idealized self)」とが一致するという意味である。
たとえば、自分では「リーダーシップに優れ、決断力のある人間」だと思い込んでいるが、事実は人に対して強引で、熟慮が足りない。したがって、「リーダーシップに優れているが、ワンマンで独りよがりなところがある」というように自己概念を修正していかなければならない。
たとえば、自分では「「男性にとって魅力のないつまらない女性」だと思いこんでいるが、事実はあまり化粧やお洒落にかまわず、いつも地味な姿で仕事に没頭している。したがって「魅力がないのではなく、男性からは仕事一筋に見えて女性としてのアピールに欠けている」というように自己概念を修正していかなければならない。
上記の例のように「思い込みの自分(観念的な自己)」と「あるがままの自分(現実の自己)」の間にギャップがあり一致していない。これが自己不一致である。このギャップが縮まるほど自己一致に近づく。
したがってロジャーズの自己理論によれば、健全な人間とはあるがままの人間になりきっている状態を指す。つまり経験している現実の自分(actual self)知り、事実に基づいた自己概念をつくるということである。事実に基づかない自己概念は、単なる思い込みに過ぎない。思い込みの自己(idealized self)をいったん脱ぎ捨て、事実を直視する。つまり主観と客観の認知が一致することである。
このようにロジャーズの自己理論の目的は自己一致を目指すことにある。
なぜ自己不一致になってしまうのか。
2の【 自己概念 】で述べているように、この世に生まれてから出会った他者(親きょうだいや教師、周囲の人々)からの評価や価値観を、あたかもそれが真実のように疑うことなく信じ込んであるからである。
たとえば「一流大学を出て一流会社に勤めることこそ人生の成功である」「性質の悪い親不孝な自分は幸福になってはならない」etc.
他者によって刷り込まれた価値観が「~ねばならない」「~すべきである」という絶対的信念となってしまっている場合もある。それでは新たな経験を自己概念の中に取り入れることが出来なくなる。
評価や価値観の刷り込みが大きく偏っていたり歪んでいる場合、そのギャップが大きいほど「思い込みの自分(観念的な自己)」が「あるがままの自分(現実の自己)」によって崩壊させられるのではないかという、得体の知れない不安感や恐怖、緊張が生じる。
したがって、自己概念を真っ向からひっくり返すような「実際の体験(有機的経験)」をした場合、自己崩壊を防ぐために、それを感じてはいけないと意識の外へ追いやる。精神分析でいうところの抑圧であり、ロジャーズ理論でいうところの歪曲、否認である。
以上のような硬直化した自己概念を、新たな経験をそのつど取り入れてゆく柔軟な自己概念へと変容させることで、感情と行動に矛盾がない生き方ができるというのが、ロジャーズのいう自己一致である。(つづく)
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アクション&サスペンスの映画(A~C級まで)・ドラマを観るのが私のストレス解消法なのだけれど、米国ドラマの「パーソン・オブ・インタレスト」は久々の超A級面白作品だった。最初ツタヤで掘り出してシーズン1をレンタルしたのが大当たり。あまりの面白さにすぐにファースト・シーズンの輸入盤(安価)ブルーレイを購入し、セカンド・シーズンも先日発売と同時に購入した。
脚本は、映画『ダークナイト』『ダークナイト ライジング』の脚本を手がけたジョナサン・ノーラン、面白くないわけないのだ。私的には海外サスペンス&アクションドラマのベスト3に入る。・・・なんてものすごい褒めようだけれど、これはもうほんとうに個人の好みの範疇なので、他の人にとっても面白いかは保証の限りではない。
詳しい内容については、下手な説明を加えるより実際に観ていただいた方がいい。
こちらで雰囲気は伝わるかもしれない。↓
http://wwws.warnerbros.co.jp/personofinterest/mainsite/
主要登場人物全員がひじょうに魅力的。まず主人公の二人、元CIA工作員ジョン・リース(スーツの男)と天才技術者で大富豪のハロルド・フィンチ(眼鏡のちんちくりん)。性格も能力もまったく異なるふたりの人物設定が秀逸。
この肉体派と頭脳派のコンビ、最初はお互いによそよそしい関係なのだけれど、エピソードが重なるにつれて徐々に変化してゆく。それがものすごく楽しく面白い。二人の掛け合いには何度もニヤリとしてしまう。あるエピソードで、犯人としてフィンチの似顔絵が新聞に掲載されるのだが、その絵には吹き出しちゃった。
この凸凹コンビにニューヨーク市警の黒人女性カーター刑事や警官のファスコが巻き込まれ、最初は嫌々ながら手を貸してゆく。汚職警官のファスコなどは善行に喜びを見出すようになり、どんどんかわいくなっていく、わたくしお気に入りのキャラクター。人間を善人と悪人に分けず(ダークナイトを彷彿とさせる)、善にも悪にもなり得るとして善悪の「行為」で判断していくのが気持ちいい。
エピソードが進むにつれ、暗黒街の乗っ取りを企む(どうみても善良な小市民にしか見えない)イライアス、リースを追うCIA・FBI、天才ハッカーのルートなどが加わり、リースとフィンチの周辺はますます複雑な様相を呈してゆく。シーズン2では頼もしいワンちゃんも加わって、ときどきフィンチを散歩させてるし。
各エピソードに加え、シーズン1、2を通して国家的陰謀が動いているのだが、全作を見直してみて、緻密な伏線がみごとに張りめぐらされていることにあらためて気づいた。リアリスティックでありながら奇想天外、よくできた脚本に心底感心してしまう。
ジョナサン・ノーランによれば、真のテーマは人工知能「巨大監視システム(マシン)」そのものだとか。セカンドシーズンの最終エピソードでそれを予感させる事態になるけれど、シーズン3ではさらにSFちっくになってゆくらしい。それはそれで楽しみ。
副題が「犯罪予知ユニット」となっている通り、犯罪を予知しそれを未然に防ぐという展開なので、各エピソードとも後味がひじょうにさわやかなのも気に入っている。
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「相手の評価・好意・愛情=自分の価値」という人に恋人ができると、自分に対する「相手の気持ちはどうか?」に全ベクトルが向いてしまいます。
すると、必ず「次の段階」に進むと前回の記事で書きました。
「次の段階」とは何か。ただひたすら「私を好きでいてほしい。愛してほしい」「ほしい~!!」という感情に支配されている状態です。
「◯◯してほしい」という他者への強い欲求は、心の奥底の「恐れ、不安、猜疑心、嫉妬、怒り」といったネガティブな感情を通して表出しやすいものです。その結果、相手に対する言動がとても不自然なものになってゆきます。そして同じように強い欲求をもつ者どうしがカップルになると、共依存に発展するケースもあります。
恋愛真っただ中にあれば、以下のような行為や情動も、一時的には誰しも経験することでしょう。
●相手の心を試そうとする
●相手をコントロールしようとする
●自分を好きになるように(独りよがりな)策略をこらす
●関心を惹くために芝居じみた行動をとる
●ささいなことで傷ついたり嫉妬し、相手を責める
けれども「自分が嫌い」な状態では、上記の類いの「相手の関心をつなぎ止める」ための行為に、ほとんどのエネルギーを費やすようになるでしょう。なぜなら、相手によって自分の心の空洞を埋めていなければ完全な自分ではない(自己不全感)という不安と恐れが頭をもたげてくるからです。
そこには相手の状況や気持ちを思いやったり、受け入れたりする余裕はありません。ただ自分の心を満たすことで頭がいっぱいになっている状態です。
それに付随する「自分のことを愛しているなら○○してくれるはず」という思考も、相手が思う通りにならないと極端な場合「愛されない自分はやっぱり無価値な人間」と絶望や自暴自棄を生じさせます。また、好意を示す相手を「どうせ自分は必ず捨てられる」「自分を好きになる人間はおかしい」と思い込み、絶望を回避するために最初から拒否してしまうこともあります。
ちまたには数えきれないほどの恋愛ハウツー情報が溢れています。恋の駆け引き、モテる秘訣、恋愛ノウハウetc.。それら様々なツールも、心の根底に「自分か好き」という自己肯定感がなければ上手に使いこなすことはできないでしょう。恐らく。
といったわけで、有意義な恋愛を望むのであれば、まずは自分を好きになることが早道ということです。(恋人の力によって、ありのままの自分を好きになれる場合もありますが、それはごく稀 )
自己肯定感のある心には余裕があります。余裕があれば、相手への思いやりや気遣いができ、それが信頼関係へとつながります。さまざまな誤解や行き違いが生じても、何とか修復しながらお互いに理解を深めてゆくことができるのです。
なんて、分かったようなことを書き連ねてきましたが、恋愛心理についてはほとんど人様からお聞きした事例をもとにしておりますので、あくまでも私の個人的な推測の域を出ておりません。ヾ(ーー )
ただ、「今の自分を好きか?」というのは、あらゆる心理的問題において根幹を成す重要なテーマのひとつであることは確かです。
では自分が嫌いな人は、どうしたら自分を好きになれるのか。
それを解説するには新たにシリーズ化でもしなければとても書ききれません。幸い書籍やネット上で、それに類する上質な情報はいくらでも探すことができます。紹介されているさまざまな方法論やヒントを利用して、嫌いから好きへ徐々に自己意識を変えてゆくことが可能です。
しかし自分ひとりで意識を変えてゆくのもなかなかむずかしい、という場合もあります。そんなとき、最も効果的なのが、その人の意識を司る心のシステム(仕組み)に他者が効果的に介入し、相互作用によって心のシステム循環に変化を生じさせる方法です。要するにカウンセリングや心理療法の活用ですね。
もちろん「自分が嫌いだっていいじゃないか!」という価値観も有りなのですが、それってホントはそういう自分が好きだったりして。
ということで、今回の恋愛心理学もどきシリーズはこれでお終いです。
※ 精神分析における「自己愛(ナルシシズム)」と、ここで述べている「自分が好き」とはまったく異なる概念です。
うーむ、役に立たないかもしれない。。。
我ながらやっぱり恋愛関連の記事はことさらまとまりが悪い。。
\(_ _ ;)ハンセイ…
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前回の記事で、恋愛を上手に成就させる前提条件として、「あなたはまず○○でなければならない」といったようなことを書きました。
「恋愛を成就させるには、あなたはまず○○でなければならない」
なにか情報商材のキャッチフレーズのような、微妙なうさんくささが漂ってしまいました。(うさんくさくない情報商材もおありでしょうが)
○○の中に入る言葉ですが、「自分を好き」となります。
要するに、豊かな恋愛生活を享受するには、人を好きになる前にまず自分を好きになっておく必要があるというわけです。
恋愛関係がうまくいかなくなる原因にどのようなものがあるでしょう。
恋愛がいつもうまくいかないと感じる側、つまり
● 好きな相手に振り向いてもらえない
● 相手に浮気をされた、二股かけられた
● 原因がはっきりしないまま相手に別れを告げられた
● 相手の心変わりが不安不安で、恋愛中は身も心もボロボロ
といったような立場になりがちな人は、たいていの場合、「自分を好きではない」人なのです。
ちょっと注意してほしいのは、「自分を好きではない」と「自分に自信がない」とイコールではありません。全てに自信満々という人は稀でしょう。「自分が好き」というのは、自分の長所はもちろん、欠点や自信がないことも全て受け入れた上で、なお「自分が好き」ということです。「私って欠点だらけだけれど、それでもめげずに一生懸命な自分がいいかも♪」という感覚です。
もちろん失敗や間違いをしでかした場合、一時的に自信喪失や自己嫌悪に陥ったりします。けれども、やがて時とともに心は回復してゆきます。自分のミスはミスとして受け入れ、マイナス部分をも肯定してゆく。自分で自分を見捨てない。
つまり、失敗や挫折があったとしても自己肯定感を保ち続ける、自分で自分を満たすことができる・・・そういう人が「自分が好き」な人というわけです。
では、自分のことをあまり好きではない人、もしくは嫌いな人の心の状態はどうでしょう。
自分をまるごと受け入れられない。自分で自分を満たすことができない。心にぽっかりと穴があいており、その穴を埋めるために、常に他者の心(評価や愛情)を求めている状態です。
「相手の評価・好意・愛情=自分の価値」というように、他者の自分に対する評価や感情が、そのまま自分の存在価値に直結してしまうのですね。
そのような人に恋人ができると、どうなるでしょう。
「相手の気持ちはどうか?」ということに全ベクトルが向いてしまう状態となります。
そして必ず次の段階に進むのです。
「次の段階」とはなんでしょう。恋愛関係が破綻する原因をつきつめてゆくと、ほとんどそこ行き着きます。(つづく)
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