どうしようもないこと | すべてはうまくいっている! 光と心の調和

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横浜の心理カウンセラー ロキのつぶやきブログ。
その人がその人らしく
『生まれてきてよかった!」
と思える人生のために。

「他人と過去は変えられない、けれども自分と未来は変えることができる」
という言葉は、人生相談やカウンセリングでも、切り札のようによく使われる言葉です。これは精神科医のエリック・バーンが最初に唱えた言葉だと言われています。
実は私も、ずっと以前によく使ったことがあります。
 
 
「変えられないもの(他人と過去)を変えようと、無駄に時間とエネルギーを費やさず、変えられるもの(自分と未来)にそれを注いでいこう」
あらたに再出発を促すとき、とても気の利いた言い回しです。
 

しかし、どうしても↑この言葉に納得できない、その人をがんじがらめに縛って離さない他人や過去もあるのではないでしょうか。

 
 
人がこの世に生まれるということは、生まれながらに多くのものを背負って世に出てくるということです。生まれるということについて、いっさいの選択権をもっていません。
 
 
私たちが生を受け身体を持った瞬間から、すべては始まります。
 
 
生まれた瞬間に、自動的に私たちは時代と場所という具体的な条件を背負います。
時代と場所(国・地域)によって、私たちは人類史的な現在という条件も同時に背負うわけです。
 
 
それは同時に、食べるもの、着るもの、生活習慣、倫理観、考え方等々、人として行うすべての流儀を引き受けることになります。
言い替えれば、特定の文化や政治や経済という環境も生まれながらに決められているということです。
 

どの時代、どの場所、どのような社会、どのような親兄弟のもとに、どのような状態で生まれるか、自ら選ぶことはできません。生まれながらに障害をもっていることも、本人の選択ではありません。

 
 
これは「どうしようもないこと」なのですね。
 
 
生物はたいていの場合、生まれ育つ環境にうまく適合して生きてゆきます。
 
環境はあたかも無色透明で存在しないかのように、それに違和感や不安を感じることはありません。
 
しかし私たち人間の場合には、生まれた時代、地域、家庭といった自分を取り巻く環境にストレスを感じます。なぜなら、自己認識があり、他者との差異を認知する知能をもっているからです。
 
生まれながらに背負わされている環境ですが、生きてゆく過程においてやがてひとつの事実に気付きます。
 
この世は固定されたものではなく、すべてが流動的に変化し続けている世界である
 
環境も変化し続けている。自分も変化し続ける。
 
自然環境も、自分自身も、社会情勢も、すべてが時間の流れとともに変化してゆくものであることに気付くわけです。
 
生まれた瞬間に「時間=変化」も同時に手に入れた私たちは、「どうしようもないこと」にひとつの対抗手段を見つけます。
 
それは「ものがたり」を創り出すこと。
 
どうしようもない過酷な生に翻弄された人々は、さまざまな物語を紡ぐことによって、生きる希望を見いだしてきました。
 
それは宗教であり、思想であり、イデオロギーであり、あらゆる主義「-ism」であり、理念であり、モラルでした。そして個人のつくり出す無数の、信念や信仰や自己啓発やスピリチュアル等々、それらもまた生きるための物語です。
 
 
過去に起きた出来事について、納得できる解釈を見つけること。未来について希望を見いだし目標をつくること。これも物語です。人が創る必然的な物語です。
 
起きてしまったことは「どうしようもない」事実です。PCのデータのように、事実を消去したり書き換えることはできません。しかし「事実」そのものは、それ以上のものでもそれ以下のものでもない、ただの事実に過ぎません。
 
事実に感情や価値を付随させるのは、個人の解釈によるものです。解釈というのは物語です。事実をどのように解釈するか、ということは、どう物語をつくるか、ということでもあるのです。起きてしまったこと、その解釈が、その人にとっての「過去」という物語です。
 
 
ひとつの物語に執着することで、新たな苦しみを生み出すことがあります。

「他人と過去は変えられない、けれども自分と未来は変えることができる。」
どうしてもこの言葉に納得できない、その人をがんじがらめに縛って離さない他人や過去もある、と書きました。


生きるために必死につくりあげてきた物語(過去)しかし今となっては重荷になってきている物語を、新たな物語につくりかえるのに、「他人と過去は変えられない、けれども自分と未来は変えることができる。」という物語程度では、自分には納得できない、とうてい受け入れられないということなのです。
 
環境や自己はつねに変化し続けるものです。したがって「どうしようもないこと」を説明し納得するための物語も、変化に応じて変えてゆくことも必要なときがあります。納得ができるまで、物語をつくりかえていく。それが精神的成長ということかもしれません。

その人にとって最高の物語は何でしょうか。

とても難しい問いであると思います。
その答えさえも、言葉にしてしまうことで物語になってしまいます。
しいて言うなら、自分の存在を肯定できる、自分を信じることのできる物語かもしれません。
 
自分にとって「どうしようもないこと」を、もっとも納得のできる物語によって受け入れていく。物語を紡ぎ続けることが、生きることです。
 
臨床心理学もまた、どうしようもない苦しみを抱えた心に、新たな物語をつくる術を提供するための、システムのひとつでもあるのです。
 
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