今はすっかり回復して元気なのですが、6月の後半、かなり久しぶりに体調崩して寝込んでおりました。
一週間ほど、全く食事もできない位の具合の悪さだったのですが、奇跡講座を学んでから、ここまで寝込んだのは初めてだったのである意味、これはチャンス!と思って、病気の時の心の動き、というものを改めて奇跡講座に照らしながら観察をしたりしていました。
そうするとやっぱり体調が悪かろうがなんだろうが(^-^;沢山の気づきがあり、とても学びが進んだ期間でもありました。
ひどい症状と共に過ごしていると、湧き上がってくるのは
過去に病気をした時の辛かったり怖かったりした記憶や、
何がいけなかったのかという原因探しや後悔の気持ちや、
このまま症状が改善しなかったら・・・という未来に対する不安や恐れ。
また、日常生活や仕事など、自分が担っている役目が果たせないことや、いつもと違う対応を周りに求めることへの罪悪感や、医療機関や薬に対する恐れや不信感も・・・
そして、神に見放されたような罰を受けているような悲しみや憤り、死を連想して生じる、孤独感や恐怖などでした。
見事に全て、自我の思考・感情でした。
これらの思考や感情が連鎖反応のように、順繰りにめぐってきて、他のことを考える隙間が全然ないことに気づきます。
ちょっと一瞬、別なことを考えてみようとしても、今度は肉体的な痛みや不快感にあっという間に意識を引き戻され、またそこから先ほどの連鎖反応が再スタートしてしまいます。
でも、こうやって改めて観察してみると、この連鎖反応、何も病気の時に限ったことではないなとわかります。
私たちは日々、テーマはなんであれ、同じ連鎖反応の中にいます。
家事をしていても、仕事をしていても、家族と話していても、職場の人と話していても、自分一人で何かしていても、誰かと何かしていても
同じように過去の体験の恐れや未来の不安を感じ、罪悪感や誰かに対する申し訳なさを感じ、願っても叶わないことがあれば何かに見放されたり、報われないと感じたり、なんて自分は孤独なんだ、でもそれはこれまでの自分のしてきたことの結果だと感じたりします。
ということは、同じように自我が働いていて、それを選んでいる、という意味で、病気の時だけが何か特別な状況なのではないということであり、
特別な状況なのではないとしたら、病気の時でも自我の思考システムから離れる、選ばないという選択を望めば平安でいることは可能だということ、
私たちは症状があっても平安を選べる、ということなのです。
治ること、をゴールにすると、治らない、治っていない今、はとても苦しいものでした。
これは、過去のアトピーや脱ステ、入院・手術をした時に強く感じていたことでした。
でも、ゴールを見直して、神に戻ること、全ては赦しの機会なのだと見方を変えれば、症状が出てる今は、ただの体験であってそれ以上でも以下でもなく、心は常に神と共にあることを思い出して、優しい気持ちで体を労わることができました。
そして、症状がおさまって治ってからも、今までだったら滞っていた日常のあれこれを一気に取り返さなければ!と焦り、躍起になっていたと思うのですが、ㅤ
そういうことも一切なく、優しい気持ちで一つ一つ手を付け直していけていることに、これまでの自分とは全く違うという実感を感じて、これもまた奇跡だよなあと感動しています。
本当に私たちはいつでも、どんな時でも選び直すことができるし、選び直せれば、どんなところにも希望の光や優しさを感じることができます。
長引く症状や、病気でお悩みの方に何か少しでも分かち合えることがあればと思って、駆け足のシェアではありますが、投稿させて頂きますね。
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