今週の前半クラスは、将棋。
後半クラスは、トランプを使ってスピードという
ゲームをしました。
前半クラスは、お子さんが一人だったため、
教室にあるゲームの全てがしまわれている
大きな引き出しを開けてもらい、
どのゲームをしたいかを決めてもらいました。
「二人でするゲームは、ひまわり教室では、普段
なかなかできないから。」と将棋を希望しました。
スタッフが「あまりルールを知らないんだ。」
「だから、うまくできないかも。」と言うと
その子は、すぐに自分の飛車と角行を「なしにする。」
と言って、私達にハンデを付けてくれました。
今までいろいろなゲームをするなかで、
「○○ちゃん、わからないと思ったら聞いてね。」とか
「○○ちゃん、先生とペアでゲームしようか?」とか
ハンデを受けることの多かった彼が、ちょっぴり嬉しそうに
「じゃあ、ぼくが弱くなってあげる。」と
話した姿を見て、嬉しくなりました。
だって、その言葉は、「ぼくが先生達を助けてあげるよ。」
という意味に私には聞こえたからです。
困っている子ども達を手伝ったり、助けたりすることが
「支援」だと大人は思ってしまいがちですが、
子ども達がとっても嬉しそうにしているのは、
誰かを助け、その人が喜んだときです。
母の日や父の日のプレゼントを作っているとき、
お手紙を書いているときもそうです。
「この人のために何かできた!」と感じたときに
嬉しくなるのは、大人も子どもも一緒なのでしょう。
支援者は、「支援する」ことだけに注目するのではなく、
「支援される」ことを体験し、「今、自分は支援されている」
と実感することも必要なのだろうと感じました。
「支援される」嬉しさや安心感をきちんと知っているからこそ
できる支援があるのだろうなと
彼を見て思いました。
後半クラスのスピードは、
二人とも初心者だったため、
初めはルールを確認しながら
ゲームを進めていましたが、
慣れてくると、
「もう一回!」「もう一回!」と
真剣に夢中で対決していました。
楽しく遊びながら、うまくなっていく…
これも望ましい形だなと感じました。
「何をして遊ぶか」より
「誰と遊ぶか」
が大事なときもあるのですよね。
ひまわり教室スタッフ 阿久津智子