クリぼっち?
長年クリぼっちなので、そんなに寂しいか??
と思ってしまいますが、若い頃はパーティーなんぞに勤しんでいたなぁ~と、過去を振り返ってみたりしています。
過去=思考ではないかい!!
なんて、言わないでね。
過去=記憶であり経験・・・そこに感情がつき物語りになると、思い出となり、トラウマとなり。
良い思い出にするも、嫌な思い出にするも、忘れてしまうも、自由です。問題が起きるのは、その過去に捕らわれてしまうことです。
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人は生まれるときも、死ぬときも、一人です。
大元に立ち返ったときも独りです。
ですが、大元に立ち返ったときの独りは、独りですが、一人ではありません。そこに孤独感や寂しさというものは影も形もなく、愛と至福で満たされています。
そのことを忘れてしまうと、独りでいることに不安や寂しさを覚えて、誰かといたい、沢山の仲間が必要だ、ところが今度は人間に不信を感じてしまい、ならばお金は裏切らない・・・
と、意識がどんどん外側へ向かっていってしまうのです。
だれも、なにも、裏切ることはありません。
表向き、そう思えることがあったとしても、元々独りです。結局自分が自分を裏切っているのと同じです。
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自分に誠実に生きてください・・
ということを聞いたことがあると思います。
自分の気持ちに素直になって・・・
ところがここにも落とし穴発見。
その自分の気持ち・・
その発端は、孤独や寂しさを埋めることからきていませんか?
嫌われたくないという気持ちや、独りは寂しいという気持ちや、もっと自分をわかって欲しいと相手を操作したい気持ち、それらの気持ちが発端となっていることに気づいたら、
ちょっと止まってみましょう。
頭の中のおしゃべりを確認しながらも、聞かず、流し、止まるのを待ってください。
この声は誰がしゃべっているの??と問いかけると、その声は止まります。
心を静めてみると、そこには、何の感情も問題もないことがわかると思います。
愛や至福を感じないかもしれませんが、問題はないはずです。
そこを起点に、もう一度自分の素直な気持ちを確かめてください。それでも、相手の言葉や態度がどうしても嫌なとき、そのときには、自分の気持ちのままを相手に伝える、
何かやりたいことならば、理由はないけどやってみたい
これができたら~だから
これをすると~だから
といった理由なしのとき、自己犠牲や自己満足ではない、それでいて周りの人のためならGOサインです。
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仲間を作ることが悪いのではありません。仲間といるときの自分の心がどこに在るかが問題なんです。
何かを成し遂げることが悪いのではありません。その動機が大切なんです。
孤独を感じたとき、独りになってください。この独りは、一人ではありません。
大元の、全体としての自分になる。ということです。
よくわからないときには、ただ、ただ、呼吸以外の全ての機能を停止します。呼吸があれば、心臓がとまることはありませんから、全部の機能をとめ、脳の機能も低下します。と自分に暗示をかけていきます、眠る前のような力の抜けた状態にまでリラックスして、静かにしていてください。
その時に、目を瞑り、内側に意識を向けたとき、身体の境は消えていることに気づくとおもいます。内側と外側の境界がなく、周りに溶け込むのを感じてみます
身体という境界がないあなたは、全体とひとつです。
そのことを感じてみてください。