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【脱・いい人BLOG】at WILLでいこう

京都の心理セラピスト長井啓悟が、セラピストの活動の中での気づき、学び、出逢いを綴っています。
at WILLとは「意のままに」「心のままに」「 思うままに」などの意味で、少しでもあなたにあなたの思うがままに人生を送っていただけたらという思いを込めました。

こんにちは、長井啓悟です。



「じつは今度ベンツ…買おうかなと思って。」

「おお、いいね!やったね!!」

「いやいや、違うんですよ、そんないいのじゃなくて…ただ子ども大きくなるし、ほら家族4人で軽ではさすがに手狭かなぁって、ベンツだったら丈夫だし、安全じゃないですか…」

ふーん、、、なんで?

そんなにベンツ一台買うのに、ベンツを買うことの正当性を訴える必要があるのかな?

いいもの持っちゃいけないの?

安全性とかいうならフォルクスワーゲンも充分丈夫だよ。

広いのがいいならバンとかワゴンとか国産でもたくさんあるよ。

ちがうでしょ?

ベンツが欲しいんでしょ?

あなたなりのメルセデスでなければいけない理由があるわけでしょ?

買えるだけの経済力があるなら買えばいいじゃない?

なんでそんなに言い訳が必要なのか?

あなたがベンツを買うと誰かが困るのかな?迷惑かかるのかな?

それとも誰かに怒られるのかな?

そんな高い買い物して!贅沢して!って。

そもそも欲しいに理由がいるか?

見栄を張りたい、を見透かされたくないからか?

妬まれたくないから?
だとしたら自意識過剰だよ。

はたまた贅沢は悪か?

どんな理由であれ、動機が不純だろうがなんだろうが、欲しいものは欲しい。

それを手に入れる喜び、価値観は人それぞれ。

そりゃ我慢もときには必要ですが、そればっかりじゃなかなか自分を満たせないことだってあります。

見栄を張ることを別に勧めはしませんが、贅沢でも何でも一回手に入れてみないと、何事も経験してみないことにはわからないこと、感覚ってありますからね。

人から奪ったり、迷惑かけたりしないなら手に入れればいいだけの話。

純粋に欲しいものを手に入れる喜びだったり、感動を味わうことがなぜいけないの?

素直にほしいと手を出してみることって、特別を体験することって決して悪いことではないと思うのです。

そんなに引け目感じながらせっかくベンツを買ったって、果たしてうれしいでしょうか?楽しいでしょうか?

メルセデスを買えない人、買ってはいけない人…

そうなってしまってる人、日本人はとくにこういうタイプの人は多いのではないでしょうか。

以前、ちゃんと経費や生活のために必要なお金を差し引いて貯金もして、それでも余ったお金で車を買う、つまりそれが自分へのご褒美みたいなことが書いてある本を読んだときは、なるほどもっともだなと共感したりもしました。

たしかにもっともかもしれませんが、とても斜めから見た解釈をすれば、罪悪感を感じなくていいお金の使い方を説いているだけのように、今となっては感じなくもありません。

ベンツが好きなんです!憧れだったんですよ!一度は乗ってみたくて、ほしくて頑張ったんですよ!
それで今度やっとベンツを買えることになったんです!!

それくらいの勢いで手に入れた方がずっとよろこびも満足度も大きいし、周りもおお、よかったね!って祝福してくれるものですよ。

そう、あなた自身が満たされることが大事ですよ。

贅沢をしてはいけない。

高いものを買ってはいけない。

いや、ものを買ってはいけない。

いやいや、金を使ってはいけない。

みんなと違うことをしてはいけない。

特別なんて必要ない。

ひいては金はよくないもの、汚いものだと。

誰が言った?

高い買い物して誰に怒られた?

無駄遣いしてはいけませんって、まだどからか聞こえてくるのはなぜ?

何に対して、罪悪感を感じている?

誰に対して言い訳をしてる?


そこと向き合わない限り、ずっと本当の思いにフタをし続ける、ブレーキをかけ続ける生き方、楽しめない、喜べない人生になりますよ。

これはべつにお金や買い物に限ったことでなく、何かをやりたいと思っても周りの反応が気になって二の足を踏んでしまうなど、あなたの心に人生に少なからず影響を与えているものだと断言できます。

自分を満たそうとする度に罪悪感を覚えたり、引け目を感じるのって苦しくないですか?

そういうところから自由になれよ。

というお話でした。


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こんにちは、長井啓悟です。

「自分回帰って?本質とか自分らしさってなんですか??」

「自分軸ってよく聞くけど、わたしにはよくわからないのです。」

未だこの質問をいただく度にドキッとします。

僕自身、まだまだ明確にはなっていません。

「人それぞれです。」

と言ってしまえば身も蓋もないのですが…。

抽象的ではありますが、自分自身に、日々に、人生に充分感謝し、満足できていてこそだとは思います。

でもそこを追求していく姿勢、生き方こそが本当に大切だと断言できます。

やっぱり自分でみつけるものだとも思うのです。

人間は生きるために生まれてくる。

まず生きることが前提なのです。

まずは生きていくための、生き抜く強さを心身ともに身につけることは大切であり、至極自然であると思うのです。

今日を今を、そしてまた明日を生きていくために、いろいろな歓び、ときに悲しみや傷みにぶつかって、ぶつかって、磨かれて磨かれて強くなっていくものです。

ここでいう強くなるって、虚勢をはることではないのです。

いろんなものにぶつかりながら磨かれていくうちに、自分の弱さやネガティヴな部分を知る。

そして、そうやって磨き抜かれていく過程で、今まで見えなかった自分の素晴らしさが光を放つ。

その全てを受け入れる潔さを身につけたり、傷つく中からも生身の弱さ脆さを知ることで人に優しくなれたり、それでも自分は大丈夫なんだという根が心にしっかり張ることだと思うのです。

やれ成功論だとか幸せな生き方、がんばらない生き方がどうとか、心理やスピリチュアルがどうとかいう前に、今を自分自身が生きているという現実を真っ直ぐに見ることです。

その真っ只中にいるありのままの等身大の自分をしっかり見つめる。

自分に、現実に真正面から向き合って生きる。

自己啓発だったり心理だったり、スピリチュアリズムなんかは、そこにちょっとしたヒントや気づきを促すエッセンスにすぎないと思うのです。

あなたの人生を決めるのはそれらでもなければ、親でも周りにいる誰かでもない。

行動するのはあくまで自分、中心にあるべきはあくまで自分。

そう、生きるのは自分。

自分の人生の主人公は自分とはそういうこと。

まず自分に視線を戻す。

自分に還る。

自分回帰しませんか。

途中、迷ったらお話くらいは聞きますよ。

知ってることや、僕の経験したことくらいはお話させていただきます。

途中、疲れたらお身体緩めますよ。

僕でよければ。

そんな存在でありたいです。

僕自身セラピストだとか、本当にもう言葉や肩書きにこだわりも執着もないのです。

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こんにちは、長井啓悟です。

子どもが犠牲になる、しかも常軌を逸した凄惨な事件が多過ぎる。

胸が痛い。

本当に胸が痛む。

今ほどクローズアップされなかっただけで、昔からこの手の事件はあった。

やはりこれだけ頻繁に不幸な事件がおこる背景には、人それぞれが多様化するストレスにさらされ続けながらも、痛みを感じることさえままならない、現代日本の抱える闇の部分も大いに手伝ってのことだろう。

子ども含め、弱者へと向けられる身勝手かつ凶悪なエネルギーは、悲しいかな威力を増すばかりな気がしてならない。

そのドス黒いエネルギーの根底にあるものは、親から愛されなかった、あまえたいときにあまえられなかったという思いに起因する無価値観、自己否定、そこから生まれる悲しみ、怒り、嫉妬…

親の存在、責任は大きい。

はかりしれない。

自らの力で生命をつなぐことの出来ない子どもにとって、親は絶対的な存在であり、その絶対的存在に愛されない以上生きる術のない子どもにとって、そこには選択の余地すらないのである。

だからこそわずか3歳という短い生涯を、決して望まぬ形で閉じねばならなかったお子さんたちの無念と絶望といったらはかりしれないものであったろうに…

狭山市の事件、東京の事件、言いたいことは山ほどある。

今は長くなるのでここではやめておく。

ただこの二つのあまりにもかわいそうで理不尽な事件。

ニュースをみただけでこれほど涙が溢れたことは後にも先にもそうはない。

ただ、大切なことは、加害者を憎み、犠牲になった子どもたちに同情し、感傷に浸り、己の無力を嘆いているばかりではなんの解決にもならない。

無論、具体的かつ強力な抑止力となる方法を考えることが必要であり、急務である。

そして慈しむべき何の罪もない小さな命がいとも簡単に奪われ、本来愛すべき、守るべきはずである親やその周りにいる人間から脅かされているという現実。

私たちの生きる日本という国が今、わずかな思いやりや優しささえも失い、これほどまでに病んでいるという事実に私たちは目を背けてはいけないのでないか、この国に、社会に暮らす一員としての責任ではないかという思いを禁じ得ない。

自分には関係ない?

果たしてそうだろうか。

誰もが多かれ少なかれ心の中に満たされない思い、心の奥底に埋もれさせた悲しみや怒りといった闇を抱えているもの。

そしてそれらはいつ爆発してもおかしくないのである。

今こうして犠牲になった子どもたちの側に立って思いを吐露している自分でさえ例外ではない。

「いつ、自分が加害者になるかわらない。我々は誰もがその可能性をはらんでいる。」

ピンとこない方もおられるかもしれない。

でも、そのことを片隅にもって生きることこそ、人間とはときに恐ろしいほど冷徹で残酷な存在になりうるということをそれぞれが自覚し生きることこそ、人として自分はもちろん、他の存在、すべての生命を慈しむ心を育む最低限の「愛」ではないだろうか。

日々、人の心と身体の傷みやストレスに向き合う人間として、なにかできることがあるのではないか?

今こそやるべきことがあるのではないか?

ここ数日、そんな思いに心が音を立てる自分がいる。


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こんにちは長井啓悟です。

随分ブログを更新しないでいるうちに年も明けてしまい、あけましておめでとうございますとご挨拶を申し上げるにはすっかりタイミングをはずした時期になってしまいました。

今年もこんな感じで不定期な更新になるかもしれませんが、本年もどうぞよろしくおつきあい願えればと思う次第です。



さて。

「成功」というみなさんはどんなことを思い浮かべますか?またどんなイメージをお持ちでしょう?

自己啓発やしあわせな生き方系のセミナー、本なんかでも必ずと言っていいほど出てくるテーマでもあり、キーワードでもあるこの成功という言葉のもつ意味。

もちろん受け止め方、解釈は人それぞれだと思うのですが、どのセミナーや本でも、初めのうちこそ幸せな生き方とは、幸せな人間関係、パートナーシップの築き方とはといったテーマを掘り下げていくものの、その延長線上にあるもの、その結果もたらされるものが経済的豊かさであり、イコールそれが成功と錯覚させるようなオチ、定義付けがなされているものがあまりにも多いように感じてならないのは私だけでしょうか?

年収がいくら以上なら成功だの、幸せな金持ちだの、以前はそんなことを真に受けてせっせとそんなことを教えるセミナーや勉強会にも通ったものでしたが、今となっては興ざめです。

やれ社会貢献だの、人間的成長だのいうけれど、結局はそれを測る指標となるものが経済的豊かさというところに着地するのであれば、わざわざ幸せに成功する生き方だの方法だの、回りくどい言い方をせずに、金持ちになるための方法であったり、金持ちになるための生き方と謳えばいいと思うのです。

そもそもお金が悪いとか、稼ぐことがいけないと言っているのではありません。

日本のような資本主義経済の世の中に於いて、お金は必要不可欠なものであり、あればあるにこしたことなく、ある意味これほどスタンダードな存在はありません。

つまりお金は特別なものではないということです。

対する「しあわせ」の本質は、金銭的、物質的なものではない、たとえばやりがいであったり、好きなことと共に生きるライフワーク的なものであったり、家族や恋人、気のおけない友人らと共に過ごす時間であったり、もっと特別なもの、より心を満たすところにあるものだと私は考えます。

もちろん、私が今さら申し上げるまでもなく、こんなことはあたりまえのことだと思いますが、こと発信される幸せ論、成功論の行き着く先がイコール経済的成功、年収いくらの世界であることに違和感を覚えてなりません。

年収なんて多い方がいいに決まっています。

貯金がいくらあったって困ることなどありません。

ただ、決して年収や貯金の額の大きさで人間の、あなたの価値が決まるのではありません。

けどそれがイコール成功だというのであれば、人間はより効率的かつ効果的にただひたすら働き、ビジネスを構築するためだけに生まれてくる存在であることを自ら全肯定しているのと同じような気がしてならないのです。

生身の人間が、心を持つ人間という存在が決してそんな無機質なものではないと思うのです。

だってもしそれが本当に、真の幸せであり、成功であれば、なぜ経済的には満たされていても、心が満たされない、自分にはなにもない、生きていることさえむなしいと苦しむ人が後を絶たないのでしょうか。

逆をいえば、成功イコール経済的豊かさという偏った考えや教えが、自分は自分の好きなこと、やりたいことをやっている、けどたいして稼げてもいないし経済的には決して楽ではない、だから自分はやっぱり間違っているのかもしれない、不幸なのかもしれないというネガティブな考えを助長している部分も決してないとはいえません。

じゃあ貧しくて食べていくのさえ困難な状況でも心の赴くままに、その日暮らしのようなことを続けていればいいと言っているわけではありません。

経済活動は必須です。絶対必要なわけです。

だから人間は「頑張る」のです。

もうがんばらなくていい、がんばるのやーめたじゃなく、がんばるのですよ。

頑張らなきゃ。

経済は決して特別なものでなく、それを支えるベースであり、必要不可欠、スタンダードなもの。

それ自体が成功とか幸せではないが、とても大切なものには違いない。

好きなこととか、やりたいこととか、頑張った先にこそ実現するもの。

その過程を充実した時間の流れの中で実感し、自然と感謝し、ときに愛する人たちと共有しつづける人生。

自らが選び、生きたいと願う人生を実現できること、実現し続けていくこと。

そのためにも健康であったり、大切なもはいくつもありますね。

成功とは、幸せとはそういうものではないか。

僕はそんなふうに思うのです。



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「嘘ついてるやつの言ってることが信用されて、本当のこと言ってるやつが嘘つき呼ばわりされる。」

「しかも友達だと思ってた人間までが、嘘をついてるやつの云うことを信用してる。」

こういうのってよくある話。

けどそんなもんなんだよ。

狭い世界でくだらないパワーバランスの中で薄っぺらい自分を誇示してるやつ、そんな上っ面だけみて媚びへつらいそれにしがみついてるやつ。

くっついたり離れたり、手のひら返しは日常茶飯事。

人間力じゃなく、物や技術や知識だったり、経済的成功ばかりを盾に人を集めてるようなやつも、それに群がるやつらも、やってることも見てるとこもそんなもんだよ。

もともとはそうじゃなかったのかもしれないけど、忘れていくんだよ。

みんな手に入れると保身に回るから。

でもそれが人間の弱さでもあるわけ。

だからって怒っても嘆いても弁解しても、そいつらを責めてもバカにしてもなんも変わらないんだよ。

変えられるのは自分と未来だけ。

理不尽なようだけどね、ハメられるようなことを言われたりされたりする側にも、そうなる要因や隙があるわけ。

相手にそう言わせる、させる何かがあるわけよ。

いや、僕は自分がそうだからよくわかるの。

だから常に自分を省みることは必要なわけよ。

でね、さらに酷な言い方だけど、今のまんまじゃハメられてるほうが負け犬なんだよ。

だから力をつけないとだめなんだよ。

まともなやつが力つけないと。

まともなことを、正直なことを正直に受け止めさせられる、そういう自分でいないとね。

バカが金持ってもろくなことないし、力を持ってもせいぜい、かしずくやつらハベらせて自分をいい気持ちにさせたり、弱いものいじめみたいなことに使うだけ。

そういうの反吐が出ると思うなら、さっさと離れることだよ。

そんなことしたら何を言われるかわからない?

どの道言われるんだよ。

そこを恐がってたら自分の人生なんてとても無理。

さっさと力をつけて、強くなることだね。

そのとききっとわかるよ、そいつらの恐れや弱さ、そして自分にもそれと同じものがあったと認め受け容れる自分の潔さ、強さが。

きっと感じるはずだよ。

我慢じゃなく、全部赦せる自分の愛という器の拡がりを。

だからそれまでは何も言うな。

復讐なんてくだらんことに命を削るな。

自分を責めるなんて愚かなことはやめよう。

信じた道で力をつけろ。

最後に勝つのは自分を信じる力、自分を生きる強さ、そしてあなたの愛なのだから。

頑張れみんな!

頑張れ、オレ!


ありがとうございました。



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