■人の弱さが許せない | 【脱・いい人BLOG】at WILLでいこう

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京都の心理セラピスト長井啓悟が、セラピストの活動の中での気づき、学び、出逢いを綴っています。
at WILLとは「意のままに」「心のままに」「 思うままに」などの意味で、少しでもあなたにあなたの思うがままに人生を送っていただけたらという思いを込めました。

指先で心の緊張を緩めるセラピスト長井啓悟です。


人の弱さが許せない。

甘える人、すぐ誰かに頼る人、弱音や愚痴を吐く人、すぐに泣く人・・・・・。


「甘えるな!!」

「ちょっとは自分でなんとかしろ!!」


そんなふうに思うことなかったでしょうか?

僕も最近までそうでした。

そんな自分に自己嫌悪でした。

でも、やっぱりそう感じてしまうことが多かった。

ちょっと話はズレますが、自己啓発系のセミナーなんかに行くと比較的ありがちなのですが、講師の発する言葉や、そこで行われるワークに逐一敏感に反応して、ほとんどセミナーに参加せず一日中泣き続けていたり、近くにいる人と手当たり次第ハグを繰り返す人、突然大声を張り上げるなんてパターンもあったり・・・。

そういうのがとても嫌で、だんだんそっち系のセミナーとかには行かなくなったのですが、正直そういうタイプの人を「せっかくお金払って時間割いて来てんのに何やってんの?そんなだからどこ行ったって駄目なんだよ・・・」なんて思ったりしていました(ごめんなさい)

人間は幼少期にしっかり親に依存して、自分は愛されているんだ、存在しているだけで価値があるんだという感覚を身につけていきます。

ただ残念ながら100%誰もがそうやって親からの愛をしっかりと抱きしめて、依存の世界から飛び立っていくわけではありません。

愛情なんてもらってないと思い込んでいるだけというパターンもあるのですが。。。

心理の世界では例えばパーソナリティ障害だったり、さらにそのなかの○○障害といった言葉で表現されたりもするのですが、要は依存すべきときに依存すべき人から、依存すべき環境で依存ができていなかった場合にこういった傾向がみられます。

大人になってそのことに気づくからちょっとばかし厄介、だけど気づかないより全然いい、気づいたときにその感情ときちんと向き合って、本当は今だって自分はちゃんと愛されているんだ、存在しているだけで価値があるんだということをしっかりと確信してしまえば、人は自分の思う人生を生きられるようになっていくものなんですよね。

ただ、実社会というものは決して優しいだけの世界ではありません、セミナー会場のような安心安全が約束された場所ではありません。
そこを勘違いして飛び立つタイミングを間違うと、いわゆるセミナー難民や信者と呼ばれる二次的依存を発症してしまうんですよね。。。

という小難しい話がしたかったわけではなく・・・。

弱さを見せる人に対して反応してしまうのは、僕も含めてそういうタイプの人は「人に弱みをみせてはいけない」「強くなければならない」「人前で泣いてはいけない」
そして甘えさせてもらえなかったから、甘えたり頼ったりした記憶がないから、甘えることは悪だとさえどこかで思い込んでいたりするから「人に甘えてはいけない」「人に甘えたり頼ったりする依存的なやつは最低だ、許せない!」となってしまうのかもしれないね。

ではその裏にある真理とは?

甘えてはいけないと思っている人は、本当はそうやって自分の弱さをみせるのが恐くて恐くて、強がっているのかもしれない、実際僕がそうだった。

逆を言えば素直に甘えられる人をみて羨ましく感じたり、それができない自分が嫌だったり、そこに自分がトラウマになっているような記憶がよみがえったり・・・。

あと僕自身これはよくあるんだけど、頼られてもそれに応えられない、キャパのない、器の小さい自分を期せずして見せらてしまったことへの複雑な思いが悲しみとなり、やがて怒りとなって「僕に、わたしにこんな思いをさせるやつは許せない!」というキーワードが導きだされるのかもしれないね。

なんかこうやって書くと、人間てひとつのことにいろんな感情や思考が乗っかってたり、くっついてたりするから本当に面倒ですよねショック!

僕自身「助けて」だなんて、そんなこと言っちゃったらたちまちプライドはズタズタにされて、馬鹿にされて、笑い者にされて、袋叩きにされて、明日からの生きる場所さえなくなってしまう、それくらいの勢いで頑なに自分をさらけ出すことを拒んできたから。

こうやって考えると、僕も含めて人は「恐れ」から行動してることが多いよな・・・。
というより恐れに支配されてる!?

なんだかテーマが複雑になってきましたので今回はこの辺で。


ありがとうございますクローバー

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