あたしは、リセットするのが、好きだと思う。
というか、リセットが必要な人間だと思う。
何かが終わる度、関連資料を処分する。
そして次に行く。
多分、モノごとが(目に見えるものでも、見えないものでも)
溜まっていくことに対する耐性がないのだと思う。
余裕が欲しいのだと思う。
特に、物理的なspaceが。
今は便利なもので、CDだって、ituneに入れてしまえばいい。
ものごとは、「どこに行けば、どういう手段を使えば、それが手に入るのか?」
それさえ知っていれば、所有する必要はないように思う。
本とかは、ちょっと事情が変わってくるけれど。
実家が大きくて、余裕があるのであれば、所有しておきたい気持ちがないではないけれど。
やっぱり、セルジュ、憧れは捨てきれないんだよ。
「いつでも、トランク一つで、俺はどこにでも行ける」
ってことに。
持ちすぎると、動けなくなる。
少なくとも、動くことが億劫になる。
躊躇する材料は、少ない方がいい。
ロンドンに行くために、荷物や手続きをちょこちょこやっていると。。。。
モノごとの筋道を、シンプルに見るようになったもんだな、と思った。
でも、あたし、ずいぶんと昔と変わってないな、とも思った。
引っ越しをしても、必ず持っていくもの、というのがある。
あたしはモノを捨てて後悔しているのは1つだけあって。
それは、1995年から休刊するまで、ずっと、一度も欠かすことなく
愛読していた「olive」という雑誌。
これだけは、一つも捨てずに引っ越しとともに持っていっていたというのに。。。。
トチ狂った社会人1年目の引っ越しにて。
すべて、処分してしまった。。。。。
国会図書館に行けば見れるかなあ。。。。
マガジンハウス、入りたかったなあ。。。。
でも、あたしが卒業した時は、新卒採用、やってなかったんだよねえ。。。。
フェリシモに次いで、入りたかった会社だわ。。。。。
ちなみに、大学時代、趣味と卒論研究材料のため、という言い訳のもと、
あたしは、そりゃあたくさんの雑誌を読みあさった。
主に、ファッション関連雑誌だけど。
そして、ひとつ、数をこなしたことで、身につけた勘がある。
それは、「雑誌のパワーが計れる」こと。
具体的に言えば、雑誌を読むだけで、奥付を見ることなく、
編集長が変わった瞬間が分かる。
そして、今はもう分かんなくなったけど、クレジットを見なくても、
スタイリストが分かったりした。
ブランドが分かったりもした。(ロゴとかなくても)
数をこなすことで理解できることがある、というのを、
身体で学んだ、と思った。
ちなみに、雑誌は、基本的に短命な媒体だけど。
特にファッションなんて、はやり廃りがあるから特にそうだけど。
あたしには、ずっと保存している雑誌がある。
(olive捨てちゃったけど。でも、「元olive少女」だから、今のあたしが形成されたように思う)
今から6年前の2003年2月号の「FIGARO japon」

だって、今見ても、この号のLOOKSは好きだと思うんだ。
「好きなものって、ずっと変わらない」とは思わないけど、
消えない定番、とかはあると思う。
身体で学んだことであと一つ覚えているのは、ピアノ。
ピアノは、5歳から18歳まで習っていた。
とても運がいいことに、あたしは、比較的、いい先生に出会えていたと思う。
(YAMAHAだったので、2年ごとに変わっていた気がする)
最後の、13歳から18歳まで習っていた先生は、
特に影響を強く受けた先生で、その練習法は
「運指法←バイエルとか」と「曲」の2本柱だったこと。
つまり、基本と応用。
どれだけ長く続けていることでも、基本はおろそかにしてはいけないのだし、
それがあるから、いつでも新しい曲にチャレンジできるのだ、ということを、
身体で学んだ。
そして、あたしはショパンと相性が良かったのだけど、
どんな曲だって、かっこ良く弾きたい、と思ってしまうから、最初から
タラタラタラチャララン♬
と、弾いてみたいものなのだけど(特にショパンは横流れなメロディーだし)、
じつはそうじゃない、ということを初めて教わった。
最初は、どんなにかっこわるくてもいいから、確実に、指が覚えるまで、
ゆっくり、ゆっくり、弾いていくのだ。
タラ、タラ、タラ、チャ、ラ、ラン、(語尾に♬なんか付かないくらいに)
これを、1曲終わるまで、ほんとーに、確実に、確実に、モノにしていく。
そして、1曲できあがったら、そこで初めて、クレッシェンドとか、つけていく。
もっともっと、自分のものにしていく。
そうすると、ほんとーに、指が覚えてくれる。
発表会の舞台。
あたしは毎年、幽体離脱していた、と思う。
舞台の上では、あたしの意識は、明らかに飛んでいた。
むしろ、飛ばしていないと、緊張でうまく弾けたもんじゃなかったと思う。
でも、きちんと練習しないと意識は飛ばないのだ。
唯一、意識に邪魔された発表会は、中学2年生。
練習不足を悔いたし、恥じた。
意識なんて、飛ばしとけばいいんだ。
だって、きちんと練習を重ねた日々は、指がすべて叶えてくれる。
舞台の上で、あたしの意識なんて邪魔だった。
演奏が終わった後の安堵。
あれをもう、10年味わっていないのだ。
人生で、5つくらい、楽器が演奏できればいいなあ、と思う。
ピアノは、声の次に美しい楽器だけど、
今度は、持ち運びが出来る楽器がいいな。
管楽器ならサックス
弦楽器ならチェロ
でも、オリンパス神話も好きだから、
ハープもいいな(←イメージでモノ言ってるだけ?)。
久しぶりに、どっぷりと、音楽に浸かりたいな。
幽体離脱したい。
歳を重ねるたびに、人生が楽になっている気がする。
戻りたい日々なんてない。
というか、リセットが必要な人間だと思う。
何かが終わる度、関連資料を処分する。
そして次に行く。
多分、モノごとが(目に見えるものでも、見えないものでも)
溜まっていくことに対する耐性がないのだと思う。
余裕が欲しいのだと思う。
特に、物理的なspaceが。
今は便利なもので、CDだって、ituneに入れてしまえばいい。
ものごとは、「どこに行けば、どういう手段を使えば、それが手に入るのか?」
それさえ知っていれば、所有する必要はないように思う。
本とかは、ちょっと事情が変わってくるけれど。
実家が大きくて、余裕があるのであれば、所有しておきたい気持ちがないではないけれど。
やっぱり、セルジュ、憧れは捨てきれないんだよ。
「いつでも、トランク一つで、俺はどこにでも行ける」
ってことに。
持ちすぎると、動けなくなる。
少なくとも、動くことが億劫になる。
躊躇する材料は、少ない方がいい。
ロンドンに行くために、荷物や手続きをちょこちょこやっていると。。。。
モノごとの筋道を、シンプルに見るようになったもんだな、と思った。
でも、あたし、ずいぶんと昔と変わってないな、とも思った。
引っ越しをしても、必ず持っていくもの、というのがある。
あたしはモノを捨てて後悔しているのは1つだけあって。
それは、1995年から休刊するまで、ずっと、一度も欠かすことなく
愛読していた「olive」という雑誌。
これだけは、一つも捨てずに引っ越しとともに持っていっていたというのに。。。。
トチ狂った社会人1年目の引っ越しにて。
すべて、処分してしまった。。。。。
国会図書館に行けば見れるかなあ。。。。
マガジンハウス、入りたかったなあ。。。。
でも、あたしが卒業した時は、新卒採用、やってなかったんだよねえ。。。。
フェリシモに次いで、入りたかった会社だわ。。。。。
ちなみに、大学時代、趣味と卒論研究材料のため、という言い訳のもと、
あたしは、そりゃあたくさんの雑誌を読みあさった。
主に、ファッション関連雑誌だけど。
そして、ひとつ、数をこなしたことで、身につけた勘がある。
それは、「雑誌のパワーが計れる」こと。
具体的に言えば、雑誌を読むだけで、奥付を見ることなく、
編集長が変わった瞬間が分かる。
そして、今はもう分かんなくなったけど、クレジットを見なくても、
スタイリストが分かったりした。
ブランドが分かったりもした。(ロゴとかなくても)
数をこなすことで理解できることがある、というのを、
身体で学んだ、と思った。
ちなみに、雑誌は、基本的に短命な媒体だけど。
特にファッションなんて、はやり廃りがあるから特にそうだけど。
あたしには、ずっと保存している雑誌がある。
(olive捨てちゃったけど。でも、「元olive少女」だから、今のあたしが形成されたように思う)
今から6年前の2003年2月号の「FIGARO japon」

だって、今見ても、この号のLOOKSは好きだと思うんだ。
「好きなものって、ずっと変わらない」とは思わないけど、
消えない定番、とかはあると思う。
身体で学んだことであと一つ覚えているのは、ピアノ。
ピアノは、5歳から18歳まで習っていた。
とても運がいいことに、あたしは、比較的、いい先生に出会えていたと思う。
(YAMAHAだったので、2年ごとに変わっていた気がする)
最後の、13歳から18歳まで習っていた先生は、
特に影響を強く受けた先生で、その練習法は
「運指法←バイエルとか」と「曲」の2本柱だったこと。
つまり、基本と応用。
どれだけ長く続けていることでも、基本はおろそかにしてはいけないのだし、
それがあるから、いつでも新しい曲にチャレンジできるのだ、ということを、
身体で学んだ。
そして、あたしはショパンと相性が良かったのだけど、
どんな曲だって、かっこ良く弾きたい、と思ってしまうから、最初から
タラタラタラチャララン♬
と、弾いてみたいものなのだけど(特にショパンは横流れなメロディーだし)、
じつはそうじゃない、ということを初めて教わった。
最初は、どんなにかっこわるくてもいいから、確実に、指が覚えるまで、
ゆっくり、ゆっくり、弾いていくのだ。
タラ、タラ、タラ、チャ、ラ、ラン、(語尾に♬なんか付かないくらいに)
これを、1曲終わるまで、ほんとーに、確実に、確実に、モノにしていく。
そして、1曲できあがったら、そこで初めて、クレッシェンドとか、つけていく。
もっともっと、自分のものにしていく。
そうすると、ほんとーに、指が覚えてくれる。
発表会の舞台。
あたしは毎年、幽体離脱していた、と思う。
舞台の上では、あたしの意識は、明らかに飛んでいた。
むしろ、飛ばしていないと、緊張でうまく弾けたもんじゃなかったと思う。
でも、きちんと練習しないと意識は飛ばないのだ。
唯一、意識に邪魔された発表会は、中学2年生。
練習不足を悔いたし、恥じた。
意識なんて、飛ばしとけばいいんだ。
だって、きちんと練習を重ねた日々は、指がすべて叶えてくれる。
舞台の上で、あたしの意識なんて邪魔だった。
演奏が終わった後の安堵。
あれをもう、10年味わっていないのだ。
人生で、5つくらい、楽器が演奏できればいいなあ、と思う。
ピアノは、声の次に美しい楽器だけど、
今度は、持ち運びが出来る楽器がいいな。
管楽器ならサックス
弦楽器ならチェロ
でも、オリンパス神話も好きだから、
ハープもいいな(←イメージでモノ言ってるだけ?)。
久しぶりに、どっぷりと、音楽に浸かりたいな。
幽体離脱したい。
歳を重ねるたびに、人生が楽になっている気がする。
戻りたい日々なんてない。

持ってないし
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には、ほんとにいろんな生き物がいるんだなあ。







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