7月のうちで開催している
読書会の課題本は2冊。
2冊ともウイリアム・スタイグの作品。
「ぬすまれた宝物」の感想を書こうと思ったけれど、書けなかったのです。
ページ数はさほどないのに
色々考えさせられたから。
「ぬすまれた宝物」
ウイリアム・スタイグ 作
金子メロン 訳
評論社
王室の宝物殿から宝物がぬすまれた!
クマの王様は見張役のガチョウのガーウェインを疑う。
信じていた友人たちにも背をむけられ、怒り絶望したガ-ウェインは姿をけしてしまう。
そして真犯人は…?
それぞれが自分の弱さに苦しみ許し合うようになるまでを、温かいユーモアで描く。
ガチョウのガーウェインは
みんなから宝物を盗んだと疑われた。
ガーウェインにとって、
信じていた王さま、友人が
自分のことを信じてくれなかったことが一番絶望し辛かったことなのだろう。
そのためか
あっさりと真犯人を許してしまい、
犯人が宝物を盗んだことを
犯人自身は後悔し苦しんだのだからもうそれで十分。
誰にも口外しなくていいと言う。
真犯人は たまたま偶然にも宝仏殿に入られる隙間を見つけてしまった。
入ったらそこには美しい宝物の部屋。
美しいものに心動かされ、美しいもの(ルビーなど)が
自分の部屋にあったら、さぞ素敵な部屋になるだろう。
と誘惑に負けてしまい、美しいものを家に持って帰ってしまう。
後々自分のちょっとしたことによって
ガチョウのガーウェインが罪に問われることになるとは思ってもいなくて
盗んだことを後悔し、
家にもってきた美しい宝物を宝仏殿に返す。
宝物を盗んだ犯人。
ガチョウのガーウェインの裁判の時に
宝物を盗んだ犯人は自分だと名乗り出られなかった犯人。
このような出来事は
日常でも起きたりする。
壊すつもりはなかったのに
ちょこっとだけ実家の家具に
傷つけてしまって告白しなかったとか
こっそり人のおやつを食べちゃった時とか
自分がやったことを問いただされた時に
つい「知らない」とか言ってしまうとか
これくらいなら赦せる?
赦せることとそうでないことの境界は?
宝物(高価なもの)を盗んだのだから罪を問われるべき?
赦されない?
私がこの本を読んだ時は
犯人が宝物を盗んだことを私は赦せたのです。
ちょっとした過ちもあるよねって。
どちらかというと
ガチョウのガーウェインを信じられなかった友人たちが残念でした。
(私が作中で印象に残った箇所)
ガーウェインがこんなに嫌な目にあったと言うのに、どうしてこの世界はこんなに美しいのでしょう。湖は綺麗です。穏やかな美しさです。森もとても綺麗です…略…。ガーウェインはここが大好きでした。でもこの世界を楽しむには傷つきすぎていました。(p77)
「きみが、どんな辛い目にあったのか。僕にはよくわかるよ。僕たち2人とも苦しいって、どんなことかわかってるのだもの。でもね…略…ぼく、ぜったい許さないからね」
「でも、みんなも辛い目にあったんだよ」と、デレックが言いました。(p83)
デレックはガーウェインの足にそっと触りました。これです。友達に触られる感じです。この暖かさ。ガーウェインが、とっても長いこと飢えていた感じです。ガーウェインの心が和らぎました。(p84)
誰がやったのかわからないほうがいいんだよ。不思議に思わせといて。本当の事は絶対に教えないことにしようよ。みんなには人を信じる心が欠けているんだからそれで当然さ。(p87)
(ガーウェインは)みんなの欠点がわかったので、今度は賢いやり方で、みんなを好きになりました。(p91)
再びこの王国は平和で秩序ある国になりました。最高の状態なのに時々ちょっとしたゴタゴタが持ち上がりましたけれど。でも何もかもすっかりうまくいくと言うわけにはいきませんものね。(p92)
P83でガーウェインは信じてもらえなかったことを
「絶対許さない」と言い放っているのですね。
犯人は自分のした罪を告白し償わないのが腑に落ちない
と言う意見も読書会の中ではありました。
その理由(そんな風に思う経緯)を聞くと
その気持ちも分かるし、
そう思ったら
想いがまとまらなくてこの読書会の記事が書けませんでした。
結論をまとめなくても
考えることが大切なのかなと思っていたりしたところに
先日、ラジオから
爆笑問題の太田光さんの最近書かれた本についての
インタビューが流れてきて「(考えることに)これからも迷走し続ける」みたいなことをおっしゃっていた。
私も迷走し続けるのだろうな。
結末で
王室建築官になってガーウェインがたてた最初の計画が
新しいオペラ劇場
だったそうで
スタイグは文化芸術を愛する人だな〜と感じました。
本の厚さよりも
より深い物語だった「ぬすまれた宝物」
でした。
スタイグ生きることを考えさせる作者だな〜。