私は
ずっとじぶんに
”こんなもんじゃない”
”これくらいじゃ、だめだ”
と
どんなに
まわりから
『なんでそんなに?』
『何をそれ以上?』
と疑問をなげられても
いつもそうやって
今の自分ではだめだと
今ここにいる自分を
よしとすることができずにきました
そんな風にして
生きていると
日常の中で
心から満たされて
満足する感覚がとても薄くて
何をしても
しても、しても、しても
満たされない日常がつづき
欠乏感のほうが満たされていくようだったと
今ならよくわかります
だけれど
あのころは、ただひたすらに
その欠乏感を埋めるように自分を満たす何かを
見つけるような行動を重ねていました
その欠乏感、満たされなさ
違和感
をいよいよ
自覚せざるを得なくなったのは
子供たちか十代を迎え
徐々に親離れをし始めるころからでした
子供たちは
母を必要としなくとも
自立してゆく時間が増え
いかに自分が
『子供ありきで生きている』か
をぼんやりと気が付き
夫にはくどくどと
不満をならべ
並べたところで変わりもしない現実が続き
こんなことをしていても
『死ぬまで変わることはない』
ということにも
ぼんやりと自覚する
そんな
風にして
日常を重ねに重ねていく中で
日常にどうしようもない閉塞感が満ち満ちてきたのでした
もうどうにもこうにも
はじけるしかないところで
ちゃんと
現実は軌道修正をするために
はじける現実を引き起こすんですね
ギクシャクこそしていたものの
まぁ
それなりの日常を繰り返すことはできていたところに
パンっ
と昨日までの日常がはじけるような
出来事が起きはじめました
私と家族の
それは軌道修正の旅の始まりでもあり
家族とは
夫婦とその子供だけではなく
そのルーツにも遡り
見つめなおす
そんな時間の始まりになったのでした
しばらくはフリーズするような
そして
混乱し
思考と行動が
ギクシャクとするしかない日々をすごすように
ただ手探りで
日常を過ごす
重くて
暗くて
先の見えない
そんなトンネルをあるくように
あのころは
進む先に一点の光さえ見えていなったように思います
そんな中
心の学びがはじまったわけなのですが
それは何より
自分と向き合うことに始まり
それに終わる
その繰り返しです
そうやって数年がたって今日があります
今日は今日とて
まだ
まだまだ
と自分に思う私もいるのですが 笑
いいことも
悪いことも
表裏一体
バランスを保ちながら
上手に生きる
上手に自分と向き合う
そんな風に
自分が自分とちゃんと向き合っていくと
ギクシャクしていたものが
スイーっと
進んだりするものです
続きはまた👋








