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『親父』道 ~おやじどう~

究極のパパっ娘による「父とその娘」の回想録

連日の雷雨に
尻込みしながら反撃を試みる飼い猫を見て見ぬ振りしつつ。


長女の私が卒園するのを待って
三男の父が、そのまた父(つまり私の祖父)と同居するため
実家に戻りました。

それから小4まで住んだ家は、江戸屋敷かと見まごうほど旧式の家屋で
忍者が潜んでいると言われても合点がいくような趣がありました。

「厠(かわや=トイレ)」は長い廊下の遥か向こう。
明かりと言えば、心許ない豆電球がひとつ。
風情たっぷりと言えば聞こえこそいいものの、
2DKの団地しか知らなかった私にすれば
あまり気味のいい家ではなかったのが本音です。


このトイレが実にやっかいで、夜、一人で行くのがとにかく怖い。
茶の間で家族揃って見る「8時だョ!全員集合」が
どんなにおもしろおかしかろうと
誰の笑い声も届かないほど遥か遠くにある気がしたものです。

折しも外は嵐。
さらには、便器から手が出るおそろしいコントを見たばかりとくれば
とてもじゃないけど、7歳の少女が一人で行ける状況ではありません。

これが常なら妹を伴って行くところを
いかんせんテレビに夢中の2人はCM中さえ席を立とうとしてくれず。
ならばと、一人大声張り上げて歌いながら行ったところで
反響がこれまた気味悪く聞こえてやっぱり怖い。

そんな時、我が家ではジャジャーン、『親父の腕時計!」
父が肌身離さず身につけている腕時計を借りて、一人トイレに向かうのです。

 お父さんが一緒だから、もう怖くなんかない

その心理効果たるやテキメンで
勇気凛々、意気揚々。
当たり前ながら、一つしかない「お父さんの腕時計」を
ほんの一瞬、独り占めできる優越感みたいなものも手伝って
たちまちのうちに、ピクニックにでも行くかの気分になるから不思議です。

コチコチと鳴る秒針が
親父の心音に聞こえて心強かったのかもしれません。
父と私にとって、長電話は珍しいことではありません。

先週末は、じいさんの思い出話に花が咲き、
母が横やりを入れるまでの2時間を費やしておりました。


父の影響をもろに受けて育った私は
「精神的双子」と家族から揶揄されるほどに
父そっくりの考え方をする傾向があるのですが、
唯一と言える違いが幼少期に受けた影響=育った環境です。


自由奔放に、あるいは野放図に育ったはずの三男坊の父が
ややこしい「家庭内の事情」から
本家の後継者となるべく実家に舞い戻ったのは35歳のころでした。

一方、三姉妹の長女で男兄弟のいない私は
その日から祖父に「帝王学」を叩き込まれることになったわけです。
当時、若干6歳。

開業医だった祖父の口癖は
「大きくなったら女医さんになって、医者のお婿さんをもらって、
 夫婦でおじいちゃんの後を継ぐんだよ。」
ところが、父はそのことを先週末の電話まで知らなかったんだとか。

 こらこら、しょっちゅう言ってたぞ
 おかんも覚えてるっつーの

ピアノと習字を習いたいと私が言えば
「お見合いに有利だから、ぜひやりなさい」と祖父が月謝を負担し、
アメリカの大学に行きたいと言えば
「21世紀は国際化の時代だから、ぜひ行きなさい」と渋る母の説得に乗り出し、
私の教育にかける熱意と言ったら、両親以上だったような気もします。

親族一同が会する冠婚葬祭ともなると
祖父はきまって私を呼び寄せて隣りに座らせ、客人に酌をさせたものでした。
根底にあるのは「男尊女卑」などではなく
やがては家長になる私を「お披露目」するため。
同じころ、幼い妹や従兄弟たちは大人の目を逃れて羽を伸ばしていたようです。

ところが、これまた父はあまり覚えていないんだとか。
まったくもって、なんという意識の違い!

母は
「三男だというから結婚したのに騙された」
「幼い我が子(私)を祖父に取られた」と嘆いたりもしていましたが
当の私自身は意に介せず。
長子とはそういうものだと素直に受け入れていたのですから
「三つ子の魂」なんてそんなもの。
見て見ぬ振りではなく、まるで気付かなかった能天気な父のそれも
やっぱり「三つ子の魂」なのでした。


追記:祖父の期待叶わず、私は女医になっておりません。