昨日怪我をして、踵をつけて歩くことも侭ならず、
今日は稽古を休んだんですが、
夕方になって体が鈍ってきてしまいました。

と、いうか、気持ちが落ち込んできてしまい、
やたらと疲れた気がして
何もする気がしません。

今年、右側の足が、梨状筋症候群というのに
なりまして、しばらく稽古ができなかったんですが、
その時も落ち込みましたね。

歩いていて涙が溢れてきたりして、、、。

だめなんですよ、私、空手ができないと!

それに今回は再び昇級試験前。

「またか。なんで?
 もしかして、無意識に試験を受けたくないとか、、、?」

昨日はその余裕もなくて、
自分ではちゃんと傷口を見なかったんですが、
今日、ガーゼを取って見てみました。
足の裏の真ん中へんだとばかり思っていたんですが、
縫ってある大きな傷は、踵に近い足刀の部分です。

足刀かぁ、、、。
実際の組手ではあまり使わない部分ですから
ちょっと希望が出て来たりして、、、。

足をちゃんと降ろして体重をかけると痛いし、
踵に重心を持ってきても痛い。
つま先に重心をかけると大丈夫です。

運動はしたいけど、歩くのがままならないし、
勿論走れません。

最近、怪我をしてしばらく杖をついていたご近所さんが、
片足ばかりに重心をかけて歩いていると、
その足の方に故障がおきてくるから気をつけて、
とアドバイスしてくれました。

このままだと右足も弱くなるし、、、。

悶々としながら思いつきました。

自転車ならつま先でペダルを踏むから大丈夫かも!
自転車に乗れれば、少なくとも足の筋力と持久力の維持
のトレーニングに使えます。

早速支度をして、川沿いで乗ってみる事にしました。

大丈夫!全く痛くない!
 自転車ならトレーニングができる!


嬉しかったです。
夕暮れ時で気持ちよく、
気分も爽快になりました。

家にもどってから、
腕立て、腹筋などの補強をしました。

シャドーをやってみましたが、
つま先に重心がかかるので大丈夫です。

歩く事は困難だし、
右足だけで立てないので、
基本稽古をするのは困難そうです。

心配して下さっている方々、
大丈夫です。
審査を決行する決心はしていません。

体力が落ちないようにしておきたいだけ。

無理はせず、
様子を見たいと思います。


今日は同時多発テロ事件、十周年記念日です。

オバマ大統領もニューヨークを訪れ、
テロ現場では式典が行われています。

娘の学校ではイベントがあり、
私達も午後に、鶴を折るお手伝いをする事になっています。

私達は午前中は空手の稽古に行くはずです。
なのに、、、昨日、非常に愚かな怪我をしてしまいました。涙

* * * * * * * * * *

先週の木曜日から4日間だけ、
東京から妹が出張で来ています。

今回はファッション・ウィークのために来たので、
ファッションが大好きな娘のために、
ファッションショーを見られないか頼んでみると、
同僚の方がチケットを取って下さいました。

本国より日本で人気がある、
ジル・シュチュアートのショーです。

娘は大喜び。

$ココマスダの個人的ニューヨーク便り-jill4毎朝、学校に何を着ていこうかと忙しい娘に、
「学校はファッション・ショーじゃないんだから!」
と怒るのがうちの日常なんですが、
「今日は何を着てもいいのよ。
 大人っぽくても、
 超ミニでも何でもOK。」と言ってあげると、
反って困ってました。(笑)

上から下まで白でまとめて可愛かったです。

下には、学校にはダメ、と言ってある
白いショーツを履いています。

サンダルは、ねだられて
ねだられて根負けして、
やはり学校にはダメ、
と約束させて買ってあげたグラジエーター・スタイル。

ファッションモデルのママも多い娘の学校には、
こういうのを履いて来ちゃう子達、
いっぱいいるんですよ。
本当に困ります。

私は履き慣れないハイヒールを履いたので
非常に疲れました。(苦笑)

会場はリンカーン・センター。

$ココマスダの個人的ニューヨーク便り-jill 1


ショーが始まる前。
それぞれの席には、ジルの化粧品を作っている
コーセー化粧品からのお土産が。嬉しい!

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今シーズンのジルの服は、大人っぽいパステルカラー。
$ココマスダの個人的ニューヨーク便り-jill5


ショーの詳しい報告は他のブログで見ていただくとして、、、笑

$ココマスダの個人的ニューヨーク便り-jill3
ショーに来ている人たちの中で
私が一番魅力的だと思った女性。
服と靴をベージュと黒で合わせてすてき。
長い足ですね~!
今年流行りの超高いハイヒール、
似合ってます。

しかしキワドいポーズなんですけど、
わかっているのか、、、汗。








楽しんだ後に家に帰って、
後で妹と会社の方が訪ねてくる支度を
してました。

で、買って来た花を飾ろうと
花瓶を選んでいる時に、、、
なぜか床においたガラスの花瓶に衝突、
花瓶は簡単にばらばらに割れ、
バランスを失ってキッチンの床に倒れた私の
右足の裏に、大きな破片がぐさり!

「痛い~!」と言いながら、
それを取りましたよ。
破片は丁度ナイフのような形でした。

3センチぐらいが血だらけになってましたから、
それぐらい刺さったんでしょうかね。

ばらばらのガラスの上に
体ごと倒れなくてラッキーでしたよ。
しかし、どんくさい、としか言いようのない事故。

私は苦しみながらも、起き上がって塩を出して
傷口に振りかけました。
以前板前さんに教えてもらった療法です。

痛い~!

その間、娘が急いで夫を呼びに行きました。

足を持ち上げろ、だの
足首を締めろ、だのいろいろ夫がアドバイス、
「何が必要なんだ?」と聞いてくれるんですが、
痛みに苦しんでいる私が考えられるのは日本語。
包帯だの何だのが英語で出て来なくなっていて、
娘に指示。それを娘が英語で夫に言って、、、。

これは後で考えちゃいましたね。

とにかく夫が救急病院に連れていってくれました。

空手で鍛えた足ですからね、
片足スキップが長く出来る事、
この日は役にたちました。 笑

救急病院はこの日幸いにも空いていて、
お医者様の対応も早く、
レントゲンをかけてガラスの破片が
体内に残っていないことを確認した後、
血が止まらないので結局ふた針縫われました。

ちなみに、塩を振りかける療法ですが、
科学的根拠のある療法なのか確認しておりません。
塩は消毒になるかもしれないんですが、
血を分解するはずだから止血効果があるのかどうか、、、。

将来のために調べなくては。

今回はレントゲンをかけた時に問題発生。
塩が全部破片として映りまして、血を止めている包帯をはずし、
塩を洗ってから、血が流れるままに
もう一度レントゲンをかける結果になったんです。

抜糸をしてもらうのは一週間から十日後で、
私が苦しむ中ず~っと考えていたのが
一週間後に迫っている昇級審査。

「また怪我で延期だよ~。」涙

お医者さんは驚いたことに、
テーピングをして稽古をすれば大丈夫、
と言ってくれて喜んだんですが、
今朝、足を降ろすとやはり傷が痛く、
傷をかばってしまうので
まともに歩くことも出来ません。

ん~。

考えます。
大会とかではないし、、、。

妹と会社の人とは、予定を変更。
治療が終わった後にそのままホテルに迎えに行って、
ハーレムのバーベキューのお店で一緒に食事。

叔母さんに家に来てもらう事を
楽しみにしていた娘には悪い事をしました。

おっちょこちょいなママを許して!


いつもながらの長い投稿。
最後まで読んで下さってありがとうございます。
田舎の別荘で一週間ほど過ごした後、
夫は一旦マンハッタンの様子を見に戻りました。

テロの日に男らしい行動力を見せて
家族を守ってくれた彼は、
次の日からは人が変ってしまいました。

惨事を起こしたのがアラブのテロリストだったとわかり、
怒りを押さえられないようでした。

「小さな国のくせにアメリカを攻撃するなんて
身の程知らずだ。
思い知らせてやるべきだ!」

昔、真珠湾を攻撃した小国日本の出身の私は、
複雑な思いで、それを聞いていました。

彼が大きなアメリカの国旗を買って来て
家の玄関に掲げた時は、非常に嫌な気持ちがしました。

God Bless America!

アメリカ人たちはそう叫び、団結していました。
それは感動的でもあり、怖い気もしました。

神がいるとしたら、どうしてアメリカだけを救うの?
世界中に平和をもたらすべきじゃない。
私は無言でそんな事を考えていました。

今年日本に震災があって私の愛国心が強まり、
こちらの日本人達が急に団結して支援活動に励むことになり、
私は当時の夫の気持ちが少しわかった気がしました。

彼はその頃あまり仕事がなくて、
自信をなくしていた時期です。
だから精神的にもテロ事件に
影響されやすくなっていたのだと思います。

逆さまに私はその頃、イラストの仕事が非常に忙しく、
娘もまだ小さく子育てに追われていましたので、
悲しんでいる暇も、余計な事を考えている暇も
ありませんでした。

別荘にも仕事場はありましたので、
急いで若いシッターさんを雇って
9時から5時まで娘と遊んでもらい、
仕事を続けました。

マンハッタンに戻った夫からは、
空気が非常に悪くて赤ん坊の健康のためによくないから、
まだ戻らないように、と連絡がありました。

彼は週に2回教える授業のためにマンハッタンに留まり、
時々週末に私達の元に帰ってきました。
仕事のない時には、テロ現場の周りを歩き回って
写真を撮っていたようです。

キャナル・ストリートから南は閉鎖され、
住民以外は入れない状態が続いていました。

私は、ダウンタウンの皆が、
復興のために力を合わせて動いているのを知って、
自分も帰って手伝いたい、という思いが大きく、
何も出来ない事を歯がゆく思っていました。

でも、娘のために
田舎に留まらなければなりませんでした。

テロ事件が起こった時に
娘が何もわからない赤ちゃんで
本当に良かったと思います。

娘は田舎のきれいな空気を吸って
すくすくと育ちました。

正直言って、娘と二人の田舎の大きな家での生活は
慣れてしまうと規則正しく平和で、
雇ったシッターさんもとてもいい人だったので助かり、
私はそのまま移り住みたいぐらいの気持ちになっていました。

でも、夫はもともと田舎での生活に馴染めず、
ダウンタウンの空気と治安が安定した後は、
私達が戻ってくることを要求しました。

同時多発テロ事件によって、
私と夫の間には深い亀裂が生じ、
このままでは家族がばらばらになってしまう、
という気がしていました。

9・11の4ヶ月後、
私と娘は、復興中のダウンタウンに戻ってきました。


アメリカ同時多発テロ事件、
こちらでは9/11(ナイン・イレブン)と呼ばれる
惨事があってから、早くも10周年になります。

うちはグラウンド・ゼロと呼ばれるテロ現場から9ブロック。
現場方向に高いビルがあるので現場は見えませんが、
その後ろに頭を出した、建設中のフリーダム・タワーが見えています。

当時私たちが住んでいたのはこのビルの4階、
逆さま方向の中庭に向いているアパートでした。

現在、娘が通う小学校がさらに現場に近いことは、
過去のブログに書いています。
日本から千羽鶴、そして今度は日本へ

10周年ということで、メディアはその関係の報道で賑わっていて、
しばらく考えていなかった当時の記憶が蘇ってきました。

実は娘が私たちの命を救ってくれて、
夫も家族を助けるために大活躍をしてくれました。

当時、娘はまだ六ヶ月。
毎朝早くに目を覚まし、外に行きたがる彼女を乳母車に乗せて
ワールドトレードセンターまで散歩して、
地下のショッピングセンターを回って帰ってくるのが
私たちの日課でした。

これは、テロ事件の数日前に、
ワールドトレードセンター前の噴水で撮った写真です。
今は無き噴水です。

$ココマスダの個人的ニューヨーク便り-wtc


テロの朝、娘は遅くまで寝てくれました。
それまでは一度もなかったことです。

ドーン、という大きな音がしたので私は目を覚まし、
「テラスでも落ちたのから、、、。」と思いながら、
娘が起きていない事を幸いと、また寝てしまいました。
ニューヨークに長年住んでいると、
ちょっとの事では驚かなくなるのです(笑)。

夫は、その頃はまだグラフィックデザイナー。
美術大学でタイポグラフィーを教えていて、
その日は早くに出勤していました。

私の安否を案ずる友達からの電話に再び起こされて、
私はテレビをつけ、
近所で何が起こっているかを初めて知りました。

娘を抱いて外に出ると、
人だかりができていました。

燃え上がるタワーを見ながら、
私の目には涙が溢れてきました。
でもその時はまだ、事故がテロリストの仕業だとは
誰も知らなかったのです。

「赤ん坊を抱いていては危ないから戻りなさい!」

近所の人たちに言われて部屋に戻り、
テレビをつけた途端に第二タワーに飛行機が追突しました。

ええ~?!

その日のその後の出来事は走馬灯の様です。

水道管が破裂したのか、水道の水が茶色くなってしまった事。

うちのビルの高い階に住んでいて、
その日はワールドトレードセンターにさらに近い
友人の家に遊びに行っていた友達が、
その友達とふたりでうちに避難しに来た事。
彼女たちは、火を逃れるために高層階から飛び降りる人たちを
目の当たりにしてしまい、興奮していました。

向かいにある高校が爆破されるという噂が回ってきた事。

この地区はすでに警察によって閉鎖され、
出入りができなくなっている事も知りました。

何が起こっているのかよくわからない、
ということはとても不安でした。
赤ん坊がいるので自由に身動きがとれず、
先ほどの友達が出たり入ったりで状況を伝えてくれました。

やっと連絡がついた夫から、
どうにかして迎えに行って避難するから
赤ん坊と身の回りの物をまとめるように言われました。

「パスポートを忘れないように。」

私たちはそのころ猫2匹を飼っていました。
「猫はできたら連れてきてほしいけれども、
 無理だったら諦めるしかない。」

安全魔で普段はすぐに慌てる夫の
あの日の落ち着きと行動力はたいしたものでした。

この人はいざという時には頼りになる!

彼の交渉力はたいしたものでした。
閉鎖されている地区に入り込み、
うちのビルの玄関も閉鎖されていたのに、
隣のビルの職員を言いくるめて職員通路から入って
私たちを迎えにきて、
出せないはずの車を出して、
警察官と交渉して
(赤ん坊がいるのはプラスでした。)
私たちはその日の夕方、マンハッタンを脱出し、
ニューヨーク州北部に持っていた別荘に向かいました。

無事に猫ちゃん達も一緒に。

マンハッタンと近辺を繋ぐ橋が閉鎖される直前でした。













昨日夫に関して書いた事で、
誤解をされると困るので書いておきたい事があります。

うちの夫は、私が日常の家事をする事に対して
感謝の気持ちを忘れずに口にします。

「洗濯してくれてありがとう。」
「夕食を作ってくれてありがとう。
 丁度お腹がすいていたんだ。」

家が散らかっていても気にならないと言う彼ですが、
時々気がついたように、
「君がうちをいつも奇麗にしてくれているのは
 わかってくれているんだ。ありがとう。」
 とも言ってくれます。

これは結構めずらしいようですね。

結婚して13年になりますが、
私が家事をする事を、未だに
当たり前の事だとは思っていないようなのです。

彼は子供の手が離れるまでは
専業主婦だった母親に育てられましたが、
同世代の働くアメリカ人の女性には、
全く料理をしない人や、
掃除洗濯はお手伝いさん任せの人、
子供までもシッターさん任せの人が多いのを
よくわかっています。

まして裁縫までする妻は、
(大工仕事もしますよ!)
専業主婦でもめずらしいようです。

結婚して最初の年のお誕生日に、
「プレゼントは何がいい?」
 と聞かれたので、
「ミシン。」と言ったらびっくりこけていました。
その年のクリスマスプレゼントのお願いですか?
魚焼き器ですよ。

私はアイロンがけまでは手がまわりませんよ。
と夫には最初から言ってあるので、
仕事用のワイシャツなどは
自分でクリーニング屋さんに出してますが、
たまに彼の服にアイロンをかけてあげた時などは
本当に感謝されます。

「マミーが本当にいいお母さんだって事、
 忘れちゃいけないよ。
 世界中探しても、
 こんなに素晴らしい母親はいないよ。」
 と、娘にも時々言ってくれています。

ま、すぐに怒鳴って
女らしくも可愛らしくもないのは
自慢ができない性格ですけどねぇ。(苦笑)

夫のように、テレもせずに、
「ありがとう。」を連発できるのは、
やっぱりイタリア系の気質でしょう。

はい、感謝の気持ちを表してくれるのは
ありがたいですが、
よく日本のテレビのドラマとかに
あるじゃないですか、
「女房にお礼なんて口が裂けても言えるかぁ~。」
とか言って格好をつけている夫に
本当は愛されているのをわかっている妻。

ああいうのも何だかいいなぁ~。(笑)

無い物ねだりですね!