明日はとうとう茶帯1級の昇級審査です。
ああ~、なんだか嘘みたいです。

茶帯2級の審査を受けてから21ヶ月経っています。
1年で一級審査を受ける予定が、いろいろ忙しくて3ヶ月延ばし、
そうしたら体に故障が起こり、治療に時間ががかかりました。
今回も間際になってばかな怪我をして
まだ普通には歩けないんですけど、
決行いたします。

もう待てません。

地道に稽古だけはしてきましたから、
最後にじたばたしても仕方がない。

日頃の稽古の通りにやるだけです。
10人組手はスタミナが続く限り動くだけです。

昨日は稽古に出て、型の確認もしたかったのですが、
傷が悪化したり怪我をしたりしては元も子もないので、
子供たちと自転車に乗って、
軽く運動をするだけに止めました。

今日は完全休息。

筆記の勉強をしたくとも、
家事も娘の相手もありますからそれも侭ならず、
夜になって復習をしています。

これが私の修行です。
内弟子や選手や、
若い人たちのように空手に没頭する贅沢は出来ませんが、
こつこつと毎日の積み重ね、
そうやって今日まできたのです。

だから気持ちも冷静です。

極真空手、
考えているだけで涙がでるほど
大好きです。

一生修行の道を歩みます。

押忍!

明後日は空手の昇級審査だというのに
夜更かしをしています。

近所にある美術学校で油絵を、
それもレンブラントや
レオナルド・ダヴィンチなどの
伝統的なテクニックを習うことにしたのです。

秋の学期はすでに始まっていますので、
昼間はクラスに出たり、
画材を揃えたり、で走り回っていました。
(まだ走れないんですけど。笑)

だから夜は仕事です。

少なくとも、この学校、
私の仕事場から歩いて5分以内。便利~!
具象画を専門とする大学院の、
一般が受けられるコースがあるんです。

読者の皆さんはご存知のように、
私は肖像画を描いています。
知らない方は、プロフィールのページ、
または私のHPにどうぞ。

イラストを描いている時から使い慣れている
アクリル絵の具を使っているのですが、
こちらの肖像画の主流はやはり油絵。

というか、油絵でないと価値がない、
みたいな偏見もあるみたいなのです。

私は日本画が一番好きですし、
アクリル絵の具はプラスチックみたい、
というような、これも偏見があるみたいですが、
それは使いようです。

奈良美智さんみたいなさらっとした絵も
アクリルで描かれています。
(私は奈良美智ファンではありません。)

いわゆるコンテンポラリーアートでは
偏見が少ないのかもしれませんね。
車に使う塗料を使ったりする人もいますからね。

私が使っているアクリル絵の具は、
フルイッド・アクリリックという柔らかめのタイプで、
乾きも早く、自分の性格にはあってます。

油絵の具は学生の頃にちょっとかじっただけ。
テレピン油の匂いと、ねちねちとした感触が嫌いで
使うようにはなりませんでした。

だけど、村上隆さんが言うように、
アメリカで勝負していくつもりなら、
こちらのやり方を学ばなければなりません。

私がファインアーティストとしてやっていくには、
すでにイラストレーターだった(正確には”でもある”)
というハンディーキャップがあります。

それなら、扱うのが難しいという油絵の具を
マスターしてみようじゃないの!

これから大学院に通って、
2年間アートに没頭することも考えています。

私はリアルに描く事を目標としていないので、
古いテクニックに固執するつもりもありません。

だけど、新しく学んだ事によって、
新しい境地が開けるかもしてません。

アーティストとして、
進歩を止めたらおしまい。
つまらない、お客さんを喜ばせるだけの
肖像画家になるつもりはありません。

これから12週間の授業、楽しみです。






先週の土曜に怪我をして2針縫うことになり、
昨日までまともに歩けなかったんですけど、
今日、奇跡の回復を遂げて、
今晩は稽古に出てきました。

今朝履いてみたのはハイヒール。
つま先に重心がかかるのでいいのではないか、
と考えたのです。

それが正解。
ビッコをひかないで歩けて、
自然に踵もつけられるようになり、
午後になると、
足の底全体が床につけられるようになっていました。

痛くない!

半日の間に、信じられないほど回復しました。

傷口のガーゼを取り替えると、
まだ血が完全に止まっていないんですけど、
大丈夫です。

「テーピングをすれば稽古をしても大丈夫。」
と言ってくれたお医者様は、回復のスピードを
ちゃんとわかっていたのです。

「どれだけできるかやってみます。」
と先生に断って一般部のクラスに出たんですが、
傷をかばって何回かバランスをくずした以外は支障無し。

やった~!

スパーリングもちゃんとできました。

そして、、、クラスが終わった頃には決心をしていました。

日曜の進級審査は受けよう!

数日稽古を休み、審査までに傷口が悪化してほしくないので、
過激なトレーニングはできませんが、
今更じたばたしても始まらない。
また延期して、また3ヶ月待つ方がいやです。

もし落ちたら元の子もないですが、
全力を尽くします。

筆記テスト、勉強しなければ!!!

52才女子、極真精神で
がんばります!

押忍!

妹が出張でニューヨークに来たり、
怪我をして救急病院に行ったりしていたので、
翌日の日曜は疲れて半日寝ていて、
同時多発テロ10周年記念日は
申し訳ありせんが、
ほとんど上の空で過ぎてしまいました。

オバマ大統領の演説も見ませんでした。

「続きを楽しみにしています。」というコメントを
いただきましたので、遅くなりましたが、
続きを書いて、シリーズを締めくくりたいと思います。

* * * * * * * * * * * 

私と娘が、マンハッタンに帰って来たのは
娘が一才になる少し前でした。

4ヶ月間疎開生活をしていた訳ですが、
自分の別荘という恵まれた環境でした。
今考えると、小さな娘を連れて行ける場所があって、
本当にラッキーだったと思います。

現場で救助活動を行った人たちだけでなく、
一般人や子供たちの中にも、
さまざまな健康被害を受けた人たちがいるようです。

当時、アメリカ政府は、「空気は安全」という
事実とはかけ離れた報告をし、
後で膨大な医療費保障を支払うことになります。

どこの政府も似たり寄ったりですね。
どうして後でわかるような事を、
目先の平静を保つために隠すんでしょうね。

事件の4ヶ月後でも、
ダウンタウンの空気は確かに変でした。

ダウンタウンでは多くのビジネスが潰れ、
復興には時間がかかりましたが、
そのころのトライベッカは、
貧富の差を越えてコミュニティーが助け合った、
本当にいい時期でした。

夫は反対に、この事件に非常に影響され、
ものにとりつかれたように、
現場に行っては写真やビデオを取り続けました。
自分の家族の写真もろくに取らなかった人が、です。

そして彼は、私の友人達の中でただ1人、
ブッシュ大統領が計画した戦争賛成派でした。

アメリカの武力を信じ、
「戦争は瞬く間に終わるさ。」と、
そううそぶいていた彼の予測が見事に外れたのは
皆さんもご存知ですね。

彼の親友はユダヤ人でもあり、
彼がアラブ諸国を嫌うのは簡単でした。

私は逆さまに、中近東には
愛着があるので複雑な気持ちでした。
私の父が、私達が幼少の頃は
サウジアラビア大使の秘書をしていて、
東京の大使館には兄と遊びに行った事もありました。
父が自分の事業を始めた後も、
アラブ諸国の大使たちとは関係が深く、
イラクの大使がうちにいらした事もあります。

私の女友達の1人がレバノン人と結婚して、
私が結婚する前にベイルート、そしてシリアと
トルコにも旅行しました。

私は戦争は絶対に反対でした。
戦争になれば罪もない市民、
女、子供が犠牲になるのは
わかっています。
アメリカ軍に親を殺された子は
アメリカを憎むことになるでしょう。

テロに対する報復は、
憎しみの連鎖を引き起こすだけ。

夫はそのころ仕事が見つからず、
自信を無くしていたのですが、
不景気さえもテロの所為にしていました。
(100%間違いとは言えませんが)

自分はどうしてこんな人と結婚したのか、
と信じられない気持ちでした。

何年も経って、彼は
「ブッシュに騙された。
 僕たちは嘘の情報を信じたんだ。」
みたいな事を言うようになりましたけど。

テロ以後から、私は彼と、政治について
討論するのを止めました。
それは未だに続いています。
ニュースも一緒に見ません。

私には彼にわかってもらえる説得力はないので
彼の達者な口に返す言葉もなくて感情的になり、
どんなに話し合っても平行線で、
私達の間に出来た溝が深くなるだけです。

毎年9月11日が訪れると、彼はテロ現場に行き、
写真やビデオを取り続けているようです。
それで彼は自分の感情の整理をしてきたのでしょう。

家族を大事にする彼のいい面だけを見ようとしても、
私たち夫婦の仲が回復するのには何年もかかりました。

そして、、、

今年日本の震災があって、
在米日本人が突如団結して、私も支援活動に奔走しました。
娘の学校でベークセールをやった時、
チャリティーには全く関心のない夫が、
「僕の妻が日本人なんだから。」と
1日仕事を休み、炎天下で街頭に立ち続け
募金に協力してくれました。

驚きました。

テロの後、自分の国が攻撃された事に衝撃を受けていた彼を、
少しでも理解してあげればよかった。
そんな後悔の気持ちになりました。

土曜の夜、妹達と食事をした後、夫がテロ現場に行くというので
もう11時過ぎだったんですが、
私が「皆で一緒に行こう」と提案しました。
「えっ、一緒に行ってくれるの?」
嬉しそうでした。

これまでも、夫婦で手をつないで行きたかったのでしょう。
彼はそういうタイプです。

でもそうならば、どうして遠い見知らぬ国の人たちの
苦しみもわからないんでしょうねぇ。

テロ現場からすぐ北のバッテリー・パークの
夜の闇の中に照らし出されている
犠牲者の数だけ並んだ国旗は圧巻でした。
旗のひとつひとつには、犠牲者全員の名前が書かれているそうです。

9・11テロから10年目、夫婦の絆が少し回復しました。
国際結婚とは難しいものです。

これが私の非常に個人的な、9・11テロの思い出なのです。

最後までお付き合い、ありがとうございました。


今年の夏休みには、娘に少しずつ一人歩きの
練習をさせ始めました。
隣りのビルのお友達のうちと、
道を渡らない範囲でのおつかい。

そして今朝、5年生になったばかりの娘が、
このビルを出た角で3人の友達と待ち合わせをして、
初めて親の付き添いなしで学校に行きました。

たったの3ブロックなんですけど、
自立への大きなステップです。

これは日本に比べると考えられない事ですね。
幼稚園の頃からお使いなどしたり、
小学校一年生からはひとりで学校の行き帰りをしますからね。

他の子達の親は、
「しっかりしてて強いAちゃんが一緒なら。」
 ということで決心したようです。
うちの子は責任重大。

「悪いやつはどこを蹴るかわかっているわね!」(笑)

うちのテラスから双眼鏡で見て、
無事全員揃って歩き出したのを確認しました。

一人歩きのために携帯電話をねだられていますが、
もう少し待とうと思っています。
携帯無しで少しは不安な気持ちになったり、
自分の知恵を使って問題を解決するのも
勉強のひとつです。

でも困った事に、もう携帯を持っている
お友達は沢山いるんですよ。
だから、娘はお友達の携帯を借りて
電話をしてくることが多くなりました。

今日も、放課後クラブが終わった頃に、
電話がありました。

「どっちが迎えにくるの? パパ? ママ?」

「緊急でもないのに、そんなことで
 お友達の電話を借りるんじゃありません!」

やれやれ。

ティーンエージャーになったら、
連絡してもらいたくっても
なかなか連絡しなくなったりするんですかね。

今週は帰りはまだ迎えに行きますが、
来週からは迎えなしで帰らせようかと
思っています。

少しずつ楽になっていく子育て。
嬉しい!