ご無沙汰しております。ココマスダです。

先日、ニューヨークのタウン誌、
「読みタイム」から取材を受けました。

オオニシプロジェクトで私がプロデュースした展覧会を
取材をしてくれないか、と連絡したのですが、
ジャーナリストの塩田さんが、
私の作家としての人生の方に興味を持ってしまって
急遽インタビュー、ということになったのです。

困ったやらありがたいやら。

で、このブログのサブタイトルにもありますように、
私は沢山のわらじを履いていまして、
クリエイターとしては、
イラストレーションと絵画の両方をやっています。

イラストレーションと絵画はどう違うのか。

と、質問されました。

これは、読者の皆さんにもよくわからない事だと思うので、
説明させていただきます。

イラストレーションは、コマーシャルアート、
日本語ですと、最近ではあまり使われない言葉かもしれませんが
商業美術です。

絵本や雑誌の表紙や挿し絵、広告のための絵、
パッケージングのための絵、など
何かを説明したり、宣伝したりするために
注文されて描く絵です。

注文が来て、ギャラを交渉して決めて
(日本ではこの部分が無い場合が多い、
 という嘘のような話も聞きますが。)
初めて制作にとりかかる仕事です。

その仕事を得るために、注文されていないけど
自分のポートフォリオのために描く絵も、
お客さんの要望に答えることを念頭に描きますから
やはりイラストレーションです。

絵画は、こちらでいうファインアート、
商業美術に対する用語では、純粋美術というものの一分野です。
彫刻とか版画とかも純粋美術のうちに入ります。

これは、作家が自分の表したいものを、
自分勝手に創るアートです。
売れっ子で、コレクターがついている場合はまだしも、
創作している間は、その作品が売れるのかどうかもわかりません。

絵画を初めて、その大変さを身を持って知りました。
それと同時に、描きあげた作品を売りたくない、
そのまま手元においておきたい、
という感情も初めて知りました。

自分が描きたいから描く。創りたいから創る。

それがファインアートです。

私の場合、イラストレーションと絵画の
スタイル/画風は全く違うのでわかりやすいと思います。

例えば、これは最近やったニューヨークタイムズ紙の仕事。

$ココマスダの個人的ニューヨーク便り-beauty-SNS


お化粧品のソーシャルメディア、
というほとんど興味のない記事だったので、
正直言って、う~ん、と躊躇したのですが、
私はニューヨークタイムズ紙の仕事は断れません。

でも楽しく描けて、それなりにいい仕事ができたと思っています。

絵画としては、
私は主にニューヨークの風景、と
肖像画を描いています。

これは、パーティーで知り合ったゲイのカップルを描いた絵。
あまりに幸せそうな二人なので、
お願いして描かせてもらいました。

$ココマスダの個人的ニューヨーク便り-happily married


では、注文されて描く肖像画は?
う~ん、難しいですね。
スタイル/画風は絵画と同じでも、
純粋美術ではないかもしれません。

描きたいから勝手に描いて、
気にいったら買ってもらう絵と、
最初から頼まれて描く肖像画とは
こちらとしても違います。

肖像画を頼むお客さんは、
「目を大きめにお願いします。」とか
「息子のひげは描かないで下さい。」とか(笑)
いろいろ注文いたします。

大先生に頼んだら好きなように描いてもらう。
という風になると理想的なんでしょうけど、
私はイラストレーターとしてのキャリアが長いので、
やはり、お客さんに喜んでもらいたい、
という気持ちですから、
純粋なファインアーティストにはなりきれてないのでしょうね。

肖像画を専門に描いているけれども、
注文は取らない、という作家は沢山います。
それが理想です。

私が描く絵画が広告に使われた場合はどうなのか。
それは、イラストレーションではなく、
「絵が広告に使われた。」なのです。

例えば、日本を代表する現代作家の奈良美智さん。

$ココマスダの個人的ニューヨーク便り-nara


彼の画風は、限りなくイラストレーションのようだし、
小説家のよしもとばななさんの本の表紙なども手がけています。

彼の絵はイラストレーションではないのか?

それに対して彼はこう答えています。(うら覚えです。)

「僕は描きたいものしか描いてないよ。」

だから彼は立派なファインアーティストなのです。

長い説明を、
最後まで読んで下さってありがとうございました!
今日は、日本クラブで行われた、
勝間和代さんと、和田裕美さんの講演会に行ってきました。

求人派遣会社のTOPの創立20周年記念ビジネスセミナーだったんですが、
狭い会場は満員御礼。
チケットは早々に売り切れ、それは日本クラブの催しとしては珍しい事だそうです。

私が勝間和代さんの事を知ったのは今年になってからです。
彼女の著書をたまたま古本屋で見つけて読んで、
私とは全く関係ない職業の方ですが、興味が湧きました。

そうしたら、9月に仕事でニューヨークに来た妹が
勝間さんの『「有名人になる」ということ』という本をくれて、
こういう事をストレートに書いてしまう人、
それも女性は日本人には珍しい、素晴らしい!と思いました。

で、このセミナーの事をフェースブックで知ってチケットを即購入。

YouTubeで彼女の出ているテレビ番組も見ました。
この人、嫌いな人は嫌いだろうなぁ。
人と違う事をする人は、特に日本では叩かれますからね。

実際の勝間さんは、想像以上にすごい人でした。
80分間のスピーチは一切メモも見ないで非常にスムーズだったし、
やたら説得力がありました。
記憶力が非常に悪い私にとって、それだけで感動。

彼女は、自慢話が多すぎると批判される、と話していましたが、
私はいいと思います。刺激になりますから。
メルマガを毎日2本、ブログも書いている彼女は、
1500文字をだいたい10分間で書けるそうで、
文章を書くスピードはタイプを打つスピードなんだそうです。
そして、1日3冊の本を読んでしまうそうです。
一冊に要する時間はだいたい20分。
スピード・リーディングの講師の資格を持っているそうです。

私も読書は好きですけどね、
1日3冊はとてもじゃないけど時間的に無理なだけでなく、
悲しいかな、お金がかかるだろうなぁ、と考えてしまいましたよ。
でも、そのスピード・リーディングという能力、身につけたいです。

勝間さんが話した事のうち、
私がメモった事を書きます。

・ITその他の産業で、他のアジアの国に追いつかれ
追い越されてしまったけれども、
今だ日本人の方が彼らよりも優れている職種はサービス業。
・競争をしなくてもいいマーケットを探す。
・成功者は盗む事が得意。
・名人は失敗の達人。
・利他性を徹底すること。利他性という言葉は初めて知りました。

メモらなかったけれども心に残った事は、
・得意な事はとことん伸ばす努力をして、
同時に不得意なことも毎日0.2倍ずつの努力をする。
・ベンチャー企業の経営者はほとんど体育系。
トライアスロンに出ている人が非常に多い。

もろ血液型A型の私には
勝間和代さんの話はすんなり入ってきました。

そして和田裕美さん。
実は私、今日まで和田さんの事は全く知らなかったんです。

優柔不断で人1倍シャイだったという彼女。
彼女が話した陽転思考の話、ためになりましたが、
私がファンになるタイプの人ではありません。

が、感動したのは、彼女が傾倒しているという
神社と、日本人の精神性の話。

いや~、話を聞いていて、目頭が熱くなって困りました。
在米33年、日本の良さがしみじみわかっている私です。
会場に集まっている人のほとんどが若く、
大好きなアメリカで、これからばりばり仕事をしようっていう人がほとんどでしょう、

和田さんは、「日本がアジアの諸国に嫌われている今、
日本の素晴らしさを力説したいし、
外国に暮らしているあなたたちにも
日本の素晴らしさを自覚して、広めてほしい、」と力説しました。

実は日本は世界で一番老舗の多い国なんだそうです。
200年以上続いている企業は世界で7,000社あり、
その中の3,000社が日本の企業なんですと。

そして、創業100年の会社が日本には10万社あるそうです。

ここら辺は自分がやっている事にはあまり関係のない話なんですが、
それはそれで興味深かったです。

そして、セミナーの終わりにとてもいい事がありました。

今回のセミナーのスポンサー会社の商品がもらえるラッフルがあったんです。

私はこういうの、当たった事ありませんが、
離婚をしてから、私には反って運が回ってきている、
って信じることにしているんです。
だから、このラッフルに当たったら
私は絶対にまた成功する、ってそう思いました。

沢山の名前が呼ばれて、
ラッフルが終わりに近づき、
紀伊国屋書店が寄付した、
和田裕美さんのサイン入りの著書の当選者の名前は、、、

「ココマスダさん!」

嘘~!やった~!

嬉しかったです。
本当に嬉しかった。

このブログを書くのにかかった時間、1時間半。汗。
まだまだ、勝間和代さんの足元にも及びません。

頑張ります。



















今日は34丁目から北のサブウェイは動きだし、
多くの人々も仕事に戻り、
授業を始める学校もあって、
早くも復興の兆しが見えてきました。
停電は土曜には終わるかもしれない、ということ。

さすがニューヨークです。
世界の中心である経済を止める訳にはいかないんでしょう。

私が働く大西ギャラリーは、浸水してしまったという報告を受けて
かなりの被害を受けたチェルシー地区の他のギャラリーの記事を読んだので、
最悪の状態を想像して昨晩は眠れなかったんですが、
今日、クリーンアップを手伝いにいくと、
被害は思ったより少なくてすみました。

展示されていた今井英人さんの作品は全てセーフ、
ばらばらになっているのではないか、
と心配していた人間国宝の作家たちの陶器も無事。
床においてあった桐の箱はかなり水を吸ったので、
乾くのを待って状態を見ることにしました。

全滅か、と思われた貯蔵作品は、
ほとんどプチプチでしっかり梱包されていたので、
紙製の箱にそのまま入っていた額入りの写真作品以外は
無事でした。

良かった~! 

今日オープニングがあるはずだった作家さんは
本当にお気の毒ですが、明日には停電している中で搬入し、
停電が終わったらすぐに開催できるように用意します。

あと2週間に迫ったOnishi Projectの第2回のグループ展も
遅れる事無く開催できます。

先ず一安心でした。


11年前の9/11、テロ事件からやっと立ち直ってきた
私の住むローワー・マンハッタンがまたやられてしまいました。
昨日から、娘とアッパー・ウエストサイドの友人宅に避難中です。

28日の日曜日に来ると予報されていたハリケーンは
遅れて翌日の夜に襲ってきました。
去年のハリケーン・アイリーンが何事もなく終わったため
ほとんどのニューヨーカーは今回のハリケーンの大げさな報道を
馬鹿にしていました。
「今回も何でもなく終わるよ。」って。
私たちのビルは強制避難区域に指定されていたにも関わらず、
ほとんどの住民はそのまま自宅に留まったし、
沢山の人たちが、ハリケーンがひどくなる間際まで川沿いを歩いて、
見物したり、写真を撮ったりしてました。

学校は月曜から休みになったので子供たちは大喜び。
うちには娘のお友達たちが4人も遊びにきていて、
それこそハリケーンパーティー。
親たちが心配して迎えにきたのはもう夕方。

元夫の新居も強制避難区域でした。
娘は今週末は月曜まで元夫と一緒にいるはずだったんですが、
彼は「月曜に連れて来れないといけないから」、
と日曜の午後に娘をうちに戻し、自分はちゃっかりアップタウンの親友宅に避難しました。
何それ~? 
私は娘と一緒にいたかったので良かったんですが、
娘を安全区域に一緒に連れていくのが父親じゃない?
ま、いいけど。

私がハリケーンに備えてやったことは、
テラスに置いてあるものを室内に運び込み、
昨日のハロウィーンに子供たちを呼んでパーティーをする予定だったので、
ハリケーンの影響で買い物が出来なくなる事を考えて買い出しをしておいた事ぐらい。

そして、最後の最後に、フロリダに住むハリケーン経験者の友人に促されて
バスタブに水を張り(水道水が止まったらトイレを流すのに使うためです。)
バケツや鍋に水を汲んでおきました(飲み水、その他のため)。

私たちは高層ビルの33階に住んでいるので浸水の心配はありませんが、
強風でガラス窓が割れる危険はあります。
去年のアイリーンの時は、
ガラスが細かく割れるのを防ぐためにテープを張ったんですが、
剥がした後に粘着材が残ってそれをきれいにするのが大変だったため
今回はそれもしませんでしたね。
風が強くなってきてからブラインドを閉めただけ。

お友達たちが帰った後に、風が強くなってきて
うちから見えるハドソン川の水が満ち潮とともに
道に溢れ出し、あっという間に高速道路も浸水してしまいました。
今回のハリケーンは本当に来たんです。

「ロビーに降りて様子を見て来ようか」
と娘とエレベーターに乗った途端に電気が消えました。
咄嗟に「開」ボタンを押したらドアは開いてくれて
飛び出ました。
ドアが開かなかったらそのままエレベーターに閉じ込められていたでしょう。
いや~、間一髪で助かりました! 怖かった~!

皆さん、停電の危険があったら
エレベーターには絶対に乗ってはいけませんよ!
愚かな都会人の、非常に馬鹿な行動でした。

停電してから二日間、なんとか生活しました。
ロウソクは沢山あったし、
コンロは使えたので料理は出来たし。

携帯の電話も固定電話も繋がらなくなり、
メールはなぜか携帯に届くのに出せなくなり、
外との連絡はテキストだけでした。

なぜか停電しなかったのは、
一番被害が大きいだろうと思われていた、
向かいのバッテリ・パークシティー地区(以下、BPC)。

携帯の充電は一日以上保たないので、
翌日、33階を降りて、BPCの友人宅で
充電をさせてもらいました。
もちろん非常階段は真っ暗。
懐中電灯の明かりだけです。

火曜の晩は、ひとつ下の階で
ささやかなお誕生日パーティーもあって
参加しました。

そして、トイレを流す水が無くなった時点で
また33階を降りて避難することにしました。

冷蔵庫の食料は持てるだけ持ったんですが、
ずいぶん無駄になりました。

マンハッタン中の地下鉄は止まり、
バスが少しずつ動き出しただけなんですが、
アップタウンは何もなかったように賑わっています。
昨日はハロウィーンでしたから
子供たちは着飾って楽しんでましたが、
私の娘のハロウィーンは台無し。
パーティーは無かったし、
ひとりでトリッカトリートに行くのはいやだ、と
何もしませんでした。

停電が終わるに少なくとも4、5日はかかるそうです。
娘の学校はどんな被害を受けたのかわかりません。
まだ学校からは何の連絡もありません。

明後日には他の友人宅に移るんですが、
気持ちよく私たち親子を受け入れてくれることをオファーしてくれた
友人が沢山いました。非常にありがたいです。
感謝、感激です。ありがとうございます。

今頃になって事の重大さをひしひしと感じていて
眠れないんですが、
何はともあれ、娘と友に無事であったことを喜んでいます。
2日前に離婚証書をやっと受け取りました。
これで正式にシングル、法的な名前を結婚前の益田に戻します。

いや~、仕事名を変えなくてよかった~!

日本と違い、こちらでは結婚した時に、
妻が名字を変えるか変えないか、は個人で選択できます。

私のアメリカ人の女友達で結婚して名字を変えた人は、、、
ひとりもいないかなぁ~。

外国人でアメリカ人と結婚した人は結構変えているようです。
やっぱり文化の違いかもしれません。

私はバツ2ですが、両方の時に悩んだあげく変えました。
子供と名字が違うっていうのはいやだし、
家族って名字が同じなのが自然な気がして。

両方の名字を”ー”で繋げるっていう選択もあったんですが、
長ったらしくて面倒なので止めました。

それでも益田という名前は漢字も含めて大好きなので、
ミドルネームとして残しました。
こちらではそういう便利なこともできるんです。

だけど日本政府は頭が固いので、
日本の戸籍上の名字は変えられません。
(私は永住権を持っているだけでアメリカ国籍は取ってません。)
元夫の名字は括弧で記載され、
パスポートも同じく。

そのために空港ではいつも面倒な事になってました。
それがなくなるのは嬉しい!

離婚をして名字を戻す事は全く悩みませんでした。
13年付き合った名前ですが、何しろイタリア系の名前だし
しっくり感じることはなく、
もちろん娘の名字はそのままですが、
親子の名字を同じにしたい、っていうこだわりは無くなりました。

今は早くサヨナラして完全に益田に戻りたいです。

仕事関係以外は何から何まで名前を変えなくてはならず、
その手続きはかなり面倒。
全てが終わるのには何ヶ月もかかりそう。