ニューヨークのココマスダです。

せっかくブログを再開したのに、
娘がバレーボールをプレー中に膝の大怪我をして手術をしまして、介護で大変でした。
早くとも6ヶ月はスポーツを再開できない、
ということで娘は落ち込んだり機嫌が悪くなったり。
母親の介護の予行練習みたいなものかもしれないな〜、と思ったりして。

娘の介護とともに大変なのが、ほとんど毎日お見舞いに来て
お泊りもしていくお友達たちの接待!
毎日ご飯を食べさせ、どんどん散らかすのを片付け、、、
でも、お友達がいる間は機嫌がいい娘ですから、
それはありがたいんですけどね。
男の子が来たりしたら一時もうちを空けられないのが面倒で。

さて、今日で手術後3週間目。
まだ取り外しができるギブスをはめ、歩行には松葉杖をついているのですが、
初めてタクシーでお友達のところへ遊びに行かれるまでになりました。
やった〜! 

で、その怪我は何だったかと言いますと。

英語ではACL (Anterior Crutiate Ligament) tear.
半月板の損傷、とフェースブックではお知らせして、
日本の空手の知り合いが同じ手術をしたので
病院の対応法、リハビリ情報などを教えてもらっていました。

日本とこちらの大きな違いは、
日本では手術をした後に、少なくとも1週間、長くて2週間の入院をさせられ、
入院している間はリハビリもしてもらえる訳です。
こちらでは、と言いますと、
手術後数時間で さぁ〜麻酔がとれたら帰宅してくださ〜い、です!
そして1週間後からリハビリは週に数回通い。
なんと大きな違いでしょう!

で、娘の手術後の回復が、日本で半月板の手術をした友人よりも断然遅いし、傷もかなり大きいのでおかしいな〜、と思っていました。で、たまたまリハビリの先生が日本人の若い女性に変わり、娘が手術をしたACLは, 日本語では
半月板ではなくて膝前十字靱帯だということが判明!それも損傷ではなく断裂、靭帯再建手術をした、というのが正しい説明のよう。

あちゃ〜!私はどこで勘違いしたのだろうか。おっちょこちょいの母親です(恥)。
しかし、半月板の損傷より重体なのに、手術後は数時間で帰宅ってアメリカの医療事情は酷し!それも、麻酔が完全に覚めないうちに(松葉杖を使って)娘を歩かせようとしたらしく、娘は気絶してしまったのです。患者を歩かせるときには、付添人は病室から出されるので、それは後で知ったのですが。

その上、抜糸のために病院へ連れて行くと、二人の先生が「糸が見えないなぁ〜」と言い、結局担当医は糸は使わなかった、という事がわかり、そんな事カルテに書いてないのか!と絶句。これが天下のNYU付属病院ですよ!!

娘は、来年一月にはバレーボールに復活するつもりみたいですがどうなるか、、、。怪我をしていても、ギブスに合わせて完璧にファッションは整える娘であります。あっぱれ!


ご無沙汰していました。ニューヨークのココマスダです。

ここ数年色々な事があってブログを中断していましたが、やっとまともな生活に戻れたので再開することにしました。

実は、実家の父が2013年の夏に急死して、日本在住のフィリピン人相手の本国への宅配と送金業という、アートとは全く関係がない業務の子会社を継ぎ、2年半の間、ニューヨークと東京を行き来して社長業を務めました。
慣れない日本で全く知らない事業の経営ができたのも、父の親友であった方がアドバイザーを務めて下さって手取り足取り教えてくださったのと、所長をはじめ、私についてきてくれた社員たちのお陰です。
基本はメールやスカイプを駆使した遠距離経営をし、2、3ヶ月毎に3週間帰国して実家に滞在して、ダンプカーがブンブン走る大井埠頭の会社に出勤、マニラやオーストラリアへの出張もしました。拠点を東京に 移してしまった方が楽でしたが、元夫との離婚協定で娘を連れて引っ越しできないのでそれはオプション外。私が日本にいる間、娘は父親の住まいで過ごしました 。元々定期的に行ってますし自分の部屋もあるんです。社長になる事は、娘も後押しをしてくれたので決心してやった事ですが、帰国が度重なると、随分文句も言われました~。苦笑

ニューヨークにいる間は、 東京の事務所が閉まる前の早朝に起きてメールチェックをして仕事開始、娘を学校に送り出した後に続行、午後はイラストや他の仕事と家事、そして夕食の支度をして娘に食べさせた後、20時からはまた日本と仕事をして、寝るのは12時を回ってからが多く、睡眠不足が続く過酷な生活でした。会社の CI(コーポレート・アイデンティティー)のリニューアル・デザイン、ウェブサイトの作成と更新、宣伝等のデザインは、コストを節約するために全て私がやりました。

経営を始めてから数ヶ月後に、やっと軌道に乗ってきていたニューヨークのギャラリーのディレクターの仕事は諦め、7年前に始めた画家としての制作も中断せざるを得ず、自分のブログを書く時間も、他人のブログを読む時間さえもありませんでした。

日本では住民票を入れ、銀行口座を開き、健康保険と年金に介入するという、普通の日本人だったら20代にするだろう手続きを50代で初めてして、本やネット検索で、新入社員と経営者が学ぶべき知識を猛スピードで学びました。コスプレ気分でコンサバなビジネススーツを着、金融庁にも何度か出向きましたよ。ずっとクリエーティブ畑で英語で仕事をしてきた私が日本の会社の経営をする前に、日本人経営のギャラリーで、日本人アーティストのお世話をする、という経験ができたのは非常に幸運だったと思います。

会社経営にやっと慣れてきた2年後、今度は2歳年上の兄が、なんと父の命日に急死しました。あまりに信じがたい出来事は大変なショックでしたが、「自分の人生もいつ終わりを告げるかわからない」という現実を思い知らされ、「この会社の経営を自分が続けていくべきなのか。」という質問と向き合う事が出来ました。やはりアート界に戻りたいという思いは強く、父が創業した会社を譲り渡す決心をしました。会社の清算ではなくて社員の雇用を保障した上での売却が目標。そして、去年の末に、一番の競合会社に事業を譲渡する事に成功、本年から晴れてアーティストとしての仕事をフルタイムで再会できる事になったのです。

今思うとよくやったなぁ~と思います。アドバイザーの方からは、「お見事な決断でした。」とお褒めの言葉をいただきましたが、3年間アート業をおざなりにしてしまったので再出発です。

1月中は毎日美術館やギャラリーに行ったり友人に会ったりして充電をし、これからの事について考えました。ニューヨークに居続けるとしても、一人暮らしになった高齢の母のために頻繁な帰国は必要です。

在米37年、ずっと欧米人と仕事をし、離婚に終わったとはいえ2度の国際結婚を経験し、バイリンガルに育てたハーフのティーンの母親である私にできる事、するべき事って何? 日本滞在が多くなって、随分日本人目線でニューヨークの生活を見られるようにもなりました。英語が話せる事、ニューヨークにいる事がいかに自分の財産であるか、もわかりました。

2月に入って仕事開始、 先ずアーティストとしてのウェブサイト、cocomasuda.comを完全にリニューアルして、イラストの仕事も取り始めました。
ツイッターで「ココマスダのNY便り」の発信も始めました。@cocomasuda_nyですので、フォローお願いします!
Facebookの方は、投稿は何でもありの個人ページはこちら、アーティストとしてのページはこちらです。どちらもフォローできます。
Instagramはcocomasudaです。


そして3月になって、以前お世話になって日本でのデザインの仕事をした事があるStyle Meets Peopleのプロデューサーから頂いたのが、伊勢丹新宿本館での企画展への招待。今デパートでは一番ホットな伊勢丹でのミニ個展です!何というありがたいお話!
それもニューヨークの風景画を展示してほしい、と。
困ったことに、手元にあった風景画は二点だけでしたが、迷うことなく承諾しました。会期は5月の25日から31日までの1週間で、それまでに2ヶ月しかありませんでしたが、なんとか新作5点を仕上げて、合計7点の作品を展示することができ、沢山の方に見てもらう事が出来ました。
伊勢丹で展覧会、という事で何より母が喜んでくれて親孝行になりましたし、来てくれる友人も多く、毎日が同窓会のようで、新しいコネクションも出来ました。個展の様子はこちらでご覧になれます。

これからも拠点は ニューヨークですが、今後、母国日本との関係がより濃くなっていく事と思います。

今回の投稿は長くなりましたが、今後もこのブログをよろしくお願いします!
遅くなりましたが、皆さん明けましておめでとうございます。

元旦から三ヶ日は、娘がお父さんの方へ行ってくれたので、
今年は用意しなかったお節をいただきに(お雑煮だけは作りました!)
近所の日本人の友人のお宅へ新年の挨拶に行ったり(ありがたや!)、

お節2014

見たくても時間がなかったテレビ番組を
ケーブルのDVRサービスでまとめてみたり、

house of DVF


クリスマスの飾りを片付けたり、
早々に仕事を始めたりしていたんですけど、
遅ればせながら、大晦日にやった嬉しい事を報告させていただきます。

World Peace バーティーです!!!

いや、去年は、悲しかな、世界平和がかなり後退してしまって、
世界中では戦争/闘争ばかり、
米国ではアメリカの大統領は黒人だというのに、
というかそのために、という事を最近理解したのですが、
一度は狭まってきたかと思われた黒人と白人の溝がまた大きくなってしまい、
日本ではここ数年の中韓でのジャパンバッシングの煽りで
また中韓人差別が広がっているみたいですし、
もう皆さん仲良くしてよ~って気持ちで、
人種、年齢、性趣向構わず、
でゲストを招くパーティーをすることにしたんです。

実はクリスマスに、娘はお父さんの家族と祝う、
ということを知っている友人が私の事を心配して
二つのパーティーに呼ばれたんですが、
一つは全員黒人、もう一つは全員白人だったんです。
日本人の私は両方に歓迎されてお付き合いできる訳ですが、
一緒に祝ってもいいんじゃない?って思って、
両人も招待しました。

かなり間際の招待だったので、皆さんもう予定があると思いきや、
ほとんどのゲストが YES! と返答してくれて、
思い通りのパーティーを催す事ができ、
二日間かけて、腕によりをかけてお料理もしました。

nye 2015


大きな2015年の飾りを作ってくれたのは娘。

別荘に行っていたり、
旦那さんの家族の予定があったりで、
ホリデーはなかなか一緒に祝えなかった親友二人も来てくれて
最高でした!

政治的には保守派も民主派もいて、
国籍も違うキリスト教信者、ユダヤ人、イスラム人、無宗教者、
と様々な友人が集まったのですけど、
うちのリビングルームでは、
皆和気あいあいとおしゃべりに花が咲いてました。

これが世界の図になれば最高なのに!

パーティー好きな男友達は、
「君って、友達が偏ってなくて素晴らしいね」
って言ってくれました。
Mission Accomplished! です。

娘とお友達たちも、
フェースペインティングもして楽しんでました。
可愛いでしょ! 

teens nye 2014


世界に完全な平和が訪れるのは不可能かもしれませんが、
これから残された人生、
少しでも世界平和に貢献していければ、と思っています。

皆さんの2015年がいい年になりますように!

大変ご無沙汰しておりました!
相変わらず波乱に飛んだ人生を送っております。

まだ私のブログの読者はいるのかなぁ、、、と思いながら
嬉しいお知らせを書きます。

広告界を代表するクリエーティブディレクターのひとり、
サン・アドの葛西薫さんからまた肖像画のお仕事をいただき、
伊藤忠商事の「ひとりの商人」という広告キャンペーンのために、
8点の肖像画と1点の空の絵を描きました。

そのキャンペーンは、今年の3月から6月にかけて
日経新聞の一面広告として掲載されたのですが
それが、な、なんと第63回日経広告賞の「大賞」を受賞しました!

こちらで各広告と作品がご覧になれます。

受賞理由は、「レトロな感じの肖像画やコピーから、
登場した人柄がしみじみと伝わってくる。
人が財産であるという伊藤忠商事の
温かみのある企業文化が表現された広告」というものです。

私がアーティストとして直接受賞した訳ではありませんが、
12月9日にある贈賞式とその後の伊藤忠商事様との食事会に招待され、
自分の仕事が認められたものとして感慨にふけっています。

この受賞で学んだ事は、私一人の力は小さく、
チームワークによって素晴らしい仕事ができた、ということです。

イラストレーターは(私は自分の肖像画を「絵画」としていますが、
この仕事では「イラスト」です)、いいプロジェクトを与えられて
初めていい仕事ができます。

このキャンペーンでは、
素晴らしいコンセプトを考えだし、
人を感動させるコピーを用意したサン・アドというクリエーティブ集団がいて、
日本では無名の私の才能を信じてくださり
仕事を依頼してくれた葛西薫さんという方がいて、
ほとんどの場合は写真を使う広告界ですが、
「イラストを起用する」というアイディアを
伊藤忠商事の岡藤社長がOKしてくれて、
日経の一面広告を9回出すために
膨大な広告資金をつぎ込んでくれて、
私は初めて制作にかかれた訳です。

葛西さんは、私の肖像画の仕事を知っていたために
このコンセプトを考えついたのかもしれませんが、
正直言って、資料写真はサン・アドが用意しましたから、
私はそれを絵として再現しただけ、です。

これまでは肖像画一点につき3週間もかけていたのを、
一点に一週間もかけられないタイトなスケジュールでしたが、
とても楽しい仕事をさせていただいた、
という感謝の気持ちでいっぱいです。

シリーズ最後の空の絵は、
伊藤忠商事本社ビルのエントランスにも使われ、
7月に帰国した際に写真を撮ってきました。

伊藤忠エントランス
雨が多いのがなんですが、
涼しくて
今は一年で最高の気候です。

うちのテラスからの景色。

photo:01



散歩がしたくなりますが、仕事!