今でこそ、Homophobic (ホモセクシュアルを否定する)な人たちは社会的にも非難されるようになりました。
わたしが渡米した1994年頃のアメリカは今ほどはホモセクシュアルが受け入れられていなかったとはいえ、
ニューヨークではすでにホモセクシュアリティーを否定、差別するのはよくないとマジョリティーの人たちに思われていました。
けれども当時の日本は全然違いました。
多くの普通の人たちは嫌悪感とともにホモセクシュアリティーを否定していました。
そのことで思い出すのが、1994年、一番最初のNYU(ニューヨーク大学)のセメスターのESLでの出来事です。
ある講義の中でわたしたち学生はディベートの練習をさせられたのですが、
その時のテーマのひとつとして、
「ゲイカップルが養子を取ることについて」というのがありました。
わたしはもともと自分自身がとても変わっている人だということもあって、
自然と自分とは違っていてもマイノリティーの人たちに対する許容力の大きな人でした。
しかもゲイであることが悪いことだという考え方はわたしにとっては想像もつかなかったことで、
ましてや、ゲイだろうが、なんだろうが、親のいない子供たちに愛を送る親ができることの何が悪いのか、わたしにはさっぱり理解できませんでした。
だからそれに対して「ノー」という人たちがいること自体が自分自身の想像外のことでした。
ところが、アジア人の多かったそのクラスでは半数以上が「ノー」!
クラスにもう一人いたわたしと同年代だった日本人女性はそれに対して大きな嫌悪感が隠せなかったようで、
"It's bad for the child! I feel sorry for the child who has gay parents!"
・・・と、叫んでいました。
そしてわたしは自身はそんな彼女の姿に結構大きなショックを受けました!
けれども確かに当時の日本はそんな時代だったのです!
私自身も許容力はあったけど、実際にはゲイのカップルをニューヨークへ行くまでは見たことがありませんでした。
ニューヨークの街中で夜、熱いゲイカップルのラブシーンを初めて見た時は結構ビックリしました。
(嫌な気分にはまったくならなかったけどね 笑)
今になって面白いなあと感じることは、実はわたしがニューヨークへ渡って、一番最初に一番親しくなった友達がゲイだったのです!
彼はスペイン人で、2年ほどするとマドリッドに帰っていきましたが、実は彼がわたしに自分がゲイであることを打ち明けたのは、彼がマドリッドに帰った後でした。
あのESLのクラスのディベートを彼はどんな思いで聴いていたのだろうかと考えると、なんかますます面白い!
(当時彼は大学のESLのクラスメート!)
アジア人の友達たちに自分がゲイであることを打ち明けられなかった理由もよくわかります。
当時わたしはダンサーでもあったし、ゲイの人たちとはその後ずっとかなり縁がありました。
実は自分にとって最も心地よい友達はゲイの男性たち!

彼らとは恋愛話もできて、まるで女友達みたいであると同時に、男性なので男の気持ちもよくわかるし、
女性同士の間でよく起こる嫉妬の感情も起こらないし、男性だからさっぱりしてるし、
また、彼らはマイノリティーなので繊細な気持ちもよくわかる!
しかも相手は男性でも、変な恋愛感情、性的関心が絡む心配をせずにすむので、
私自身にとっては友達として理想的なのです!
(レズビアンの人たちは逆にちょっと微妙

笑)
2018年現在、わたしには数え切れないゲイの友達、そして性別を変えた友達などもいます。
今や1994年とは人々のホモセクシュアリティーに対する感覚、考え方も大きく変わりました。
けれども大統領がトランプになって、人の差別に対する感覚が退化したというか、
「実は今もこんなに Homophobic な人たちっていたんだ!」
・・・と、ショックを受けています。
大統領が Homophobic だと、それまでは Homophobia を否定されていた一般的な人たちが、ゲイの人たちに対する否定や差別をしやすくなるのだと思います。
そんな社会は嫌!
どんな人も平等に受け入れられ、幸せでいられる社会を希望します。
