"Commiserations"

・・・という言葉を聞いたことがありますか?


"Congratulations"クラッカー

・・・という言葉なら誰でも聞いたことがあると思いますが、

"Commiserations"

・・・のほうは結構聞いたことがないのではないでしょうか?


実は恥ずかしながらわたしもこの言葉には
つい最近までまったく親しみがありませんでした。

陽気でのん気なアメリカ人のキャラクター上からも
この言葉はアメリカでは比較的使われることが少ないのかもしれません。


わたしがその言葉を始めて聞いたのは
イギリスのプロのシェフたちのコンペティションのTV番組ででした。

状況上、すぐにその言葉の意味はわかりましたが、
その表現を自分が今まで聞いたことがなかったことに
自分で驚いてしまいました!叫び

25年もアメリカに住んでるのに!


"Commiserations"

・・・は "Congratulations" と逆の状況の中で使われる表現です。


たとえばコンペティションに勝った人に
"Congratulations" 「おめでとう!」と言われるのに対して、

負けた人にはその
"Commiserations"という言葉がかけられます。

「残念でしたね」とか、「お気の毒に」とか、そんな感じですね。


"Commiserate" (動詞)は共感する、哀れむという意味で、

"Commiseration" (名詞)は「哀れみ」「共感」「同情心」という意味です。


コンペティションに勝った時に「おめでとう!」という時に
"Congratulations"クラッカーといわれるのとおなじで、

負けたときに「残念でしたね」といいたい時は"Commiserations"
最後に "s" をつけることを忘れずにね!チョキ




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またまたご無沙汰しておりました。

Dance,
Yoga,
Art,
Spirituality,
Psychology,
Business,

わたしはいろ~んなことを
Professional レベルまで煮詰めてきた人ですが、

それでもやっぱり一番プロなのは English!
・・・って思ったわけです。

なぜなら25年間のアメリカ暮らしという経験を積んできているから!

そのほかのことはしばらくやらない期間があったりとかするわけですが、
英語だけは日々に密着しているので、
この25年間、関わらない日は一日もなかったわけです。


もちろん、長い年月アメリカ暮らしをしてきた人たちが
みんな英語のプロかといえば、決してそんなことはないのですが、
自分自身は学校へ行ったり、仕事をしたり、
日本人のまったくいない環境の中で暮らしたり、
そんな環境のなかでアメリカ人たちと共にいろんなことをしてきたし、
特にここ15年くらいは日本語を使う環境もなく
普段からほぼ英語だけで暮らしてきた人でした。

そんなわたしにはやっぱりそこで積んだ経験、知識、知恵を
シェアしていくミッションがあるような気がして、
久しぶりにここへ戻ってきてみました。

今はまだ今後どのような形でこのブログを書いていくか、
考え中なのですが、
日々、少しずつ何かをシェアしていくような形にしていこうかなあと考えています。

わたしは物書きなので、長くて難しい文章になりがちなのですが、
シンプルで短くてかつ興味をそそられるブログを書けるようになることを目指します!合格

そんなわけで、今後ともよろしくお願いいたします。ラブラブ



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昔、ニューヨークに移住した頃、わたしはすでに20代だったけれど、
当時のわたしは本当に垢抜けなくて子供っぽい女の子でした。

当時の日本って、そういうタイプの女の子の方が好まれたから自然にそうなっちゃったんだと思います。
(今でもおっさんたちはそうなのかな? 笑)


でもアメリカは違いました!

特にニューヨークではやっぱりセクシーな大人の女でなくては、街で男性に振り返られるようなことは決してありませんでした!

子供っぽい女性によってくるのは、実際に子供か、もしくはセルフエスティームが低くて自信のなさ過ぎる大人の女性を相手にできない男性たちだけ。
(・・・それか、日本人のお金を吸い上げる目的とか叫び


だからアメリカではうんと若い子でも甘えず大人のように振舞うし、「可愛らしく見られたい」というメンタリティー自体がそもそもアメリカの女性にはないんですよね。

男性も女性に「可愛らしさ」など求めず、子供のまねをして子供っぽい言動や仕草、装い、表情をするようなタイプのimmature な女性は逆にドン引きされます。

「可愛さ」で甘やかしてもらえるのは、子供と老人とペットだけ!


まあ、だからって無理やりセクシーさを意識する必要もないけど、実際にそういう価値観の中にいると、「女性の素敵さ」の感覚も洗練されていきます。

すごく子供っぽくて、当時高校生にしか見えなかったわたしも、ニューヨークへ行ってセクシーさにとても憧れるようになりました。ドキドキ


特に当時のわたしはちょっと下品にも感じられるくらいのダイナミックなセクシーさの表現に憧れました。ドキドキ
そういうの、やったことがなかったから、似合ううちにやっておきたかったんだと思います。

「可愛い」だったらおばあさんになってからでもいいけど、「セクシー」には無理があるもの!


わたしはダンサー+アーティストだから、どういうカットやスタイルや色や素材のものを身につけると、自分の体が一番美しくセクシーに見えるかということを当時からよく知っていました。

けれども当時わたしが好んだスタイルは今現在、(つまり、それから20年後)若い女の子たちが好むスタイルにかなり近くて、当時はそんな格好で街を歩いている人はあまりいなかったので、多少「やりすぎ」のイメージがありました。(笑)

背中まるあきのドレス、
体の線がはっきり見える服、
胸のカットがガーッと低くまで開いたセクシートップ、
お腹丸出しにへそピアス、
裸に見える肌の色のタイトなショートドレス、
お尻のほっぺの見えるくらいのショートショーツなど・・・、

今では若い人たちはみんな普通に着ていますけどね。


そういう格好をしてNYCの街を歩いていると、
とにかく男性やタレントスカウトの人たちなどのアテンションを受けることが多かったです。
それから変体(・・・っていうか、キンキーなセクシュアルファンタジーをもつ人たち 笑)

さすがに今は少しカバーアップしますが、
(今、あそこまでやったらさすがにバカに見えるあせる
でも可愛らしい格好とか、垢抜けない感じ、おばさんくさい感じはわたしは好みじゃないですね。ダウン
微妙にセクシーさの漂う、粋で、知的で、エレガントな感じが好きです。グッド!

でもね、ああいう思い切ったセクシーさの表現を
それが一番似合う時期にやっておいてよかったとも思っています。合格


セクシーであれ、なんであれ、
自分らしい、自分の魅力が最もよく表現されるような装いをできたらいいですよね。グッド!

ニューヨークというのはそういう意味でも刺激のある街です。

人々がよりダイナミックに自己表現をしているからです!

「可愛らしさ」とか「人からどう思われるか?」「男性からもてるか?」などにとらわれていると、自分の本当の魅力を表現しそこなってしまうように思えます。

ニューヨークは個性の表現にも素晴らしい街!キラキラ

そして個性こそが一番セクシー!ドキドキキラキラ




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今でこそ、Homophobic (ホモセクシュアルを否定する)な人たちは社会的にも非難されるようになりました。

わたしが渡米した1994年頃のアメリカは今ほどはホモセクシュアルが受け入れられていなかったとはいえ、
ニューヨークではすでにホモセクシュアリティーを否定、差別するのはよくないとマジョリティーの人たちに思われていました。

けれども当時の日本は全然違いました。
多くの普通の人たちは嫌悪感とともにホモセクシュアリティーを否定していました。


そのことで思い出すのが、1994年、一番最初のNYU(ニューヨーク大学)のセメスターのESLでの出来事です。

ある講義の中でわたしたち学生はディベートの練習をさせられたのですが、
その時のテーマのひとつとして、
「ゲイカップルが養子を取ることについて」というのがありました。

わたしはもともと自分自身がとても変わっている人だということもあって、
自然と自分とは違っていてもマイノリティーの人たちに対する許容力の大きな人でした。

しかもゲイであることが悪いことだという考え方はわたしにとっては想像もつかなかったことで、
ましてや、ゲイだろうが、なんだろうが、親のいない子供たちに愛を送る親ができることの何が悪いのか、わたしにはさっぱり理解できませんでした。
だからそれに対して「ノー」という人たちがいること自体が自分自身の想像外のことでした。

ところが、アジア人の多かったそのクラスでは半数以上が「ノー」!
クラスにもう一人いたわたしと同年代だった日本人女性はそれに対して大きな嫌悪感が隠せなかったようで、

"It's bad for the child! I feel sorry for the child who has gay parents!"

・・・と、叫んでいました。
そしてわたしは自身はそんな彼女の姿に結構大きなショックを受けました!


けれども確かに当時の日本はそんな時代だったのです!

私自身も許容力はあったけど、実際にはゲイのカップルをニューヨークへ行くまでは見たことがありませんでした。

ニューヨークの街中で夜、熱いゲイカップルのラブシーンを初めて見た時は結構ビックリしました。
(嫌な気分にはまったくならなかったけどね 笑)


今になって面白いなあと感じることは、実はわたしがニューヨークへ渡って、一番最初に一番親しくなった友達がゲイだったのです!

彼はスペイン人で、2年ほどするとマドリッドに帰っていきましたが、実は彼がわたしに自分がゲイであることを打ち明けたのは、彼がマドリッドに帰った後でした。

あのESLのクラスのディベートを彼はどんな思いで聴いていたのだろうかと考えると、なんかますます面白い!
(当時彼は大学のESLのクラスメート!)
アジア人の友達たちに自分がゲイであることを打ち明けられなかった理由もよくわかります。



当時わたしはダンサーでもあったし、ゲイの人たちとはその後ずっとかなり縁がありました。

実は自分にとって最も心地よい友達はゲイの男性たち!グッド!

彼らとは恋愛話もできて、まるで女友達みたいであると同時に、男性なので男の気持ちもよくわかるし、
女性同士の間でよく起こる嫉妬の感情も起こらないし、男性だからさっぱりしてるし、
また、彼らはマイノリティーなので繊細な気持ちもよくわかる!

しかも相手は男性でも、変な恋愛感情、性的関心が絡む心配をせずにすむので、
私自身にとっては友達として理想的なのです!
(レズビアンの人たちは逆にちょっと微妙汗 笑)


2018年現在、わたしには数え切れないゲイの友達、そして性別を変えた友達などもいます。

今や1994年とは人々のホモセクシュアリティーに対する感覚、考え方も大きく変わりました。

けれども大統領がトランプになって、人の差別に対する感覚が退化したというか、
「実は今もこんなに Homophobic な人たちっていたんだ!」
・・・と、ショックを受けています。

大統領が Homophobic だと、それまでは Homophobia を否定されていた一般的な人たちが、ゲイの人たちに対する否定や差別をしやすくなるのだと思います。

そんな社会は嫌!

どんな人も平等に受け入れられ、幸せでいられる社会を希望します。ラブラブ





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「9.11」の話をした時に、その二年後にあったブラックアウト(大停電)の話をちょっとしましたが、今日はその時の話を書きますね。

それは2003年の8月14日の話です。
突然ニューヨークの街中が停電してしまうという突拍子もない事件がありました。

私自身はその時、ヨガのクラスか何かからアッパーイーストの家に帰ってくる途中で、郵便局の切手の自動販売機で切手を買おうとしていました。

アメリカのボロい自動販売機にはよくお金だけ吸い込まれるので、イラつかされることが多いのですが、むかっ
その時もお金入れてボタンを押しても切手が出てこないので、ガンガン自動販売機を叩いていました。

最後に思い切り自動販売機を叩いた時、やっと切手がぽろっと出てきたその瞬間、郵便局の灯りがすべて消えたので、わたしは自分がやったのかと思って慌てて外へ逃げました。(笑)

ところがその時にどうやらあれはわたしの仕業ではなかったと気づきました。
なぜなら街中の灯りが消えていたからです!

昼間だったので、ただ歩いているだけのわたしにはそれほど支障はなかったとはいえ、
お店などは電力がないとかなり困る状態。
おまけにテレビなどもつかなければ何が起こっているのかもよくわからないしね。
(2002年、まだアイフォンなどもなかった)
街中のお店の人たちがみんな外に出てあたりを見渡していました。

おまけに街中の信号機もつかない状態だから、車がびゅんびゅん止まることなく走ってたのが非常にあぶなっかしかった!

そんな状態でも家に戻るまでにコリアンデリでフルーツを買い、家のビルディングの下にあるお店でもいろいろ買ったけど、どちらのお店も真っ暗で、レジも使えず、電卓で料金を計算しながらも、
「もうなんでもいいや!もってけドロボウ!」
・・・って感じの状態でした。(笑)

最初はそれでもすぐに電力が戻るかと思っていたのですが、ずっと戻らず、何が起こっているのかもよくわからない状態だったのだけど、これはやばそうと思って懐中電灯などを買いに行こうとした時にはもうすべてが遅すぎて、どのストアに行っても懐中電灯はすべて売り切れ!


夕方になると普段から日の当たらない家の中が真っ暗になってしまったのだけど、幸い夏で日も長かったので、外のベンチに座って本を読んだりおやつや夕食を食べたりしました。

同じように外でたむろっている人たちはかなりたくさんいて、
しかも電車も動かないからすさまじい数の人たちがみんな街の道路を数時間かかけて歩いて家に帰っていくから、街中が大きなカーニバルの最中みたいでした。

当時ブルックリンに住んでいた友達はブルックリン・ブリッジを渡って数時間かけて大勢の人たちと一緒に歩いて家に帰ったと言っていました。
その時に見た、まったく灯りのない尋常ではないマンハッタンのむこうに真っ赤な夕日が沈んでいく光景は不思議で美しかったと彼女は言っていました。

うちの付近には多数のレストランがあったけど、そういうレストランでは冷蔵庫が止まったことで、食事を無料で街を歩いていく人たちに振舞ったりしていました。
レストランの中は暗いから、外にテーブル出してみんなそこで食事してました。
そんな光景がずっと向こうまで続くから、街の中はいつになく華やかな賑わいぶりでした。

切羽詰った感じはなく、みんな結構楽しそうだったのをよく覚えています。

街の中でも、アイスクリームなど溶けてしまうので、長い距離を歩いて家に帰っていく見知らぬ人にあげたりしているのを見ました。

そんな街の状態を見ながら、
「ああ!あの 9.11 でニューヨーカーたちは魂の成長をしたんだなあ」なんて思っていました。合格

あれと比べれば大停電はそれほど大したことではないからです。
生きて、歩いて家に帰っているわけですからね。

もちろんそのために大変な思いをした人たちもいるだろうとは思うけど、
多くの人たちにとってはかなり不便でも命に支障をきたすような出来事ではなかったわけですから。

そしてそんな時こそ助け合おうという気分に大多数の人たちがなっていました。
素晴らしいエネルギーですね。グッド!キラキラ


ニューヨークでは1977年にもブラックアウト(大停電)があったそうなのですが、
その時は人々はパニックして大変だったみたいです!
店のガラスを割って盗難に入る泥棒とか、あとは火災などもたくさん起こって悲惨なカオスの状態だったとか。
それと比べると2003年のブラックアウトの時のニューヨーカーたちはずっとレベルの高い対処、反応ができたようです。

ニューヨークが街ごと進化、成長したと感じた2003年の夏の出来事でした。合格



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