文系大学をディスる会社スタッフ
高校2年生から理系と文系に別れるのが一般的です。今は社会的な刷り込みから解放されているのか、理系女子、文系男子も多いのです。私が高校の頃は理系には女子は少数の少数 文系クラスの男子は少ないのでモテモテでした。話はそれました。それに応援団長はそつなくまとめる女子、合唱コンクールは男子のピアノ伴奏当たり前です。そして大学受験も 理系専攻の学生が、数学受験で文系の学部と言われている 経済、商学、政治経済を受験します。数学は科学の始まりですから、は英語同様必須科目となります。大学運営側は数学ができないの経済専門の勉強は数学が必須条件補講するなど苦労が多かったようです。何でも良いか悪いか2局面の判断し言い切るスタッフが複数名います。自分自ら文系大学出身なので、役に立たない、AIに凌駕される文系大学が留年したら目も当てられない、専門性がない等など今考えれば高卒後専門学校に行き、電気工事技師の知識を身につけたいと。大学不要論まで飛び交っています。文系大学をディスる!多様な考え方は理解しますが、今現在理系文系の枠組みは前より薄れ、横断しているのです。大学は社会に出る前のマージナル 猶予期間、ここを通して出会い、試行錯誤、学問の自治が認められる環境の中で四方八方吸収でき、より高く羽ばたくための期間だと感じています。誰の中にも文系的理系的がグラデーション的に存在しており、真っ二つに分かれるとは言えないです。脳科学者で有名な理系優位優位の中野信子さんは、東京藝術大学大学院研究科でキュレーションを学んでいるそうです。大きな枠組みで考えれば絵画に接するとき美しいものに接する時前頭前野の活動は活発になっていて美については脳科学の研究分野です。すべて基底部で繋がっているのだと思いました。博士は英語で PHD ドクターオブフィロソフィーと呼びます。まさに歴史的文化的土壌が厚く強固であるヨーロッパ圏では哲学、智を愛する事が博士の象徴なのでしょう。物事がはじまり、原始の状態から考え続けてきた古代ギリシャの哲学者、画家、数学者、頭の中は宇宙です。終わりのない旅です。プラトンのアカデメイア入り口には「幾何学を知らぬ者, くぐるべからず」と門に書かれていました。数学的な能力も哲学には必要になると推測できます。理系も文系も 横断できるそういった子育てが必要となります。無理矢理あてこむのではなく、両方大切に。自然科学 理系優位を述べる旧態依然の考えは終わりを迎えていると思います。理系は実学に近く、科学の発展、産業の発展に貢献しています。その下支えになるような文系の人文社会科学的名要素は自分軸の構築になります。フランスのマクロン大統領は 文学、社会科学、自然科学を3つを分けることを改革し色々な科目を学ばせるようにシフトしています。文学が一番下に見られるような古い概念は捨てる事です。大きな概念は変わりつつある事を感じる。日本も近づけたらと。。****