オンナ30代、なんでもできる気がする。 -129ページ目

心強いレスキュー隊と、日本

各国からレスキュー隊が、続々と日本に到着しています。

オレンジ色の服に身を包み、きりっとした表情で、

今から、被災地に赴き、懸命に救助活動をしてくれると思うと、なんだか心強くて…。


日本の為に、自国の家族や大切な人を残して尽力してくれると思うと、

世界が一つになっているようで、温かいものを感じます。


人の命の大切さを、改めて感じます。



最近の菅首相、とても頼もしく思います。一生懸命な感じが伝わってきます。

テレビ中継で話している姿を見ると、応援したくなります。

力になりたいと思います。この国で困っている人の為に何かしたいと思います。



今の政治や政治家のこと、将来のこと、不安や疑問もたくさんありますが、

しかし今は、私たちの気持ちも政治家の気持ちも、同じ方向一つになって、

団結できる大切な時だと思います。


日本という国が1つになって、乗り越えていく大きな出来事なのだと、思います。



計画停電の発表もありました。(少し混乱はあるようですが…)

私のエリアは、月曜日の15201900

被災された方々の安全と、まだ安否が確認できない皆さまの無事を祈りながら、

協力したいと思います。


cobito







いま、できることから・・・

津波で、家や車が濁流にのみこまれて流されている映像は、

いままでも、テレビで何度か目にしましたが、まさかそれが、日本で起こるなんて。

日本は、いろんな意味で、世界から注目されていますが、

まさかこんなことで、注目されることになるなんて・・・

なんで日本なの?と思ってしまいましたしょぼん


インドネシアとの関わりが深い私にとって、

2004年のスマトラ沖地震や、2006年のジョグジャカルタでの大地震の映像が、

いまでも目に焼きついていますが、そのときは、

「木造やレンガ造りの建物が多いインドネシアだから、あれだけ被害がでるんだろうなぁ。

これが日本だったら、ここまで大きな被害にはなっていないだろうに・・・」と

思っていました。


今回の地震は、スマトラ沖地震と同規模の、M9.0。そして大津波。
スマトラ沖地震と変わらない、映像です。


日本の建物=鉄筋コンクリート=耐震構造、なんて考えは、
私のように、都会に暮らす人の考えで、

山沿い、海沿いの集落や漁村の民家、商店などの建物は、

この日本でも、まだまだ木造のものも多く、地震対策も万全ではなく・・・・

もちろん津波対策も・・・



あの日、私は、本当に運がよかったです。


銀座のオフィスビルの11階で仕事をしていました。
耐震構造のビルゆえに、必要以上に揺れて、このままどうなるのか、と思いましたが
まさかビルが倒壊することはないだろうし、その時はもう覚悟するしかない、と思って
とにかく揺れがおさまるのを待ちました。


フロアには15人ほど、私の部署には大阪出身の部長とふたりきりでしたが、
部長も私も、阪神淡路大震災を経験したからか、「騒いでも仕方ないから
とにかく様子をみよう。すぐに降りられるように、身支度して・・・」と
冷静にいられました。

揺れているあいだ、かなり長い時間あったので、阪神淡路大震災の経験から
携帯はつながらなくなる、電車もとまる、コンビニの商品もすぐになくなる・・・と
いろいろと考えました。会社の自動販売機でお水を買って、引き出しの中の
お菓子をかばんに入れて、歩いて帰らないといけないから、インターネットから
地図をコピーして・・と。


その日は、たまたま大阪から友達がきていて、彼女と待ち合わせをしていました。
六本木のお店で待ち合わせをしていたのですが、ラッキーにも、彼女は
地震が起こる前に、銀座に来ていたみたいで、その後、奇跡的につながった電話で
仕事が終わってすぐに会うことができ、彼女が予約していた、

品川プリンスホテルに泊めてもらうことになりました。


20時半くらいまで、ゆっくりゴハンを食べて、それから、銀座から品川まで歩くことにしました。

新橋駅前では、WILLCOMさんが、「携帯電話使ってください!」と提供されていました。


歩いている途中、名古屋の友達からのメールで、地下鉄が一部運転を始めたと知り

ちょうどある駅の前を歩いていた私たちは、2駅、地下鉄で品川に近づくことができました。


その途中では、東芝さんが、オフィスビルの前で、「トイレを使ってください~」と
オフィスビルのトイレを解放されていました。


無事にホテルに辿りついた時には、ロビーが避難所となっていて、たくさんの人が
座り込んでいましたが、私たちは、その中を通って、部屋に上がり・・・

そこで初めてテレビをつけて、あまりに悲惨な光景に、ふたり言葉を失いました汗

ベッドがあって、シャワーを使える、なんて幸せなことなんだろう、と思いました。


避難途中で道を丁寧に教えてくれた方々や、メールで情報を教えてくれた友達には
私も助けられました。そして、WILLCOMさんや東芝さんに助けられた人も
たくさんいたと思います。



翌朝、自宅に辿りつくまでは、知らない街を、ひとりで何キロも歩いたり、電車を乗りついだり、
家に帰ることに必死で、周りのことを考える余裕はなかったですが、昨日今日と
テレビで被災地の惨状を目の当たりにして、なにができるか?を考え始めました。


まずは、また起こるかもしれない余震に備えて、自分の安全を確保することから。
そして、被災地の方々のために、何ができるかを。


coco


地震と津波

昨日の地震を、静岡県の沼津で感じました。

3階建のビルの3階で、小さな揺れを感じた時は、強風による揺れかな?と・・・

次第に揺れが大きくなり、縦と横の揺れを感じた時は、まっすぐ立てないくらいで、

隣の部屋にいた社長の「地震!!!」と言う言葉に反応して、ようやく認識して、

靴も履かず裸足でビルから逃げ出しました。


しばらく道路の真ん中に立って、それでも揺れは激しくて、頭が真っ白で、

はっきり言って、どうしていいか分かりませんでした。

恐怖だけで、なすすべがないって、こういう時に感じるんだと・・・



私が感じた震度3であの揺れだと思うと、震度7と言われている東北地方では、

その恐怖は計り知れないものではと、思いました。



テレビを観ていると、茫然とするような映像が次々と流れて、被害に遭われた方々のことを思うと、

ただ祈るしかできません。


地震も津波も、人間の力ではどうにもならない・・・・

天災の前には、何もできないもどかしさを感じます。







犠牲になられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。


一人でも多くの方が助かりますように…

そして、もうこれ以上の被害がでませんように…

心からお祈りしています。


cobito