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峠杣一日・著
ブラックホールの向かふ側へと続く軌条(レール)を、をろぽっぽ御然らば號(大蛇汽車おほんしからばがう)は走る。
見渡す限りの、否(いな)、何も見えない闇だ。
時偶(ときたま)停車場(ていしゃば)があるのだが、全て「御然らば駅」(おほんしからばえき)で見分けがつかない。
新たに乗って来る者はをらず、降りてゆく者ばかりである。
さう云(い)へば何(ど)の「御然らば駅」だったとも分からないが、お冥(おみゃう)達が下車してゆくのを見送った。
お妖(おえう)、お卅美(おみみ)、お咲(おさき)、それぞれ異なる「御然らば駅」に姿を消したのだった。
「ううむ……何処(どこ)ぞに、わいらの駅もあるんぢゃらうの」
兇興翁(きょうきょうをう)が問い掛けながら向かひの座席を見ると、兇薬(きょうやく)が身支度(みじたく)をしてゐる。
「やあぢいさん。
次が、俺の終着駅だ。
何故だか知らんが、分かるぜ。
世話になった……愛してゐるよ」
全ての「御然らば駅」には、猿田彦(さるたひこ)と天鈿女(あまのうずめ)が雲に乗って立ってゐる。
下車した者は皆、その雲の列(つら)なりに乗って底無しの闇へと去ってゆくのだ。
兇薬とも別れ、をろぽっぽの乗客は兇興翁ただひとりとなった。
さて、「精神×肉体=生命」。
私達は、三つ子の魂(みつごのたましひ)(一・いち)である。
それは「三つ子の鉤」(みつごのかぎ)、文字通り「心」によって実体化(じったいくわ)してゐる。
因(ちな)みに、隣りで釣り糸を垂れる古老(こらう)が云ふには七福神のひとり恵比須(えびす)さんの釣り竿(ざを)に付いてゐるのが「三つ子の鉤」であるらしい……もしや貴方(あなた)は?!
どろん!!!
心と云ふのは、眞心(まごころ)しかない。
眞心は「忠」(まごころ)で、例へるなら地球の中心、重力の一点の如(ごと)く皆に共通の、否、同じい真ん中の心である。
【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】
〽️
いやさかえ
いのちいやちこ
さいはひよいち
まほらとこいは
みつのたま
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
つづく。