『なんぞころびやおき 地球慕情篇』(43) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 地球慕情篇』

(43)

峠杣一日・著

ブラックホールの向かふ側へと続く軌条(レール)を、をろぽっぽ御然らば號(大蛇汽車おほんしからばがう)は走る。

見渡す限りの、否(いな)、何も見えない闇だ。

時偶(ときたま)停車場(ていしゃば)があるのだが、全て「御然らば駅」(おほんしからばえき)で見分けがつかない。

新たに乗って来る者はをらず、降りてゆく者ばかりである。

さう云(い)へば何(ど)の「御然らば駅」だったとも分からないが、お冥(おみゃう)達が下車してゆくのを見送った。

お妖(おえう)、お卅美(おみみ)、お咲(おさき)、それぞれ異なる「御然らば駅」に姿を消したのだった。

「ううむ……何処(どこ)ぞに、わいらの駅もあるんぢゃらうの」

兇興翁(きょうきょうをう)が問い掛けながら向かひの座席を見ると、兇薬(きょうやく)が身支度(みじたく)をしてゐる。

「やあぢいさん。
次が、俺の終着駅だ。
何故だか知らんが、分かるぜ。
世話になった……愛してゐるよ」

全ての「御然らば駅」には、猿田彦(さるたひこ)と天鈿女(あまのうずめ)が雲に乗って立ってゐる。

下車した者は皆、その雲の列(つら)なりに乗って底無しの闇へと去ってゆくのだ。

兇薬とも別れ、をろぽっぽの乗客は兇興翁ただひとりとなった。

さて、「精神×肉体=生命」。

私達は、三つ子の魂(みつごのたましひ)(一・いち)である。

それは「三つ子の鉤」(みつごのかぎ)、文字通り「心」によって実体化(じったいくわ)してゐる。

因(ちな)みに、隣りで釣り糸を垂れる古老(こらう)が云ふには七福神のひとり恵比須(えびす)さんの釣り竿(ざを)に付いてゐるのが「三つ子の鉤」であるらしい……もしや貴方(あなた)は?!
どろん!!!

心と云ふのは、眞心(まごころ)しかない。

眞心は「忠」(まごころ)で、例へるなら地球の中心、重力の一点の如(ごと)く皆に共通の、否、同じい真ん中の心である。


【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】

〽️
いやさかえ
いのちいやちこ
さいはひよいち
まほらとこいは
みつのたま

南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神

つづく。