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峠杣一日・著
此世(このよ)の運(うん)と縁(えん)とを開き結ぶには、彼世(あのよ)の雲(うん)と宴(えん)とが不可欠。
雲を司(つかさど)るのは、雲州出雲国(うんしういづものくに)の神。
其処(そこ)へ集ひて宴(うたげ・くつろぐ)する八百万(やほよろづ)の神々は、私達の命に他ならない。
此処(ここ)に目出度(めでた)く、三つ子の魂たる現し世(うつしよ)の氣吹(いぶき)が立つのだ。
「さてそんな訳だから私達の命の本質は、本能的とも思はるる欲求其の物ではない事もはっきりするね。
私とは、家の命を生きる働き(現し世を育む働き)なんだからね」
経法印(きゃうほふいん)の言の葉(ことのは)が、村人達の心に常の理(とはのことわり・永久の理)の倭文(しづ)の文目(あやめ)を織(お)り込んで行く。
さてもそもそも、日本古来の此の常の理の人世観こそが、私達の命の鼓動なのである。
【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】
いちよあれかし、さいはひよいち。
まほらよいちそはか、南無あれかし大明神!
つづく。