『なんぞころびやおき 天球旅情篇』⑦ | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 天球旅情篇』


峠杣一日・著

此世(このよ)の運(うん)と縁(えん)とを開き結ぶには、彼世(あのよ)の雲(うん)と宴(えん)とが不可欠。

雲を司(つかさど)るのは、雲州出雲国(うんしういづものくに)の神。

其処(そこ)へ集ひて宴(うたげ・くつろぐ)する八百万(やほよろづ)の神々は、私達の命に他ならない。

此処(ここ)に目出度(めでた)く、三つ子の魂たる現し世(うつしよ)の氣吹(いぶき)が立つのだ。

「さてそんな訳だから私達の命の本質は、本能的とも思はるる欲求其の物ではない事もはっきりするね。

私とは、家の命を生きる働き(現し世を育む働き)なんだからね」

経法印(きゃうほふいん)の言の葉(ことのは)が、村人達の心に常の理(とはのことわり・永久の理)の倭文(しづ)の文目(あやめ)を織(お)り込んで行く。

さてもそもそも、日本古来の此の常の理の人世観こそが、私達の命の鼓動なのである。


【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】

いちよあれかし、さいはひよいち。

まほらよいちそはか、南無あれかし大明神!

つづく。