『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』
(26)
峠杣一日・著
「見事ぢゃ」
「好(い)い子よ坊(ばう)や」
「迷ひの種を見込んで蕃殖(はんしょく)させて来た効(かひ)があったわ」
突如血達磨(ちだるま)の人斬りが口から八つ裂きに破(やぶ)れると、ぐしゃり血の花を咲かせて崩れ落ちた。
其の中から、人斬りの肉塊(にくゝわい)を蓮華坐(れんげざ)宜(よろ)しく現れたのは迷ひの大蛇(まよひのをろち)。
八つの鎌首(かまくび)を傾(かし)げては、をかしな印相(いんざう)をあれこれ結んで、
「我こそは迷妄執行(めいまうしっかう)の化身(けしん)、迷妄大明神(めいまうだいみゃうじん)なるぞ」
などと嘯(うそぶ)き、神仏をちゃらかして悦(えつ)に入(い)ってゐる。
其れにも飽きたのか、人斬り肉(ひときりにく)をごくり一呑(ひとの)みにすると、次の獲物(えもの)を探してぬるり移動を始めるのであった。
此れは、迷妄念々(めいまうねんゝゝ)の記憶の断片(だんぺん)である。
斯様(かやう)にして、迷ひの大蛇(まよひのをろち)は肥大(ひだい)して行く。
何となれば、迷ひの餌食(ゑじき)は何処にでも幾らでも誰にでも湧いて出て来るからだ。
常の理(とはのことわり)の人世観(人生観)の、一人ひとりの底上げが肝要(かんえう)なる所以(ゆゑん)である。
つゞく。