『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』(26) | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』

(26)

峠杣一日・著

「見事ぢゃ」

「好(い)い子よ坊(ばう)や」

「迷ひの種を見込んで蕃殖(はんしょく)させて来た効(かひ)があったわ」

突如血達磨(ちだるま)の人斬りが口から八つ裂きに破(やぶ)れると、ぐしゃり血の花を咲かせて崩れ落ちた。

其の中から、人斬りの肉塊(にくゝわい)を蓮華坐(れんげざ)宜(よろ)しく現れたのは迷ひの大蛇(まよひのをろち)。

八つの鎌首(かまくび)を傾(かし)げては、をかしな印相(いんざう)をあれこれ結んで、

「我こそは迷妄執行(めいまうしっかう)の化身(けしん)、迷妄大明神(めいまうだいみゃうじん)なるぞ」

などと嘯(うそぶ)き、神仏をちゃらかして悦(えつ)に入(い)ってゐる。

其れにも飽きたのか、人斬り肉(ひときりにく)をごくり一呑(ひとの)みにすると、次の獲物(えもの)を探してぬるり移動を始めるのであった。

此れは、迷妄念々(めいまうねんゝゝ)の記憶の断片(だんぺん)である。

斯様(かやう)にして、迷ひの大蛇(まよひのをろち)は肥大(ひだい)して行く。

何となれば、迷ひの餌食(ゑじき)は何処にでも幾らでも誰にでも湧いて出て来るからだ。

常の理(とはのことわり)の人世観(人生観)の、一人ひとりの底上げが肝要(かんえう)なる所以(ゆゑん)である。

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つゞく。