『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』⑳ | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』



峠杣一日・著

迷妄宝船(めいまうたからぶね)の勝ち誇った高笑ひが、三途の川(さんづのかは)の空に響き渡る。

そして賽の河原(さいのかはら)の一行(いっかう)に向けて、迷妄(めいまう)の弾丸(だんぐわん)が迫(せま)る。

鬼燈(ほゝづき)が観音風呂敷(くわんおんふろしき)の秘技(ひぎ)で楯(たて)を現したが、千切れちぎれに砕(くだ)かれ灰(はひ)となって了(しま)った。

次の一撃!

螢火のお総(ほたるびのおふさ)が氣魄(きはく)の氣剣術(きけんじゅつ)で悉(ことゞゝ)く弾き飛ばし飛散(ひさん)させたが、お総(おふさ)の木太刀(きだち)は真っ二つに折れて了(しま)った。

今度こそ一巻の終はり(いっくわんのをはり)、然(さ)れば此の物語も幕切れである。

父×母=子
精神×肉体=生命
未来×過去=現在

人は無限を生きる有限のいのち、三つ子の魂(みつごのたましひ)たる一(いち)である。

言ひ換へれば、私達の心身を形成(けいせい)してゐるのは先祖であり、身の周りの全てゞあると言ふ事となる。

つまり今日食べた米も、水も空氣も音も光も、風景(ふうけい)も家屋(かをく)も時間も…私達を形作るのだから全て先祖(また其の働き)に他ならない。

私達は先祖に包まれて生かされ育まれてをり、やがて先祖(命根メイコン)となって未来を育む存在である。

即ち私達は常の命(とはのいのち)であり常の親子(とはのおやこ)、三つ子の魂たる一(いち)に他ならない。

常(つね)にある常の理(とはのことわり)を貴(たふと)び、常の命(とはのいのち)を愛(うつく)しむ事こそが人世(人生)なのだ。

此の本質を見失った隙(すき)に付け込んで来るのが、迷ひの大蛇(まよひのをろち)であり贋宝船(にせたからぶね)であり迷妄宝船(めいまうたからぶね)なのである。

あゝ、くはゞらゝゝゝゝ、いちよあれかし。

190704_190943.jpg

つゞきます。