『なんぞころびやおき』
(30)
峠杣一日・著
贋宝船(にせたからぶね)。
其れは、常の理(とはのことわり)の欠乏から迷ひの大蛇(まよひのをろち)となった人魂の、哀(あは)れ流離(さすら)ふ成れの果てだ。
「父×母=子」
常の理(とはのことわり)たる三つ子の魂といふ絶対(三つ)を見失ふと物事が相対(二つ)だけに止(とゞ)まりかねず、ともすれば未来が害(そこな)はれる。
其れは人生の本質を失念(しつねん)する事ともなるので、何をすれば好いのか分からず誤(あやま)った個人主義に陥(おちい)ったり事大(じだい)主義に流されたり、将又(はたまた)自他を怨(うら)んだりもしてしまふ。
更に自暴自棄(じぼうじき)となっては、阿鼻叫喚(あびけうくわん)の巷(ちまた)をのたうちまはる事ともなりかねない。
常の理(とはのことわり)を育めない淋(さび)しさは、生命の順行を黒雲(くろくも)に覆(おほ)ひ逆(さか)ふ迷ひの大蛇(まよひのをろち)となる。
常の理(とはのことわり)・三つ子の魂は、私達の命そのものなのである。
数多(あまた)の家々(いへゝゝ)に生命の順行の明かりが灯(とも)る時、世に蔓延(はびこ)る迷ひの大蛇(まよひのをろち)も鎮(しづ)まるだらう。
つゞく。