自然災害に思う | 元気と笑顔の伝道師☆佐藤ココア綾子の日々全力投球ブログ

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人に元気と笑顔とハッピーを!と人材開発&組織開発の道へ。研修講師、ワークショップファシリテーター、コーチ&キャリアカウンセラー時々アフリカンダンサー。『心、身体、人生を動かす人』として活動中。わくわくと感動だらけの人生を。

3日間の大阪出張から、昨日無事帰京。
はっきりいってくたくたです。

最近は忙しくて、テレビをつけてもニュースを見るくらいなのですが、
気になるニュースが。
九州で豪雨による被害が出ているようで心配です。
妹が長崎に住んでいるのですが、大丈夫かしら・・・

豪雨のニュースを見て、思い出すことがあります。
もう3年前になるかな、私の地元新潟でも、豪雨で堤防が決壊した災害がありました。
『7.13水害』 といいます。
覚えている方もいらっしゃるかもしれません。
私の実家も被害を受けました。
http://www.sanjo.biz/hakkutu01-0501/02/14/02_14_1.html

あの日、数日前から新潟では雨が降り止まず、
ニュースを見て心配になった私は、実家や地元の友人にメールをしました。
「すごい雨で、道路まで水があふれてきたよー!!」
「トイレの水が流れなくなってきたの!!」
そんなふうにメールのやり取りをしていたのですが。

その頃私は新聞社で働いていて、あちこちにテレビが置いてあり、
時々ニュースが映っていたのですが、
夕方仕事をしていた私の目に、見覚えのある風景が飛び込んできました。
私が育った地元が、中継されていて、
堤防が決壊し、濁流が家々を飲み込んでいました。

あのときの衝撃は、今でも忘れられません。

すぐに家族に電話をかけるものの、つながらず、どうしたらいいのか立ち尽くしてしまって。

その後やっと父と連絡が取れ、祖母と父は避難していることがわかりました。
足の悪い祖母は、近所の人に助けられ、濁流の中避難することができたようです。

私はそのとき初めて「災害ダイアル」というものの存在を知り、すぐに利用しました。

母とも数時間後に連絡が取れ、逃げ遅れて会社に取り残されてしまったことがわかりました。
電気もつかず真っ暗で、ただ救助のヘリの音が響いていたそうです。

どのニュース番組でも中継や特集が組まれていて、私はテレビを食い入るように見ていました。
どれもみんな見慣れた風景。
私が実家に帰ったのはそれから2日くらい経った頃だと思います。
(数日パニックだったので、実はあまりよく覚えていないのです)
一足先に帰った弟が家の被害状況を見て
「姉ちゃん、さすがの俺も泣きそうだよ・・・」と電話をかけてきました。
東京にいる私は、心配と不安で足が震え、心臓の鼓動が聞こえるくらいで、
食欲もなく、そして自分の無力さが腹立たしかったのでした。

実家に帰った頃には水もだいぶ引いていましたが、私も家の片付けを手伝いながら、夜は避難所生活を送りました。
私の家は床上浸水でした。

それから年月がたち、世間は水害のことを忘れていきましたが
災害の爪あとは、今でもリアルに残っています。
里帰りすると、あちこちに空き地ができていたり、
お店をたたんでしまったところもたくさんあることを私は知ります。

とても寂しい気持ちになります。

今やっと私の地元は水害から復興しつつあります。
たまたま私はこうやって災害を体験してしまったこともあり、
他人事ではないんだ、と思っていますが、
テレビのニュースを見ても、それはリアルな感じがしない人も多いのではないでしょうか。
いつ私たちの身に起こってもおかしくないことなのです。
この異常気象、私たちに何か出来ることはないのだろうか、と
思った日曜日でした。