一昨年から予想もしなかった567騒動、半年で終わってくれるはずだったのに、二年半も続いて心身ズタボロになってしまった。いまだ収束どころか、ズルズル延ばして「いつまで続けるのか、いい加減にせい!」だわ。

 「無症状から移す」「人をみたら567と思え」「誰もがウイルスを持っている」など、ありもしない理由で健常者までも増苦生活をさせる有り様。

 「このご時世、仕方ない」と笑われるだろうが、サービス業である販売・飲食・教育・娯楽・宿泊…における接客は本来、素顔で行われるのに、増苦着けての接客はサービスとは思っていない。「おもてなし」「ホスピタリティ」の心はどこに行った?

 声だけで「ありがとうございました!」と元気よく言われても心に響かないし、増苦顔見たら真顔なのよ。眼が笑ってないの。「増苦の下は笑顔」なんて想像できないわ。顔文字だと(^^)とか(*^^*)で表現できても、リアルでは表現できてないのよ。

 増苦取ったら、白い歯を見せてニッコリ笑顔、そんな接客されたら気持ちいいでしょ?求人広告見てても、店員さん皆増苦してないよね?みんな笑顔よね?我々はそれを心待ちにしてるのだが、実際とイメージがかけ離れて違和感しかないわ。

 仮に増苦ありきの接客が義務化されたのなら、ちゃんと表情が見える増苦を作ってほしいだろう。接客業に携わる人たちは表情の見えない増苦で満足していいのだろうか。今のところその話も出ていない。感染対策はあくまで建前、世間体やクレーマー対策といっていいのだろう。自分はまともに店員の顔をまともに見れないし、それがストレスでありトラウマになってるの。

 (こちらを参照↓)

 

 

 

 

 ほんと、眼だけって怖い!眼はある意味”凶器”だもの。眼はイ〇ミ〇ティなどの”支配者”のシンボルでもある。これは民衆を服従させ奴隷化するためだよ?みんなまんまと術中にはまってるの、バッカじゃね?増苦社会にする意図がわかるわ。

 とにかく眼さえ覗かせたら感情が通じ合うのはほぼ無理なの。コミュニケーションの方法はいくらでもあるけど、それを言い訳に増苦を着け続けることは心身の健康につながるわけがない。「眼は口程に物を言う」ことわざがあるけど、それは口元も見せてこそ意味を成すのよ。口元はまさに「幸せのバロメーター」、美醜の決め手も口元からだし、口角が下がった口元は癒し。アホン人に多く見られる「眼だけパッチリしていれば可愛い・美人」という風潮が増苦社会を否応なく受け入れている。そんな社会は永遠に幸せは訪れないだろう。

 どうか窮屈な増苦社会が終わってくれるように!