コロナが流行って、
ぱったり会わなくなった友人たち…
どうしているだろうか。
同じ街に住んでいるのだから
きっとどこかで会える、そんな風に
心のどこかで想っているのかもしれない。
けれど人には想像もつかないことが起こっていたりする。
それは一期一会を生きているということを忘れがちなときに思い知らされる。
久しぶりに遠くの友人から手紙が届く。どんなに離れた場所に住んでいても、心はぐっと近くなる。
繋がっているということが
心を温めてくれる。
むかし、同居の義父が年賀状じまいを考えている…と私に言った。
作っているのは私、高齢の義父は目も手も少し不自由で、私に遠慮しての発言だったのだろう。
けれど私は辞めないことをすすめた。
なぜなら、お正月やはり皆からくる便りを楽しみにしている様子だから。
義父も手書きで一筆書くマメさと
真面目さがあった。
家からほとんど出ることのない義父は、以前飼っていた小夏という犬と大の仲良しで家に居るときはいつも一緒だった。
昔遊んだ近くの仲間達はみな天国に旅立ち、友人との交流も少なくなっていた。
暮れに届く喪中はがきで
知人や知人の近しい人の死を知っては
だんだんと減っていく差し出す数をチェックしていた。
寂しいと背中で言っているようだった。
そもそも年賀状とは
なぜ書くようになったのか…
歴史は古く平安時代までさかのぼり、江戸時代には現在のポストのような「名刺受け」も現れ明治4年郵便制度開始がきっかけとなり、今に至っているそう。
昔から大切な人と交わされてきた年賀状。そこには人と人の繋がりを大切に相手を思いやる日本人の心があったからこそ続いてきたのかもしれない…。
私は年賀状にとらわれず、気持ちを伝える方法はいくらでもあって、クリスマスカードを作成したり、手紙を書いたり、思いたったときに、お世話になったお礼や感謝、相手の幸せを願う思いを伝えています。
今年は個展の案内も同封し、年賀、寒中御見舞など、まだ書き続けています。
自分の中でつながりを
大切にしよう、と決めて少しずつ
書いています。
ところで先に紹介した義父は
数年前に亡くなりました。
でも時どき、思い出しては見習いたいな、と思うところを見つけます。
私はやっぱり年賀状も手紙も
何らかの便りもいただくと
とっても嬉しい😄
元気でいますか?
その一言
その瞬間が
だれかが誰かを想っている
瞬間だからです。
うりゅ坊
感謝
ありがとう