チーチーのお誕生日。 | ー こどもと暮らす ー

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こきちです。
子供中心の生活に変わり、ブログタイトルを「やむ、ヤム、yammy!!」から変更いたしました。
主に子供との時間、長年のライフワークである懸賞の事を書いてます。

今日は、チーチーのお誕生日で一緒に焼肉を食べに行ってきた。
これから四捨五入するとアラフィフにひひ


好物は焼肉だけど、ベルトももうボロボロになってたから、

・ベルト
・焼肉
・家焼肉用のホットプレート

のうちから、プレゼントを選んでもらって、「焼肉キング」がいい!とのことで(笑)


誕生日はこの世に生を受けた日だから特別。
チーチーが生まれてきたことに感謝した。



しかし、昨日、お義母さんから久しぶりの電話があって、
また「お盆はどうするのか」と聞いてこられて困った。
卑怯にもまた山の叔父さんをダシにして。

こないだみたいに、失礼にも飴を口の中で転がしながら電話してこられたのを思えばマシだけど、この人はいつも自分のことしか考えない。
うちの親と同じく寿命だし、チーチーの親だと思うからずっと我慢してきたけど、もう私は何もする気はない。
何故、所得が低いとはいえ、共働きの私たちが昨年あれほど追い詰められたのか。

お義父さんとお義母さんと理砂さんのひっきりなしの要求でだ。
チーチーには、帰るのが親孝行か、要求されたものをやるのが親孝行か、どちらかにしないと私達はいつまでも新婚旅行どころか、死ぬまでに子作りすらできない。
このままだと新婚早々、野たれ死にすると何度も言った。

私は食べ物を買うお金に困って1日1食。
仕事の日は会社の廃棄になる無料の食料を朝と昼食べれた。
貯金を切り崩しながらお夕飯の準備をして、うちの両親からは随分助けて貰った。
私が母の日や結婚記念日に今まで親にしてきたことを、チーチーの家族との交際が始まって丸2年間できなかったから親は察して凄く心配した。

母が具合が悪くても帰れなかったし、入院した時も帰ってない。
伯父の葬式にすら帰ってない。
その家からも当たり前にお祝いを頂いている。
自分たちの所得も貯金もうちの親が作ってくれた余裕も全部吸い取られ・・・
それで、アノ人たちから私はお礼は言われずに文句ばかり言われて。

私はもう2度と熊本には行く気はない。
母親なのにチーチーの誕生日おめでとうともいわないで、要求ばっかりして。

私にも自分で働いて得たものを今日みたいに自由に使い、自分の親に親孝行をする権利はあるはずだ!
「働きとうなかばい」といいながら、チーチーをチラッとみていたが、働かないでも十分暮らせるはずなのにゴルフやギャンブルばっかりするから、働かなければいけないのだ。
お義父さんもお義母さんも仕事はあるし、年金も減額される前の満額貰っていて私たちよりずっと収入は多い。
それで、私達は2年弱で車1台買えるほど交際費を使って、失敬な大口をたたいて、向こうからはゼロ。
いつも手ぶらで文句だけたれて、おかしな人たちだなと思っていたが、お義父さんの実家まで仕事を休んで手伝いに行って、あれだけ要求して結婚式もまさかの「手ぶら」
うちの親と私の友人によれば、チーチーに「ご祝儀をやれ!自分が預かっとく」と言ってアノ親父は激昂していたらしい。
また、パチンコやゴルフやマージャンやボートにつぎ込むつもりだったのだろうか・・・。
チーチーは私がこうなることを予測し、手をうって教えていた通り、「支払いものがありますから渡せません」と答え、押し問答になっていたらしい。

私が頂いたと言える品は、お義母さんから旅行のおみやげの油とり紙3枚・・・。
お義父さんからは人の山で盗んできた柿3個。。。
チーチーは、お義母さんの親戚の被爆手帳を持った病院代不要の人から回してもらったという湿布。。。。
それと、「熊本まで呼びつけられて、会う度に失礼にも何日働いとるか言われて会いたいと思うわけがないでしょう」と言った途端、宅配便で送られてきたお米とお義母さんの会社の海苔。
もう本当に苦痛で憎しみと恨みと憎悪のあまり、チーチーを見るたびにお義父さんの顔を思い出して吐き気がするようになってしまって、最後通牒で言ったのだから今更だが。

ただ、チーチーには自由にしていい。
というか、せからしいから帰ってやるように言っている。

だが、お盆はチーチーは仕事らしく、数日前に帰らないと断っていた。
あとから私はお盆すぎにでも帰ってやるように言ったが、本人が帰りたがらないのだ。

だから、昨日私にも電話をかけてきたのだ。
私がそうさせていると思ったからだろう。

当然だと思う。
帰っても良いことはないし、お義母さんは自分はもてなしたりとか料理もなさらず、お義父さんの実家でご馳走になって「遠慮がなくて気持ちよかろう」とか笑っていう人なのだ。
お義父さんは生家だから多少遠慮がなくなるのはしようがなく、本当に遠慮がないのはお義母さんだけで、他の人は好意に甘んじてはいるが礼儀はわきまえている。

私たちを毎回、親である自分の家でなく、お義父さんの実家に呼びつけて。
私のほうが恥ずかしかった。

叔父さん夫婦はとてもいい人だが、息子さんと娘さんは最近、厳しい目で私のことを見ている。
これも当然。自分の親を大変な目に合わせていると感じているからだ。
チーチーのご両親が親の役割を果たさないから、叔父さん夫婦が私たちにまでご馳走をし、お土産まで持たせてくれるからだ。
そして、私は自分の親には何もできず、帰りもせず、お返しも出来ず、チーチーの親と叔父さんたちにしなければならない。
更に、うちの親は私たちとチーチーの親、そして山の叔父さんたちにまでお土産を持たせ、事の分からないチーチーの親からお歳暮やお中元が届いたら、叔父さんとチーチーの親にお返し。

チーチーの親の最初からの礼を尽くさない所業の数々で、うちの親はずっとカンカン。
なのに、相手をよく知りもせず、知ろうともせず、どういうつもりなのか、物だけ送ってくるのだ。
私も頭がおかしいのでは?の連続だ。


昨年末はとうとう、うちの父親がキレて
「なんでお前は向こうの親の実家まで手伝いに行かねばならんのか!
なんでお父さんたちは、山の叔父さんたちまでお土産を持たせねばならんのか!
お前を気安く呼びつけて、どんな親か!!
チーチー君は働いとるのか!!
お前の為だと思うからお中元やお歳暮は来たら返すけど、付き合いきれんばい!
もう関わりとうなか!!!」

と電話がかかってきて切れて、しばらくして、クールダウンしたのか
「お前、言うなよ。事のわからん人間にゆうても、お前が損をするだけだから。」と再度電話があった。


そして今日、昨日のお義母さんの電話の中での妙な勝ち誇ったようなというか、してあげたのよ~言わんけど~みたいな空気を感じとった私は心配になって母親に電話した。
祖父の妹であるおばあさんを看病している母の疲れ具合も気になった。
昨日も電話したが母は電話に出ず、着信にもコールバックしてこなかったのも気になる。

うちの母親は憔悴していた。
寝たのか寝てないのかわからないようなフワフワした疲れきった声で、今、病院にいるからといった。
昨日、お義母さんから電話があったけど、向こうから何かあったんじゃない?ときくと、
「めんたいこ」が送られてきたらしい。
お義母さんの大嫌いな物だ・・・・。

何か・・・・電話か何かかかってきて、言われたりしなかったと聞くと、
「お盆は小吉さんはそちらに帰るらしいですね。」と言われたらしい・・・。

チーチーに言っても無駄、私に言っても無駄だったから、
「圧」をうちの母親にかけてきたのだ。

母は疑うことを知らず私に、正月こちらに帰ってきたのだから向こうにも帰ってあげたら?どんな親でもチーチーさんにとっては親なのよ。とかいった。
大したものではないけど、うにと烏賊の塩辛を3本ずつと海産物を山の叔父さんとご両親にそれぞれ用意して、一緒に送ったから渡してもらうように言っといたわよ。と。

お義父さんが単身赴任の間、面倒を見てくださった自分の親である病気のおばあさんを捨て、勝手に熊本に行き、未成年だったチーチーに押し付けて、自分たちは親子3人で家の中に3人も稼ぎ手がいて、1円も援助せず、チーチーとおばあさんは貧しい暮らしをして、寝たきりになられてからはどんなに大変だったのか。
何故、チーチーに相手ができても親に会った途端、結婚の話がチラツキはじめた途端、相手が逃げていったのか。
付き合ってすぐの頃、家族はたくさんいたほうがいいと思っていた私は
「いつ熊本に帰ってお義母さんたちと一緒に暮らすの?」とウキウキ聞いた時の
「帰るって何!あそこは親が勝手に熊本に行って、親が住んでる家というだけで俺は暮らしたこともなければ、故郷でもなかとよ!」と凄い剣幕だった。


もう、うちの親は生きることに必死で限界で、お義父さんに年末言えなかった事を冷静になってから、お義母さんに電話して、うちの実家にはもう何も送らないで欲しい、毎日必死でそれどころじゃないんです。うちの親はお返しをしないでも平気でいられる神経は持ち合わせていませんとお願いした。

お義母さんは、「送るのは勝手でしょう。あなたでなく、あなたの親が直接言ってくることでしょう?気持ちで送っているからお返しはいらないのよ。」とか言っていた。
「ああ~気分を害した!あなたには失望させられた!力にもいいつけてやる!もう帰ってこんでもよか!!」と自分の言いたいことだけ言って一方的に電話を切られた。


何が気持ちか!帰るつもりもない。
私はずっと前から失望し、呆れ、怒り、恨み、呪い、今では関わり合いにもなりたくない。
私たちに年末に米を送ってきた後、「どうだ?あともう1回ぐらいは山に手伝いにくるだろう。正月はどうするのか。」と正月まであと半月もないのに2回も帰るように言ってきたのは誰だ。
それもお義母さんのお祝いだといって、とんぼ返りで呼びつけられ、ごちそうさせられた直後だ。
その前に毎月1回以上熊本に行って何万も浪費して食うに困らせ、その時にも12月は仕事の繁忙期で休めないからと断っておいたのに。
自分たちはお祝いといって、3万も浪費させ、うちの親には会わせもせず、物でもおくっておけばいいという、あまりの事の分からなさに愕然とした。
その時にもうちの親に電話して「圧」をかけたくせに。

それにチーチーは全部知っている。
そろそろうちの親にも何か僅かでもと思っていた矢先、その分で馬鹿馬鹿しいことにうちの親の代わりにおご両親への新米を送ったのは私たちなのだから。
この人たちみたいに、いつも自分たちは手ぶらで要求ばっかりしてずぶとい人種であれば、うちの親もどれだけ楽か。
私の両親からは2年間支えられ、結婚祝いも引っ越し祝いも貰っている。
それらも全部、お義父さんとお義母さんの贅沢代と交際費に費やされ。
腹立たしいことに山に手伝いに行った時は、新米を送り、古米にすらことを欠く私達とうちの親の気持ちなど知らず、「古米は食べたくない」、「理砂も古米ならいらんとかいっとった。」といい、
「今度、忘年会がある。」「新年会は・・・」遊びごとの話ばかり。


そんなことを思い出していると、チーチーがはや引きして帰ってきた。
もううちの親は生きるのが限界だったから、お義母さんに電話したら逆切れされて電話を切られたけど、電話がなかったか尋ねている最中にお義父さんから電話がかかってきた。
「頭に血が登って何か口走っておったが気にするな」と言われたそうな。

これまで、諸悪の根源は浪費するお義父さんと金の亡者の理砂さんだと思っていたが、お義母さんが1番の元凶だったのかもしれない。
お義父さんはチーチーの収入の3倍以上あったはずなのに、家も墓もなく、車は会社のを借りている。
家計を預かっているのはお義母さんだ。
チーチーは豪華な旅行を2度もプレゼントしてお礼は小銭入れ。
Movaが使えなくなり、自分は中々携帯を買えないままでいるというのに、お義母さんに新規で4万だか5万だかの携帯代を振り込まされ、その前はコートもプレゼントしてお礼はナッシング。

お義父さんからもお義母さんからも口先だけのお礼しか言われたことがないし、自分たちばっかりしてもらってわるかねぇ、こっちのことはよかけん、たまには実家に帰ってあげなさいと言われた事もないが、お義父さんからは、「ご両親は元気か?」と聞かれたことがある。

お義母さんは母が入院したことを知らない。いつ、入院してたの?といったが私は2度伝えている。
私が母が入院して、その間誰もお花に水をあげなかったから、エリエールアニヴァーサリーが枯れてしまった。
お義母さんにも差し上げたあの花は市場にも出回らない花で、もう手には入らないんです。
と必死で言ってみたが、「ああ、近所の人に挿し木にしてあげた」といわれ、すごく頭にきて、そのことをチーチーにも話した。
次に言った時に、ああはいっておられたがもしかしたら準備してくださってるかな?と期待したがなく、もう一度言ってみたが、どうでもいいことだと思われたのか、話をさえぎられて終わった。