中学生日記【都内私立男子校生】2023年2月に中学受験、2029年2月に大学受験 -8ページ目

出雲大社(島根)の建立背景 神話「国譲り(くにゆずり)」より


↑ 星野リゾート「界 出雲」の神楽(かぐら)

神話「国譲り」:出雲大社の建立背景を演じてる


先ずはキーマンの整理

①アマテラス(天照大神)

伊勢神宮の神様

皇室のご先祖

初代天皇「神武天皇(じんむ) 紀元前711年生」は

アマテラスの孫のひ孫


②オオクニヌシ(大国主)

 出雲大社の神様


神話の概要

「アマテラス」へ「オオクニヌシ」の領土を譲るまでの話

それぞれの使者が代表として戦う

アマテラス側が勝利

オオクニヌシは領土を譲る代わりに隠居場所を作ってもらう

それが出雲大社


雑誌「一個人」では下記のとおり推測されている。

【祭政分離】として平和的に国内が統一されたのではないか?!

天皇家先祖「アマテラス」が政治、

オオクニヌシが祭事(祈りごと)を行う。


天皇家先祖「アマテラス」である大和朝廷(奈良)は、朝鮮半島との貿易で先進文化も武力もある出雲は強敵であることから敬意を持って立派な出雲大社を建立したと考えている。


平安時代の貴族の教科書には、出雲大社は奈良の大仏より大きいと記されていたことからも立派さが伺えるようです。

この話より、昔の出雲大社は

48mあった!

いやいや96mあった!

という諸説があるようです!

↓昔の出雲大社の想像模型




「古事記」からの逸話

第11代 垂仁(すいにん)天皇の皇子は

言葉が発せられなかった…

ある日、神様方のひとりから天皇へ

「我が宮を天皇の宮殿のように作り直したならば皇子は話せるようになるだろう」とお告げがあったそうです。

天皇は「どこの宮を直せばいいのだ?!」と占ってもらうと「出雲大社」だったそうです…


↓これらの話を知って、出雲大社本殿前の写真看板を見ると、今でも、天皇、各宮家は修繕費等を送っているんだぁ…と驚きます!





その後、皇子は言葉を話せるようになったそうです!


ちなみに、「古事記」は

朝廷自らが皇室の歴史を記したものなので、この逸話は皇室の公式のお話となります!?


(すると…古事記製作時の朝廷は

出雲大社を大事にしないと祟りがあるぞと

末裔に言いたかったのかな…)



※本記事の内容は、諸説ある中での一説としてください。



行ってびっくり…したこと ↓


↑観光関係の記事に良く使われている上図の社殿は本殿ではなかった…

神楽殿でした!



出雲大社の前に立派な旅館がありますが…

「竹内まりや」さんの実家だそうです!

↓参考リブログ



なぜ?!出雲大社は「縁結びの神」?


諸説

出雲大社自身の営業戦略だったのでは?

神々が集まる場所

神と神を結ぶ場所

縁結びのご利益があるよ!的なお話



なぜ出雲大社へ行くとウサギ🐇🐰のモチーフ(石人形)が多いの?!



古事記「因幡の素兎(いなばのしろウサギ)」にて

出雲大社の神様オオクニヌシの善行が

記されているから!


ある日、

とある🐇ウサギを助けた。

助けられたウサギは

「良いお嫁さんが来ますよ」と予言したら

確かに良縁が来た!という神話


オオクニヌシの神様は

動物に優しかったんだろうな…



名物 「出雲そば」 人気店の紹介


立地の良さだけでなく、

味良し、店内のセンス良しで行列に納得!

元々は駄菓子屋さんだったそうです!

先代が蕎麦好きで駄菓子屋から蕎麦屋へ

今のオーナーが技術とセンスで人気店にしたようです!






2月5日 リブログ ”2月5日の朝の風景”

2023年組の方の記事です…


2月5日に受験する

今日まで折れずに合格目指す勇者へ

贈ります…


頑張れ2月5日組!


以下、リブログです…


2月5日、日曜日。

首都圏の主要な中学校の入試最終日。



最後の中学入試の会場に息子を送って行った朝の、ひんやりした空気と美しい朝焼けを、今でも思い出します。



すでに本命校から合格をいただき、チャレンジ校としてこの学校を受験している子や、

この学校の合格を手につつ、特待生狙いで受験を繰り返しているお子さんも確かにいるのだろうけど。。。



2月5日の入試を受けているのは、

この日までに満足できる学校から合格をもらっていない子もたくさんいたはず。



わが家も本命校に合格していれば、

合格の余韻に浸りながら、

のんびり寝ているはずの時間。。。



数日前にこの学校を受験した日には、駅から学校までの道が人でいっぱいだったのに、

この日は日曜日ということもあって、人もまばら。



一緒に勉強を頑張ってきた仲間の多くは、すでに受験を終了し、次のステージに進んでいるという現実を、いやがおうでも突きつけられる。



この日の朝は、これまでの入試の「緊張感」や「高揚感」とはちょっと違って、「悲壮感」や最後まで取り残されたもの同士のある種の「連帯感」とも言えるような空気感も同時に漂っている。



子どもを入試会場まで送り届けた帰り道、学校から少し離れた空き地で、5〜6人の塾の先生に囲まれている1人の男の子とすれ違った。



コロナ感染対策のため、大手塾では塾の激励禁止だったから、小規模塾の先生と生徒だろうか。



たった1人の生徒のために日曜日の朝の早い時間から駆けつけてきた先生たちの激励に、何度もうなずく生徒。

マスク越しでも、みんなが笑顔なのが分かった。



息子のライバルなのに、

「頑張れ‼️」と心の中で声をかけた。



この日を迎えるまで、それぞれの家でドラマがあったのだろうと考えて、胸が熱くなる。



2月1日の朝よりも、あるいは進学先の中学に合格した瞬間よりも、なぜか印象に残っている2月5日の朝。



中学受験を思い返す時、真っ先に思い浮かべるのは、この朝の風景です。



そして、それが塾の合格体験記によく描かれるような「第一志望に合格して、歓喜の中で息子と抱き合う瞬間」でなくてよかったとも思います。



決して、負け惜しみではなく。



中学受験がわずか12歳の子どもに課していることの厳しさや残酷さ。



数年間の過酷な競争の先にあるのは、必ずしもハッピーエンドではないという当たり前の現実。



一方で、入試最終日まで、わずかな可能性にかけて挑戦を続ける子どもたちのたくましさや前向きなまなざし。



中学受験のそんな本質が、凝縮して現れていたから。



2月5日に合格を勝ち取ることは容易ではないけど、最後の最後まで諦めずに立ち向かった経験や、流した多くの悔し涙は、その後の人生できっと生かされるはず❗️



そして、

あの日、入試会場ですれ違った受験生たちが、

いまはそれぞれの学校で、

幸せな学校生活を送っていることを、

心から願っています



2月4日 リブログ ”1年前の第一志望の中学校”

下記は2023年組の方の

2024年2月4日のブログです…


共感できたのでリブログにて紹介させて頂きます…



中高一貫校の中1の息子が通っている学校は、

第一志望ではありませんでした。



受験の時の志望順位は高くなかったけど、

入学した中学は息子にピッタリ合っていて

とても満足していますニコニコ



だけど、

もし第一志望の学校に合格していたら、

どんな学生生活を送っていたのだろうと

想像することは、たまにあります。



そして、

第一志望の学校に入学した生徒の親が

キラキラした学生生活や、成功裡に終わった受験生活の奮闘ぶりを綴ったブログやネット記事を思わず目にしてしまい、

モヤっとした気持ちになることもあります。



御三家などの難関校の入試では、受験生の学力は僅差でひしめき合っています。



何度受験しても合格するであろう上位1〜2割ぐらいの優秀な受験生は別として、

多くの受験生がひしめくボーダライン周辺では、「合格する子」と「ギリギリで落ちる子」の間には、本質的な学力差はほとんどないはずで、

もう一度試験をすれば、少なくとも1/3くらいの生徒は入れ替わると思います。



でも、結果は非情。



たとえ同じ学力でも、

「合格」の方に振り分けられることもあるし

「不合格」に振り分けられることもある。



第一志望の「不合格」がわかった直後は、

これまでの家庭や塾での取り組みが否定されたように感じられて、「合格した子に比べて努力が足りなかったんだ」と思ったものです。



その後、息子は第一志望校に比べて合格可能性が低かった現在の中学に「火事場の馬鹿力」を発揮して合格。



そこで感じたことは

息子が合格した理由は、これまでの家庭や塾での取り組みや努力が優れていたからでは全然なく、単に「運が良かった」からということ。



ボーダーラインで競っている多くの受験生の合否を分けるのは、選択肢で(1)か(2)か迷って、正解の(1)を選んだとか、たまたま得意としている分野の問題が出題されたとか、当日はケアレスミスがいつもより1つ2つ少なかったとか、そういうレベルのちょっとした違い。



実力が伯仲した難関校のボーダーラインでは、おそらくそんな感じで、試験当日に運を味方につけた子が、合格しているのだと思います。



もちろん、模試で「合格可能性80%」を連発できるくらいのレベルに達すれば、運に翻弄されずに実力だけで合格を勝ち取ることができるのでしょうが、そこは普通の子が努力してもなかなか到達できない世界。



凡人の息子がボーダーラインまで到達しただけでも、その努力を褒めてあげるべきでしょう。




あれから1年。



息子に

「第一志望の学校に通っていたら、

どんな感じだったのだろうと思うことある?」と尋ねたところ、



「なんで今通っている学校を第一志望にしなかったんだろう、と思うことはある。」との回答で、第一志望の学校には、なんの未練もない様子。



私も第一志望の学校に合格できなかった

事実は強く記憶に残っていますが、

1年経った今となっては、

なんで第一志望の学校を熱望していたのか、

理由さえ思い出せません😅



ただひとつ言えることは、

たとえ思い込みであったにせよ

「熱望」している学校があったからこそ、

あの過酷な中学受験を乗り切れたということ。



同じ志を持つ仲間と切磋琢磨しながら

中学受験を頑張るモチベーションとして、

第一志望校を利用させてもらったのだと思います。



でも、進学する学校が決まったら

進学先以外の学校はすっかり忘れるという息子のスタンスが、第一志望校との正しい向き合い方のように思います