さて 鎌倉を訪れて
なぜ お雛様につながるか

といえば

このお姿 どことなく 源 頼朝 を彷彿とさせるお姿では ありませんか
なんとなく 源 頼朝 の御姿に重なったからですよね~

そうだ
お雛様 ずいぶんと永い間 出していないなと 思い立ち
いま ださなければ また一年見過ごしてしまうと


「源頼朝」の画像検索結果

(画像は お借りしています)



で、 鎌倉探訪のお話にもどります


1月に  ヘンプで有名な 中山さんと 不思議体験された高木さんの講演会 
「宇宙とこれからの地球」  という講演会で 
お知り合いになった Aさんに  鎌倉を案内してもらいました。

源 頼朝のお墓の ある 白旗神社 と
法華堂跡
源頼朝の墓への入り口
(画像はお借りしています)


ここでは 画像の正面にある 石段をあがろうとしたら
ちょっと 拒絶するような感覚が
私のものなのか 頼朝さんのものなのか わからなかったですが・・。


Aさんが 「やめておきますか」 といわれたのですが、
お参りしたほうが いいように おもいました。
「和合」
したほうが いいのかもしれない

と そんな気持ちがしたので。


手をあわせていると

悲しみを感じます。
「ゆるしてください」 そんな思いがつたわってきます。

「和合」 そんな思いで 

「大丈夫です。  光になって 天にあがってくださいね
という思いで 光で包む感じで 天に登ってもらいました。


目をあけると
さっきより 御墓の回りが 明るく感じます。


Aさんも 普段よくここらあたりも お参りされるそうですが、
いつもは 悲しい感じがするけど
今は 明るくなったような感じだと




そのあと 荏柄天神社へ お参りに

梅が咲いていて ほのかにかほり、うめ
受験の神様ともあって 学生の人たちで賑わっていましたが、
とても 気のいい神社でした。


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それから 頼朝が奉納したという 十一面観音がある 杉本寺




そして 後醍醐天皇の皇子  護良親王が 祀られているという鎌倉宮

護良親王は 後醍醐天皇の命をうけ 鎌倉幕府討伐のためにこの地へ
しかし 捉えられて 首をはねられたそうです。

明治天皇が 後に この神社を整備し ここに護良親王を 祀られたそうです。
それくらい 護良親王は 意味のある方だったのでしょうかね


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ここでも また後醍醐天皇のゆかりのところへ いったのです。


一昨年から 後醍醐天皇つながり で 隠岐の島へ 導かれ  

   その記事は 隠岐の島への旅 

昨年は 聚楽第趾に 後醍醐天皇をバックアップした 名和長年の碑を おとずれ

   その記事は 太閤さんと 利休さん

今年は 護良親王をまつる鎌倉宮へ

よ程 この後醍醐天皇のこの時代に 関係しているんでしょうかね



案内してくださった Aさんも 源 実朝とご縁が深い方のようです。
この時代に 生きたことのある方のようで
和歌 や 筆文字がとても お上手な方です。
その当時の 武家の高貴な女性を 彷彿とさせるお方です。



そんなこんなの 鎌倉の旅 無事に帰ってまいりました。




Aさん 一日お付き合い下さって 有難うございました。
お散歩コースということも あって 知らないといけないような場所を 
案内してくださって
有難うございましたぺこりぺこり









すべてが いいように なりますように
感謝
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