Oさんの墜落後の証言
(後のMさんの証言から大雑把にOさんの証言に時間を割り当ててみました。)
衝撃がありました。
衝撃は一度感じただけです。いっぺんにいろんなことが起きた、という印象しか残っていません。
衝撃が終わったあとは、わーっと埃が舞っているようでした。目の前は、もやーっとしているだけです。墜落だ、と思いました。大変な事故を起こしたんだな、と思ったのは、このときでした。
すぐに目の前に何かあるんですが、ぼやーっとしか見えません。灰色っぽい、
①(19時頃)夕方の感じなのです。耳にも砂が入っていたので、周囲の物音もはっきりとは聞こえていなかったのではないかと思います。
墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。(ブログ主:この事から、墜落では無く不時着であったと言う事がわかります) 「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。
(ブログ主:生存者は、時間と共に減る事が予想できますので、この時点では100名以上の乗員乗客が生存していた可能性があります。よって、123便は墜落では無く不時着の可能性まであるのです)
②(仮に10時頃)次に気がついたときは、あたりはもう暗くなっていました。どのくらい時間がたったのか、わかりません。
どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。
(ブログ主:Mさんが到着した朝4時の時点でも4~50人程度生存していた事を考慮しても、80名の乗務員乗客の生存者がいてもおかしくありません)
③(仮に0時頃)それからまた、どれほどの時間が過ぎたのかわかりません。意識がときどき薄れたようになるのです。寒くはありません。体はむしろ熱く感じていました。私はときどき頭の上の隙間から右手を伸ばして、冷たい空気にあたりました。
突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、男の子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。しかし、さっき「おかあさーん」と言った男の子と同じ少年なのかどうか、判断はつきません。
私はただぐったりしたまま、荒い息遣いや、どこからともなく聞こえてくる声を聞いているしかできませんでした。もう機械の匂いはしません。私自身が出血している感じもなかったし、血の匂いも感じませんでした。吐いたりもしませんでした。
(ブログ主:Mさんの証言から、まだ、この時点でも60名くらいの乗員乗客が生存していてもおかしくありません)
④(4時過ぎ)やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・・・・。
このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。(Mさんの証言から、この時点でも50名以上の乗員乗客は生存していました)(ブログ主:この時のMさんの証言で、40から50名の生存者が確認されています)
⑤(5時過ぎ) 気がつくと、あたりはあかるかった。物音は何も聞こえません。まったく静かになっていました。生きているのは私だけかな、と思いました。でも、声を出してみたんです。「がんばりましょう」という言葉が自然と出てきました。返事はありません。「はあはあ」いう荒い息遣いも、もう聞こえませんでした。
(ブログ主:Mさんの証言でも分かる様、5時過ぎの下山時には、生存者の呻き声が一切聞こえなくなったと証言してます。この時点で、生存者はたった4人となっています。
4時から5時の間に、特殊部隊により生存者の殆どは抜き身のナイフや火炎放射器で殺害されたと言う事になります)
⑥(11時頃)はっと気がついたら、ヘリコプターの音がすぐそばで聞こえる。何も見えません。でも、あかるい光が目の前にあふれていました。朝の光ではなくて、もっとあかるい光です。
すぐ近くで「手を振ってくれ」だったか「手をあげてくれ」という声が聞こえたのです。私は右手を伸ばして、振りました。「もういい、もういい」「すぐ行くから」と言われました。
以上が生存者のOさんの証言です。
読者の皆様は、この時系列を頭に入れておきながら、次のMさんの証言を見て下さい。
次に、Mさんの証言に続きます。
№1 日航123便あの時何があった(忌まわしい事件が起きてから39年、決して忘れてはいけません)
№2 日航123便あの時何があった(忌まわしい事件が起きてから39年、決して忘れてはいけません)
№3 日航123便あの時何があった(忌まわしい事件が起きてから39年、決して忘れてはいけません)
№4 日航123便あの時何があった(忌まわしい事件が起きてから39年、決して忘れてはいけません)
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