(新)日本の黒い霧のブログ管理者が講師を務めた小グループのセミナーに招かれたM氏の証言
https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9218d78bddf9f12a9d7bdc8ebec1c10a
をお借りしました。

M氏の証言から

 

司会:それでは、Mさんよろしくお願いします。Mさんは事故当夜、現場に向かわれたそうですが、まず、そのいきさつを教えてください。

 

M氏:① 私の実家は、事故現場から見て西側、長野県の方にあります。当時は大学を卒業して社会人になったばかりで、事故当日はお盆ということもあり、たまたま実家に帰省していました。

事故の速報を知ったのが、12日夕方の7時過ぎ頃だったと思います。その時は墜落現場は(長野県の)北相木村付近という報道でした。

そこで、北相木村やもっと南に位置する川上村に住む知り合いに電話を掛けて様子を尋ねたところ、どちらも墜落は確認できてないとのことなので、残るは南相木村の山間部しかないと思い、そちらに向かいました。

たまたま高校時代の友人2名と一緒だったので、事故現場に行ってみようということになりました。

まだ、若かったですから、その時はただ、何としても現場に1番乗りしてやるぞ、インタビューされてテレビに映ってやるぞ、ぐらいの本当に軽い気持ちしかありませんでした。

オフロードバイクにまたがり、友人2人(それぞれオフロードとオンロードバイクを使用)と共に南相木村に向けて出発しおそらく21時頃までには南相木村からの林道に入っていたと思います。

ただし、オンロードバイクの友人は途中でこの行程から抜け、林道から先を進んだのは、オフロードにのったボクたち2人だけです。

司会: その時刻はまだ、墜落地点は判明してませんでしたよね(公式発表は翌朝5時以降)。そこからどこに進めばよいか、どう判断したのですか?

M氏: 上空で戦闘機が、それもおそらく2機がぐるぐる旋回している音がしてましたから、墜落現場はその(旋回)音の中心付近だなとすぐに分かりました。バイクで可能な限り近くの林道を進んで、そこから先は徒歩で山に入ることにしました。

司会: ええっ?じゃぁもうその時点で(警察も)墜落地点はわかっていたと・・・

M氏: はい。当然、警察も分かっていたはずですよ。

だってボクたちが南相木村へ向かってるその後ろから、警察の白バイもついてきましたから。

でも、普通のバイクなので切返しの多い山道に難渋していて、オフロードに乗ったボクたちは簡単に振り切っちゃいましたけど(笑)。

林道の終点から山に入ってから途中、山の頂きへ登る度に、ヘリの音がする方向を探して、墜落地点を確認しました。

ヘリは同じところを一晩中飛んでいたので、墜落地点は当然分かっているものと思いました。

司会: すると、林道から先は、徒歩で夜の山に分け入ったのですか。

危険だと思わなかったのですか?

M氏: あの辺の山の持ち主(の息子)とか知ってますし、一緒に山に入って遊んでましたから、どんなところかは大体わかっていました。

松の木と岩が多い所なんですよ。

もちろん、急峻で険しい所だとも知ってますから、この先へ進むのは中々たいへんだなと思いましたよ。

とにかく、墜落現場に向かってまっすぐ進むことしか考えていませんから、きつい傾斜や時にはオーバーハングを超えて、山道なんか関係なく、強引にいくつも尾根を跨いで行きました。

ですから、直線距離でわずか7,8キロの行程なのに、山に入ってから現場に着くまで6~7時間くらいかかりました。着いたのは、午前4時前後だったはずです。

司会: 午前4時という時刻はどうやって確認したのですか?

M氏: 当時は、時計を身に付ける習慣はなかったのですが、着いた時に山の尾根付近が白み始めていたので、おそらくそれぐらいの時間だと思いました。
(管理者註:夏の山頂付近は明るくなるのが早い)

司会:そこで何を見ましたか?

M氏: 既に自衛隊員が70~80人、いや100人位は来ていました。(ブログ主:隊員の中には英語を話していた者がいたと言う証言があります。自衛隊員が射殺されたと言うテロップがテレビで流れた事を考えると、指揮官がアメリカ人で、英語の通じない自衛隊員が現場の惨状を見て救助をしてしまい、射殺され、それを見かねた隊員がマスコミに通報した可能性があると思っています)それを見て、自分たちは一番乗りできなかったと思いましたね。同時に、事故犠牲者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのがはっきりと聴こえました。(ブログ主:Оさんの証言と一致しています)

司会:ええっ?その時に生きて声を出している人が居たのですか!!どれくらいの人が生きていたのでしょう?

M氏: 全部を数えた訳ではありませんが、声の響き方からすると少なくても40~50人は居たと思います。実際に、苦しそうに声をあげている人私も間近で何人か見ています。

自衛隊の人たちがいる以上、自分たちができることは、負傷者のいる場所を教え、早く救助してもらうことだと思い、呻き声のするあたりを探しては、その場所を隊員さんに伝え、早い手当を頼んでいました。

ただ、隊員さんの対応には不信感を覚えましたね。
「へたに動かすと危険なので、後から来る部隊が手当することになっている」と言うだけで、何もしようとしない。
手にした40~50cm 位の丸いバッグに、地面から拾った物を黙々と入れ続けている。(ブログ主:第一陣の特殊部隊は「トロンのプログラムの入った媒体を探して持ち帰えれ」また、「撃ち落した時に使用したミサイルの破片も回収しろ」との指令で動いていた可能性があります。)


司会:自衛隊員は何を拾っていたのでしょう?

M氏: まだ暗くてよく見えなかったので、それが何かまではわかりませんでした。ボイスレコーダーとか、何か貴重な物なんだろうと思っていました。私が覚えている隊員さんの装備は、バッグの他に、片手に抜き身の大型アーミーナイフ目には暗視ゴーグル、また、靴はつま先の短い短靴を履いており、傾斜のきついこの山のことをよく調べて入っているなと思いました。

ちょっとひどいなと思ったのは、斜面を登り、尾根の反対側に出たら、向こうの谷ではヘリコプターがホバリングしているじゃないですか、ヘリが来ているならさっさと救助しろよと思いましたね。

しかも、ヘリの下では、さっき隊員さんたちが何かを入れていたバックを10数個まとめ、ネットに入れて吊り上げていました。

何度も吊り上げていたので、全部で70個くらいのバッグが回収されたと思います。(ブログ主:第一陣の特殊部隊が回収していた、最重要なモノはBトロンのプログラム(Bトロンとトロンは別物とお考え下さい)ですが、撃墜に使ったミサイルの破片の回収も主な任務だったと思われます。)

司会:現場にはどれくらい滞在したのですか?

M氏: 到着してから1時間後くらいに、自衛隊の次の部隊が続々と到着してきました。また、暗視スコープを装着していた最初の部隊も引き上げる体制に移っていたので、もうこれで大丈夫と思い、この時に下山を始めました。なお、次の部隊は、山で歩きにくいブーツ姿だったので、これでちゃんと歩けるのかな?と思いました。(ブログ主:第二陣の特殊部隊の任務は、火炎放射器による生存者の抹殺だったと思われます。この第二陣の到着とともに、呻き声がピタリと無くなっている事から蓋然性で判断できます)

セミナー参加者からの質問

Q1: 40~50人居たという、呻き声の人たちはどうなってしまったのでしょう?

M氏: それはボクもずっと不思議に思っていたのですが、下山を開始する朝の5時過ぎ頃には、谷の呻き声がピタリと止んでいました。(ブログ主:後から来た特殊部隊が、生存者を残らず火炎放射器で焼き払い、最後の息の根を止める任務にあたったのだと思います)

Q2: この事故の生存者は4人の女性でしたが、その他にも助かりそうな人はいませんでしたか?

M氏: ボクが見た負傷者の中に、指先が1本ちぎれただけの男の人がいました。「この程度なら死ぬことはないな」と思い、救助活動(隊員への声かけ)を後回しにしたのをはっきりと覚えています。

あの人がどうなったのか、ボクにも分かりません。

(ブログ主:この男の人等は、特殊部隊に殺害されなければ、生存救出された人だと思います)

Q3:事故調査委員会が、当夜、墜落場所発見が困難だったと報告しています。しかし、Mさんは夜を徹して現場に到達している。この報告をどう思いますか。

M氏: 日頃から遭難者の多い現地周辺にはCB無線による救助網が敷かれています無線機を持った人員を担当箇所に登らせ無線を交わせば、夜間に炎上しているような目立つものなら訳なく見つけ出せるはず。どうしてこんなに時間がかかったのか分かりません。(管理者註:というか、本当はとっくに見つけ出していますが・・)

Q4:大型アーミーナイフは何に使われていたのでしょう?

M氏: それは見ていないので分かりません。

Q5: 現場で身の危険を感じたり、二人を排除するような動きはありませんでしたか?

M氏: そういうことは特に感じませんでした。

Q6:機体が激しく衝突し炎上した墜落現場に(遺体だけが炭化する程燃えて)木立が(燃えずに)残っているのは不自然だとよく指摘されるのですが、実際に見てどうでしたか?

M氏:言われてみたら、確かに変ですよね。林立している木の間に機体の破片や、遺体の一部が飛散していましたから(燃料も飛散していたはず)。それに、あの辺りは針葉樹が多い山ですから、機体から(人が炭化する程燃えるくらいの)火が出たらあっという間に周囲に燃え広がるはず。それにしちゃ、(木立は)あまり燃えてなかったなぁ、変だなぁ。(ブログ主:123便は墜落じゃなく、不時着していたのでしょう。だから炎上もなく、実際には沢山の生存者が居た。しかし、最終的にその生存者達が、焼かれた遺体となって発見されたのは、第二陣の特殊部隊の火炎放射器よるものだと推測できます)

Q7:事故調査委員会が、生存者4人の発見を奇跡的だと報告しています。しかし、Mさんは生きてきる40人から50人もの声を聞いている。この報告について改めて感想を聞かせてください。

M氏 報告は嘘だと思います。
明らかにもっと多くの方の命を救うことができたはずです。

司会:ありがとうございました。

 

以上が、御巣鷹の尾根の事故現場に一番乗りした民間人のMさんの証言です。

 

上の証言で分かる通り、地元の警察や消防は墜落直後から墜落地点は正確に把握出来ていたと言う事です。

 

それでも日本の警察や消防が救難の為、現場に駆けつけられなかったと言う事は、明らかに米軍並びに黒幕に止められていたと推測できるのです。

その為、マスコミ、自衛隊、警察、日本政府は黒幕に忖度して偽の情報を流し続け、救助活動を遅らせていたと言う事です。

 

その間に、トロンのプログラムの入った媒体の回収、撃墜の証拠となるミサイルの破片の回収、生存者の抹殺を行う為の時間稼ぎが行われたと言う事です。

 

Mさんの証言に出て来くる最初に現場にいた一番目の特殊部隊と二番目に現場に駆けつけた特殊部隊は自衛隊にカモフラージュしていたとしても、実質米軍以外あり得ず、任務内容は救助では無く、黒幕から指令を受けた任務だけをしてたのです。

 

第一陣の特殊部隊は、生存者が居ても救助等せず、トロンのプロブラム回収、ミサイルの破片を、暗視ゴーグルを使って念入りに探し出し徹底的に回収していたと推測出来ます。

 

M氏が生存者の位置を教えても第一陣の特殊部隊の隊員は「後から来る部隊が手当することになっている」と言って、生存者の安否等、無視し続け、ひたすら暗視ゴーグルで何かを見つけては袋に回収していた。隊員の中には英語を話す指揮官からの指示が分らず、任務外の救助をしてしまった特殊部隊の隊員が射殺された可能性があります。

 

M氏「下山を開始する朝の5時過ぎ頃には、谷の呻き声がピタリと止んでいました」と言う様に、第二陣の部隊が到着すると、今まで聞こえていた呻き声が一斉に無くなっています。(ブログ主:生存者を一人残らず殺害したのは第一陣、第二陣か分かりませんが、第二陣は火炎放射器を使って炭化するまで生存者の遺体を焼いた事は確かな様です)

 

運航乗務員の3人の中で、特に高浜機長一人だけ炭化するまで焼かれていたと言います。不時着した後まで高浜機長は生存しており、全てを知っている為、絶対に生き残っては困る人物だったからこそ、徹底して焼かれたのでしょう。

 

高浜機長は、横田基地や、追尾して来た2機の戦闘機との理不尽な交信や最後にミサイル攻撃をされた事を全て記憶しており、瀕死の状態でも生還すれば暴露される可能性があり、口封じの為、念には念を入れて、徹底的に焼き尽くされた可能性があります。

 

以上から、5時前に到着していた特殊部隊の活動は、救助活動とは全く言えない作業であり、米軍の特殊部隊だった事が推測されます。

 

第二陣の特殊部隊による火炎放射器で現場を焼き尽くす作業がこのミッションの仕上げであったとするならば、それが終了したのが、5時過ぎであったと言う事です。

 

よって、その直後に黒幕によって止められていた御巣鷹の尾根への救助活動が解禁になり、13日朝5時過ぎから、マスコミ、自衛隊、消防、警察、政府が一斉に正確な情報を流し始めたと言う事なのです。

 

この123便を自然発生の墜落事故に見せかけるミッションは、米軍でさえ、一晩で出来る内容ではありません。リハーサルも含め、立案から実行まで1年や2年は掛かる内容でしょう。


ましてや、自衛隊が相模湾でのミサイル誤射事故の後に急に思い立って、たった1時間や2時間で企画立案実行出来る内容ではありません。

 

要するに、これら事実から分かる事は、ハプニングで起きた誤射では無く、周到に練られたBトロンのプログラムを盗む為の工作だったと見て間違い無いと思います。それ程、PC用B トロンはアメリカや黒幕にとって恐ろしい存在だったのです。

自衛隊が百回もリハーサルしても絶対に出来ない内容があります。それはアメリカ領である横田空域内での123便をジェット戦闘機で追尾する事です。絶対に横田基地から拒否されます。それでも自衛隊機が追尾をすれば、今度は自衛隊機が米軍機にスクランブルをかけられ撃墜される話なのです。

 

全ては、黒幕によるカモフラージュなのです。私達日本国民は黒幕のコントロールの下で、常に偽の情報で騙され続けているのです。

 

黒幕は、自分達が123便を墜落させた犯人である事を隠す為、相模湾での垂直尾翼破壊工作を護衛艦の練習ミサイルの誤射やボーイング社の圧力隔壁の修理ミスが原因との情報を流したり、横田空域の中で追尾していた米軍機を自衛隊機に見せかける為のカモフラージュもしています。この様な事は戦争の現場では100年も200年も前から行われている偽旗作戦なのです。

要するに「平和な日本で、そんな事は絶対に無い」等と絶対に言えない事が頻繁に起きているのが日本なのです。

 

明日、また、同じ事が繰り返されます。日本国民は、もう、お花畑は卒業しましょう。絶えず偽情報を二重三重にと巻かれ騙され続けているのです。

 

 

№1 日航123便あの時何があった(忌まわしい事件が起きてから39年、決して忘れてはいけません)

 

№2 日航123便あの時何があった(忌まわしい事件が起きてから39年、決して忘れてはいけません)

 

№3 日航123便あの時何があった(忌まわしい事件が起きてから39年、決して忘れてはいけません)

 

№4 日航123便あの時何があった(忌まわしい事件が起きてから39年、決して忘れてはいけません)

 

●売国奴政治家・売国奴官僚以外の全ての日本人の幸せを願っています。


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