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僧侶と哲学者

僧侶と哲学者―チベット仏教をめぐる対話/ジャン=フランソワ ルヴェル
 
¥3,990
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父のジャン・フランソワ・ルヴェル はフランス当代一の哲学者、政治批評家。息子のマチウ は分子生物学の学者だったが、スピリチュアルに目覚め、チベット仏教僧侶に。

普通の仏教本と違い、この本はチベット仏教のみならず、父ルヴェルの言い分を通じて、日本人にとって必ずしも馴染み深いとはいえない、西欧哲学やキリスト教の伝統についても知識を深めることができる。
なにより、この本が出色なのは、信条や文化伝統が異なる者同士の対話は、しばしばかみ合わないことが多いのに対し、実にかみ合った議論をしていること。

かみ合っているのは、やっぱり二人が親子だからだろう。

前途多望だった優秀な息子が、世俗の栄達を捨て、自分たちの精神伝統と全く異なる道を選んだことに対して、父は複雑な感情があっただろう。でも、ここでは、そういうドロドロは、すべて昇華されている。

西欧哲学者の父は、自らの矜持を保ちつつ、仏教専門家としての息子に、「分からないから教えて」と、謙虚に質問をする。父の質問を、はぐらかすことなく、息子は誠実に、分かりやすく答える。父は、賛同できないところは賛同できないと言い、自らの考えを述べる。父の言葉に対し、息子が自らの考えを述べる。

一流の知性をもった父子による透明で誠実な対話は、実り豊かだ。

見かけに反して、決して難解すぎる本ではない。何度でも読み返したい。

ひつまぶし


名古屋出身の親戚が出来て、たまに「ひつまぶし」を食べに行くようになった(→銀座 名古屋ひつまぶし 備長炭 )。

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東京出身の私にとって、うなぎの美味しさのツボは、柔らかくて、トロトロ、ヌメっとした感じにあったのだが、名古屋のうなぎは、パリパリ、サクサク。

うなぎを蒸してから焼く関東式に対して、名古屋以西では、蒸さないで焼く。

山椒は、振らない。

名古屋式は、まず、うなぎご飯をそのまま、パクパク。

次に刻みねぎと山葵をつけて、パクパク。

最後に、お茶漬けにして、パクパク。

「うなぎのお茶漬け」には、はじめちょっと抵抗があったが、慣れれば美味しい。

サクサクのうなぎも好きになった。

ちなみに、名古屋には、ヌメヌメした柔らかいうなぎの蒲焼は存在しない!、のだそうだ。

これだけ、地球が小さくなっても、まだまだ食のローカル色は根強い。

たとえば、東京の郊外、ともいえるような距離にある、河口湖。

甲斐の国以来の馬食の伝統が未だに盛んで、スーパーで普通に「馬刺し」が売っている。

キャベツや揚げ玉の入ったご当地フード「吉田のうどん 」は、東京のうどんとは似て非なもの。

シンガポールとペナンでも、食のローカル性について考えさせられた。

どちらもマレー半島の華僑移住地で、歴史的成り立ちや文化は似ている。

だが、両地の代表的ローカルフードであるラクサフライドホッケンミーバクテー は、名前こそ同じだが、シンガポールとペナンで、材料も味もかなり異なっている。

これが、ペナンのラクサ。

http://shokulabo.exblog.jp/12157476

↑xiziさんこと高島系子さんの、写真が綺麗なブログ。

シンガポールのと違い、ココナッツ・ミルクは入っておらず、酸っぱくて、ハーブが多用されていて、ヘルシー。


21世紀になり、建築様式、服装などのローカル色は各地で失われつつあるが、ローカル食は意外にしぶとい。

マクドナルドとローカル食は、たぶん、22世紀になっても共存し続けるんだろうな。

がんばれ、ローカル食!





中国美術オークション


東京のど真ん中なのに、札を持った人は中国人ばかり、オークショニアの進行も、中国語。

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最初は、ああ、よくこんな値段がつくな。。。

とか、

これって、こんなに高いんだ。。。。。

とひたすら、落札価格にびっくりしていた。

が、そのうち、個別の値段はどうでもよくなって、


モノの量 < カネの量

という絶対的なマクロの迫力を感じるようになった。

モノは少ないが、オカネは多い。

暴力的なほどの過剰流動性。

カネがモノに向かって突進している。

美術品は、風雅な趣味の品というより、株や不動産と同じ、ヘッジ用の金融商品なのだ。

誰も、割安な小品には眼もくれない。

高価で希少な名品に、流動性が集中する。

ジャブジャブと、お金が流れる音が聞こえたような気がした。

30年前の日本も、こんな感じだったんだろうか!?

日本とあまりに対照的な中国経済の姿を生々しく感じた一日だった。