私の好きなものは、まだ途中
最近、自分のことを考えることが増えました。
「私って、何が好きなんだろう」
そう考えてみると、意外と答えられません。
好きな音楽は?
好きな映画は?
趣味は?
夢中になれるものは?
そう聞かれても、
「うーん……」
となってしまいます。
もともと私は、趣味がたくさんある人ではありませんでした。
「これが大好き」と言えるものも、そんなに多くなかった。
だから今になって、
「私って、何がしたいんだろう」
と思うのも、ある意味では自然なのかもしれません。
これまで私は、自分が何をしたいかより、
家族が何を必要としているか。
子どもが何を喜ぶか。
そんなことを考えて過ごしてきたからです。
L菜が小さい頃は、
「今日は何をしてあげよう」
「何を食べさせよう」
「これをしたら喜ぶかな」
そんなことばかり考えていました。
それがいつの間にか、私の生活そのものになっていました。
6歳で離婚してからは、なおさらだったのかもしれません。
子育てをしながら毎日を回して、
家族のことを考えて、
気がつけば、
「母」という役割の中にいることが当たり前になっていました。
だから今、
「自分のために何をしたい?」
と聞かれると、少し戸惑ってしまいます。
そんなことを考えていた今日。
車屋さんに行ってきました。
冬のタイヤを注文していたので、その用事です。
9月から値上がりするそうで、
「1本1000円くらい上がるなら……」
と思って、いつもならもう少し後回しにしそうなことを、今回は早めに注文しました。
こういうところだけは、妙に現実的です。笑
そして、車屋さんに行くときには、いつも近くの業務用スーパーにも寄ります。
今日も寄りました。
そのあと、Seriaにも寄りました。
こういう、ついでの寄り道って、私は結構好きなのかもしれません。
……いや。
今まで「好き」と思ったこともなかったけれど。
もしかしたら、こういうところからなのかな。
自分のことを知るって。
業務用スーパーで、見つけてしまいました。
チョコ大福。
L菜が大好きだったものです。
受験のときのお供でした。
機嫌が悪いときも、
これがあると、なんとなく機嫌が直ったりして。
「L菜、見て〜」
って、心の中で言っていました。
「これ、あったよ」
「好きだったよね」
そんなふうに。
L菜がいなくなってからも、こういうものを見つけると、やっぱり嬉しいんです。
寂しいのに、嬉しい。
不思議です。
会いたくなって、胸がきゅっとなるのに、「見つけたよ」って、教えたくなる。
今日もそんな気持ちになりました。
そのあとSeriaでは、トイレのタオルを探しました。
そこで、ペンギンのタオルを見つけました。
特別、私の趣味というわけではありません。
でも、
「これ、L菜が好きそう」
と思ったら、買っていました。
たぶん私は、こういうところで簡単にL菜色に染まります。笑
家に帰って、タオルを掛けてみました。
毎日使うトイレのタオル。
特別なものではありません。
でも、見るたびに、
「L菜、これ可愛いでしょ」って、心の中で話しかけられる。
そんな小さな時間が、暮らしの中に増えました。
考えてみると、
私の趣味や好みが、L菜の好きだったものに変わったというより、
L菜への愛おしさが、暮らしのあちこちに自然と溶け込んでいるのかもしれません。
チョコ大福を見つけたら思い出す。
シマエナガを見たら思い出す。
何か可愛いものを見つけたら、
「これ、L菜好きそう」
と思う。
そんなふうに、今も私の日常の中にはL菜がいます。
グリーフについて書かれたものの中には、亡くなった大切な人とのつながりを「なくす」のではなく、形を変えながら持ち続けることを「継続する絆」として捉える考え方があります。
だから、
「いつまでも思い出してしまう」
ことを、必ずしも手放せていない証拠にしなくてもいいのだと思います。
私の場合は、
「これ、L菜が好きそう」
と思うことも、そのつながりのひとつなのかもしれません。
でもね。
最近、もうひとつ思うことがあります。
L菜の好きなものは、今でもすぐに分かるのに、私自身の好きなものは、よく分からない。
なんだか、おかしいですよね。
「L菜の好きなものリスト」なら、かなり作れそうなのに。
「ママの好きなものリスト」となると、
……急に白紙です。笑
これまで長い間、
「母」
「家族のために動く人」
という役割が大きかったから。
自分が何を好きなのか。
どんな時間が心地いいのか。
何をしていると楽しいのか。
そんなことを、ちゃんと考えてこなかったのかもしれません。
だから今、
「生きがいを見つけなきゃ」
とか、
「何か新しい趣味を始めなきゃ」
と、急がなくてもいいのかなと思います。
まずは、
「私って、何が好きなんだろう」
からでいい。
今日みたいに、
車屋さんのついでに業務用スーパーに寄ること。
その帰りにSeriaをのぞくこと。
チョコ大福を見つけて嬉しくなること。
ペンギンのタオルを見つけて、
「L菜、これ可愛いでしょ」
と話しかけること。
もしかしたら、そんな小さなことの中にも、
「私はこういう時間が嫌いじゃないな」
とか、
「こういうものを見ると、ちょっと嬉しいな」
とか、
自分を知るヒントがあるのかもしれません。
まだ私は、
自分が何をしたいのか、よく分かりません。
これから何か夢中になれるものが見つかるのかも、分かりません。
趣味ができるのかも分かりません。
でも、
「分からない」
ことを、今すぐ埋めなくてもいい気がしています。
これまでずっと、
家族のことを考えてきた私だから。
これからは少しずつ、
「私はどうなんだろう」
と、自分にも目を向けてみる。
好きか嫌いか。
心地いいか、ちょっと疲れるか。
やってみたいか、別にそうでもないか。
そんな小さなことから。
もしかしたら私は、
自分のことをまだ、よく知らないのかもしれません。
でも、
知らないなら、
これから知っていけばいい。
「私、こんなことが好きだったんだ」
「こんな時間、意外と好きかも」
そんな発見が、これから一つくらいあってもいい。
そしてたぶん、
L菜色に染まっている私も、私です。
それは、無理に変えなくてもいい。
L菜の好きだったものを見つけて嬉しくなる私も、
シマエナガのタオルを買ってしまう私も、
チョコ大福を見つけて、
「Lたん、見て〜」
と言ってしまう私も。
全部、今の私です。
ただ。
そうやって私の世界がL菜色に優しく染まっていくのも、とても愛おしいことだけど。
そろそろ少しだけ、
「母の好きなもの」
も、選ばせてもらおうかな。
L菜には申し訳ないけれど。笑
まだ知らない私が、きっといます。
すぐに見つからなくてもいい。
大きな生きがいじゃなくてもいい。
毎日の中で、
「これ、ちょっと好きかも」
と思えるものを、一つずつ見つけていけたらいい。
そんなふうに、
自分のことを少しずつ知っていく時間があってもいいのだと思います。
L菜へ。
「ちょっと~!気がつけば、ママの暮らしはすっかりL菜色なんだけど(笑)。
でも、それも悪くないんだけどね。
そろそろ少しだけ、
ママ色も混ぜていいかな。笑」」




