「幸せ」とはまだ言えないけれど
朝、いつものように散歩に出ました。
歩いていると、
川の近くに鴨がいて、
少し離れたところにはサギがいました。
空を見上げると、
朝の光が少しずつ広がっていました。
虫たちも、
私には関係ありませんという顔で、
今日も忙しそうに飛んでいます。
そんな様子を見ながら、
「今日もいるなあ」
なんて思いました。
そして、
ふと気づきました。
私、
こういうものを見るようになったな。
L菜がいなくなってから、
私はずっと、
「なくなったもの」
を見ていたような気がします。
L菜がいない。
声が聞こえない。
LINEが来ない。
一緒に出かけられない。
話したいことがあっても、
話せない。
そこにあったものが、
突然なくなった。
そのことばかりを見ていました。
今も、寂しいです。
会いたいです。
その気持ちは、
なくなっていません。
でも最近、
ほんの少しだけ、
別のものにも目が向くようになってきました。
朝の空気。
散歩道で出会う鳥。
虫の動き。
冷たい飲み物を飲んだときの、
ひんやりした感じ。
スーパーで見つけた、季節のもの。
家の中を少し片付けたときの、すっきりした感じ。
夕方の空。
以前なら、特別に意識しなかったものです。
「きれいだな」と思う。
「気持ちいいな」と思う。
「これ、いいな」と思う。
ほんの一瞬だけ。
そして、「あ、今ちょっとそう思った」
と、自分で気づく。
それだけです。
別に、
「幸せになりました」ということではありません。
L菜がいない悲しみは、そのままあります。
嬉しいことがあったからといって、悲しみが消えるわけではありません。
笑ったからといって、L菜への思いが薄くなるわけでもありません。
以前は、そんなふうに笑った自分に、少し戸惑うこともありました。
「こんなことを感じていいのかな」
と思ったり。
でも最近は、少しずつ、「感じてもいいのかもしれない」
と思えるようになりました。
グリーフの中では、悲しみがずっと同じ強さで続くわけではなく、日常の中で、悲しみと別の感情が行ったり来たりすることがあります。
悲しい日もあれば、少し穏やかな日もある。
笑う日があっても、それは悲しみが終わったということではありません。
私は、このことを少しずつ実感しています。
悲しい私と、ちょっと心地いいと思う私。
L菜に会いたい私と、今日のご飯をおいしいと思う私。
寂しくて泣く私と、何気ないことで笑う私。
どちらか一方が本当の私なのではなくて、全部、今の私。
L菜を大切に思うことと、私が自分の暮らしを大切にすることは、反対ではない。
最近、そんなふうにも思います。
L菜がいた頃の毎日に、戻ることはできません。
あの頃と同じ私にも、戻れません。
でも、これからの毎日が全部、悲しみだけでできているわけでもない。
朝になれば起きる。
顔を洗う。
ご飯を食べる。
散歩に行く。
買い物をする。
洗濯をする。
たまには、
「あれ、洗濯物干したっけ?」なんて思いながら、もう一度確認する。
そんな、何でもない一日。
でも、そういう一日を過ごしていると、その中に少しずつ、「私の今日」ができてくる。
そんな感覚があります。
それは、
「希望」と呼ぶほど大きなものではありません。
「生きがい」と呼ぶものでもありません。
まだ、これから何をしたいのか、私にもよく分かりません。
これからどんなふうに暮らしていきたいのかも、まだ分かりません。
ただ、
「今日、これがちょっとよかった」
と思えることがある。
今は、それでいいのだと思っています。
そして今日は、息子が帰って行きました。
帰ってきてくれて、嬉しかったです。
一緒にいる間は、それなりに普通に過ごしていたのに、帰ってしまうと、やっぱり寂しい。
さっきまで人がいた場所が、急に静かになる。
家って、人が一人いなくなるだけで、こんなに静かになるんだなと思いました。
誕生日にもらった花束のことで、姉に聞きました。
「どうする?」
と聞かれたのだそうです。
そのやりとりを聞きながら、私は思いました。
何もいらない。元気でいてくれれば、それでいい。
本当に、それだけでいい。
L菜がいなくなってから、私は「なくなったもの」をずっと見てきました。
だからこそ、今そばにいる人のことを、こうして思えることも、大切なことなんだと思います。
息子が帰って、寂しいと思う。
でも、元気でいてくれればいいと思う。
その両方が、ちゃんと私の中にある。
失ったものは、戻ってきません。
L菜がいない現実も、変わりません。
会いたい気持ちも、これからもきっと残っていく。
それでも、その悲しみを抱えたまま、私の毎日の中には、少しずつ新しいものが増えていく。
朝の空気。
散歩道で出会う鳥。
季節の食べもの。
誰かとの会話。
家の中を整えたときの、
ちょっとした気持ちよさ。
息子が帰ってきてくれたこと。
そして、
帰ったあとに寂しいと思えること。
どれも、L菜の代わりにはなりません。
代わりにならなくていい。
今はまだ、
「これからの人生を楽しもう」なんて、そんな気持ちにはなれないから。
生きがいだって、まだ見つかっていません。
何をしたいのかも、まだよく分かりません。
でも、
分からないままでも、今日を暮らしている。
そして、
そんな今日の中に、小さな「これ、ちょっといいな」が、少しずつ増えている。
最近は、それだけでもいいのかなと思います。
L菜へ。
「ママね、本当はね、まだまだ寂しいんだよ。
会いたいよ。
でもね、今日もいろんなことがあったよ。
空がきれいだったことも、ちゃんと覚えておくね。
Aちゃんが帰ったことも。
ママ、またなんだかちょっと寂しくなった。
でも、元気でいてくれれば、それでいいって思ってる。ママの毎日は、まだまだ寂しいけれど。
今日という一日を、またひとつ暮らしたよ。
明日も、
そんなふうに過ごしてみようかな……。」

