「好きなものがない」私にも、ちゃんと大切な時間はあった
最近、朝の散歩をしていて、
ふと思うことがあります。
「私って、好きなものがないな」
と。
世の中には、
「推しがいる」
「趣味があります」
「休日はこれをしています」
という人がたくさんいます。
そういう話を聞くと、
「楽しそうだな」
と思います。
そして、そのあとに、
「私には、何があるんだろう」
と思ってしまいます。
昔から、特別な趣味があったわけではありません。
夢中になって追いかけるものもない。
何かを集めることもない。
「これが大好き!」と胸を張って言えるものも、あまり思いつきません。
だから、
「私って、つまらない人なのかな」
と思ったこともあります。
でも、よく考えてみたら。
私は、ずっと別のものに夢中だったのかもしれません。
L菜と過ごす時間です。
一緒にご飯を食べたり。
何気ない話をしたり。
朝、
「起きたのかな?」
と思いながらLINEを送ったり。
夜には、
「おやすみ」
と言ったり。
そんな、本当に何でもない毎日です。
朝が弱いL菜が、ちゃんと起きたのか気になって。
LINEの既読がつけば、
「あ、起きた」
と安心する。
返事が遅ければ、
「まだ寝てるな……」
なんて思う。
今思えば、そんな小さなやり取りも、私にとっては一日の一部でした。
それは「趣味」という言葉では、どうにも表せないものでした。
子育てをしている頃も、
「私の趣味は子育てです」
なんて、一度も思ったことはありません。
ただ毎日を過ごしていただけです。
ご飯を作って、
学校のことを考えて、
体調を気にして、
一緒に笑って、
時にはケンカして。
そんな毎日が、私の生活そのものでした。
だから、今になって、
「趣味は?」
と聞かれると、
ちょっと困ります。
「……ありません」
と答えるしかない。
そして心の中で、
「すみません、面白みのない人間です」
と、なぜか謝りたくなる。
誰にも謝らなくていいのに。(笑)
でも最近は、
「好きなものがない」
と、
「何も感じない」
は、同じではないのかもしれない。
そんなふうに思うようになりました。
たとえば、朝のお風呂。
ひのきの石けんを使うと、
ふわっと香りが広がります。
「ああ、いい匂い」
と思う。
それだけ。
筋膜ローラーをすると、
「痛い、痛い……」
と言いながらゴロゴロする。
でも、終わると少し体が軽い。
「これ、地味に気持ちいいな」
と思う。
朝の散歩では、
まだ少しひんやりした空気に触れて、
鳥の声を聞いて、
空を見上げる。
特別なことは何も起きません。
でも、
「今日の空気、気持ちいいな」
と思う瞬間があります。
もしかしたら私は、
「好きなもの」を探しすぎていたのかもしれません。
「好き」と言えるくらいの、何か大きなもの。
夢中になれるもの。
生きがいと呼べるもの。
そういうものを見つけないといけないような気がしていました。
でも、
「なんとなく心地いい」
「これをすると少し落ち着く」
「この時間は嫌いじゃない」
そんな小さな感覚も、
自分の人生の一部なんですよね。
グリーフの中では、以前できていたことや楽しめていたことが、以前と同じようには感じられなくなることがあります。
そして、悲しみの中にいると、
「何か新しいことを始めなければ」
「楽しみを見つけなければ」
と焦ってしまうこともあります。
でも、悲しみの中での心の動きは、人によって違います。
すぐに楽しみが戻る人もいれば、
しばらく何も見つからない人もいる。
だから、
「まだ好きなものが見つからない」
という今も、
それだけで何かが足りないわけではないのだと思います。
私も、まだ分かりません。
これから何が好きになるのか。
何をしていると楽しいと思うのか。
そもそも、新しい趣味なんてできるのか。
……もしかしたら、ずっとできないかもしれません。
それはそれでいいかな、と思っています。
「推し活を始めよう!」
と気合いを入れて、
何かを探しに出かける私も、今のところ想像できません。
たぶん途中で、
「今日は家に帰ろう」
となる気がします。
(笑)
それより今は、
朝の空気。
お風呂の香り。
体をほぐす時間。
C菜と過ごす時間。
そして、こうしてブログを書いている時間。
そんなものを、
「好き」と呼んでもいいのかもしれない。
「趣味」と呼ばなくてもいい。
「生きがい」と呼ばなくてもいい。
ただ、
「私はこの時間、ちょっと好きだな」
と思えれば、それで十分なのかもしれません。
そして、L菜と過ごした時間も、
今の私の中には残っています。
一緒にご飯を食べたこと。
くだらない話をしたこと。
LINEをしたこと。
「起きたかな?」
と気にしていた朝。
「おやすみ」
と言った夜。
そういう何気ない時間が、
今になって私の人生の大きさを教えてくれることがあります。
だから今は、
「私には何もない」
と決めつけるのを、
少しやめてみようと思っています。
まだ見つかっていないだけかもしれない。
そもそも、探さなくてもいいのかもしれない。
大きな「好き」がなくても、
小さな「心地いい」は、もういくつか見つかっています。
私のこれからに、
何があるのかは分かりません。
生きがいができるのかも分かりません。
新しい趣味ができるのかも分かりません。
今は、分からないことばかりです。
でも、
分からないままでもいい。
急いで答えを出さなくてもいい。
今日ちょっと気持ちよかったことを、
ひとつ覚えておく。
それくらいからでいいのかなと思っています。
推しも趣味も、まだ見つかりません。
……というか、
探す気があるのかも、ちょっと怪しいです。
まあ、
ぼちぼちいきます。
L菜へ。
「推しも趣味も、まだ見つからない。
……というか、探す気があるのかも、ちょっと怪しい。
まあ、ぼちぼちいくよ。
今までのママみたいに。
そんなんでいいよね」






