7ヶ月目の「冬眠モード」と、毎日のブログが私を支えている理由
今日、カレンダーを見ていて、ふと気づいた。
「ああ、また来るんだ」って。
月命日の前後になると、私の体はまるで冬眠に入るみたいに動かなくなる。
気持ちも、ずーんと落ちていく。7ヶ月経った今でも、この波は毎月やってくる。
最初の頃は「なんで私、まだこうなんだろう」って自分を責めてた。でも今は、少しだけ違う。
「ああ、また来たね」って、その波を迎えられるようになってきた気がする。
「冬眠モード」って、勝手に名前をつけてみた。
だって、PMSみたいなものだと思うんだ。月に一度、決まってやってくる。
体が重くなって、気持ちが落ちて、何もしたくなくなる。
でも、PMSに「生理前症候群」って名前があるように、この時期にも名前があっていいんじゃないかって思ったの。
「冬眠モード」。
なんだか可愛い響きでしょ?
L菜だったら、もっと可愛い名前をつけてくれたかもしれない。
「ママのごろごろタイム」とか、「充電期間」とか。一緒に考えられたらよかったのにな。
Dual Process Model(二重過程モデル)とは、
人は喪失後、「悲しみに向き合う時間」と「日常を生きる時間」を、行き来しながら回復していく、というグリーフの考え方です。
泣いて何もできない日があってもいい。
普通に笑って過ごせる日があってもいい。
その揺れは、回復が遅れているサインではなく、
自然なグリーフのプロセスだとされています。
大切なのは「行き来すること」
Dual Process Model でいちばん大切なのは、
この2つを行ったり来たりすること。
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今日は喪失志向で、何もできない日
-
明日は回復志向で、普通の顔をして過ごせる日
-
その翌日は、また深く沈む日
それでいい。
それが、自然で、健康的なグリーフのあり方だとされています。
このモデルでは、
-
泣いた翌日に笑う
-
前を向いたと思ったら、急に落ち込む
-
元気に見える日と、動けない日が交互に来る
こうした「揺れ」を、回復の失敗とは考えません。
むしろ、
揺れていること自体が、グリーフを生きている証
だと捉えます。
グリーフケアの知識として知っていたことと、実際に体験することは、こんなにも違うんだって、この7ヶ月で痛感した。
「Dual process model(二重過程モデル)」っていう考え方がある。
これは、悲しみと日常を同時に生きることが、グリーフケアとして有効だという理論なんだけど――私、毎日ブログを書くことで、知らず知らずこれをやっていたんだって、最近気づいた。
何でもないたわいもないこと。
悲しみ。
少しの嬉しさ。
そして、まだ「楽しみ」は感じられないけど、「ささやかな幸せ」なら、書けるようになってきた。
今朝、C菜が「ママ、今日のお弁当美味しかった」って言ってくれたこと。
Aちゃんが大学の手続きで私にくれた文章を見せてくれたこと。
そういう小さなことを、ブログに書けるようになった。
ブログを書くことは、私にとって「L菜への手紙」なんだと思う。
毎日、「今日はこんなことがあったよ」「こんなこと思ったよ」って、L菜に報告してる感じ。
そして不思議なことに、書くことで、私自身の気持ちも少しずつ整理されていく。
グリーフケアの研究では、感情を言葉にして表現することで心の整理が徐々に進むとされている。
紙に書き出す方法も、とても効果的なんだって。
私がブログを書いているのは、L菜に伝えたいから。でも同時に、私自身が生きるためでもあるんだと思う。
書くことで、「今日も生きた」って実感できる。
書くことで、L菜とまだ繋がっていると感じられる。
書くことで、悲しみを抱えたまま、それでも前を向けるようになってきた。
キューブラー・ロスの5段階モデルは有名だけど、調べてみると、グリーフを12の段階として捉える考え方もあるそうです。
それは、悲しみが順番どおりに進むものではなく、行ったり来たりしながら、少しずつ姿を変えていくものだ、という整理の仕方です。
それを知って、今の自分の状態に少しだけ腑に落ちました。
今の私は、「10段階 あきらめ‐受容」と、「11段階 新しい希望‐ユーモアと笑いの再発見」の間を、行ったり来たりしているように感じています。
受け入れた、なんてとても言えない。
L菜がいない現実を、受け入れられる日なんて本当に来るのかな、と思う。
それでも、時々クスッと笑ってしまう瞬間がある。
そのたびに、「笑っていいの?」と心が揺れる。
たぶんそれは、「受容できている」ということではなくて、
悲しみを抱えたまま、それでも生きている、今の私の自然な姿なんだと思っています。
グリーフの専門家たちは言います。
「グリーフの波は、月単位で押し寄せる。2〜3年、あるいは何十年経っても訪れることがある。それは自然なこと」だと。
だから、月命日前後に私が「冬眠モード」になるのも、きっと自然な反応なんだと思う。
「まだ治っていない」んじゃなくて、
「ちゃんと悲しんでいる途中」。
そうやって、私は今日も自分に言い聞かせています。
グリーフの12段階(よく引用される整理)
-
ショック
現実感がなく、頭が真っ白になる状態。 -
否認
「そんなはずがない」「何かの間違いでは」と思う。 -
混乱・パニック
感情も思考も整理できず、不安定になる。 -
怒り
自分、他人、医療、運命、亡くなった相手に向くこともある。 -
罪悪感
「あの時こうしていれば」「もっとできたはず」という思い。 -
深い悲しみ(抑うつ)
エネルギーが落ち、何もできなくなる時期。 -
孤独感・空虚感
世界から切り離されたような感覚。 -
再構築への模索
少しずつ「この先どう生きるか」を考え始める。 -
現実への直面
亡くなった事実を、頭だけでなく心でも感じ始める。 -
あきらめ ― 受容(Resignation / Acceptance)
「納得」ではないけれど、抗い続ける力が少し抜ける。
悲しみはあるまま、現実と共に存在し始める段階。 -
新しい希望 ― ユーモアや笑いの再発見
罪悪感を伴いながらも、ふと笑ってしまう瞬間が戻ってくる。
「笑ってしまった自分」に戸惑うことも多い。 -
意味づけ・継続する絆
亡くなった人との関係を、心の中で新しい形に編み直していく。
毎日のように、日記としてブログを書いていると、読んでくださる方からコメントをいただくことがある。
「私も同じです」
「あなたの言葉に救われました」
そんな言葉をいただくたびに、ああ、私だけじゃないんだって思える。
そして、私が書いた「何でもないこと」が、誰かの心に届いているんだって、少しだけ嬉しくなる。
L菜が生きていた証を、こうやって残していくこと。
L菜への愛を、言葉にして綴っていくこと。
それが今の私にできる、精一杯のことなのかもしれない。
答えを出すためではなく、置き去りにしないために。
7ヶ月経っても、まだ揺れている。
月命日が近づくと、「冬眠モード」に入ってしまう。
でも、それでいいんだって、今は思える。
揺れながらでも、悲しみを抱えながらでも、私は今日も生きている。
そして、今日もこうやって、L菜への手紙を書いている。
まだ「楽しい」は書けないけど、「ささやかな幸せ」なら書けるようになった。
それは、きっと小さな、でも確かな光なんだと思う。
同じような気持ちの方がいらっしゃったら――
揺れていい。動けなくなっていい。
そんな自分を、責めなくていい。
書ける人もいれば、書けない人もいる。
どちらが正しいわけでもない。
私の場合は、たまたま「書くこと」が、今を生きる助けになっています。
そう今の私には、支えになっています。
もし同じように、何かが支えになっている方がいたら――
それを、大切にしてほしいなと思っています。
L菜へ
L菜、ママね、気づいたんだ。
毎日書いてるこのブログって、あなたへの手紙なんだって。
ママが書く「何でもないこと」の中に、L菜がいつもいるんだよ。まだ「楽しい」は書けないけどね、「小さな小さな幸せ」なら書けるようになった。
見てる?
それとね、月命日の前後、お母さん動けなくなっちゃうんだけど、これに「冬眠モード」って名前つけようと思うんだ。
L菜だったら、どんな名前つけるかな? 一緒に考えてくれたらいいのにな。
あのね、ママね、揺れながらなんだけどね、今日も書いてるよ。それが今のママのL菜への愛し方、大好きな形なのかもね。







