C菜が帰ると怖いなぁ―8回目の月命日が穏やかに過ぎた理由
今日、メルティーキッスを1箱食べました。
一気に。そして、胃もたれ。
私は極端みたい。食べ出すと止まらなくなってしまう。
おいしいんだよね、これがまた。
爆食いしてしまいました![]()
L菜が亡くなって、あの子の好きなチョコレート。
食べる人がいなくて。
私食べるんだけど、胃もたれするんだよね。
あの子の好きなチョコレートばっかり買うんだけど、チョコレート私そんなに食べれなくて。
めちゃくちゃチョコレートいっぱいある。
買い物に行くと、あの子が好きだろうなって買って、私はそんなにチョコレートを食べないから積もり積もって。
どうしてもあの子と一緒に食べたいという気持ちが募って食べてしまう。
一緒に食べている感覚で、ついつい。
そういえば、分骨したL菜は、今ね、お正月だから、実家に持っていってる。
双子はいつも一緒だったから、C菜と一緒に行ってる。
私は仕事だから、一足早く家に帰ったんだけど。
姿が見えないと、なくなった実感がわかないんだよね。
ほんとなのかなって。
静かな家の中で、「どこかにいるような」感覚。
亡くなったという事実は頭ではわかっていても、心はまだ、いつものようにどこかからひょっこり現れるのを待っているような。
姿が見えないからこそ、かえって「本当にいないなんて嘘なんじゃないか」という感覚。
今ね、大丈夫なんだ。不思議とね。
子供を亡くした親って、5年間もこのような苦しみが続くってほんとかなぁ。
だったらかなり残酷だ。
双子の姉が帰省してる時は、C菜が元気いっぱいだから、つられて、私も元気になるの。
だけど、いなくなったら…
しょうがないんだけどね。あの子も、大学で頑張ってるし。
8回目の月命日は、こんな感じでなごやかな感じで過ぎ去っていった。
C菜が帰ると怖いなぁ。
C菜が帰省している間は、家の中にパッと灯がともったように明るくなります。
双子だからこそ、C菜の中にL菜の面影や、二人が持っていた特有のエネルギーを感じて、私も自然と力が湧いてくるんだと思います。
だからこそ、C菜が大学に戻って「静けさ」だけが残った時の反動は、どうしても大きくなってしまう。
「つられて元気になる」のは自然なこと。
C菜が元気いっぱいでいてくれることは、私にとって一番の薬であり、同時に少しだけ「あの子がいない」現実を忘れさせてくれる時間でもあるんです。
何か、家って、みんなバラバラみたいでバラバラじゃないような感じかなぁ。
物理的にはC菜は大学へ、L菜は実家(分骨)へ、私は仕事へと、それぞれ違う場所に身を置いている。
でも、見えないところでしっかりと一本の糸がつながっているような、不思議な連帯感があるんです。
それぞれが自分の場所で。私は仕事、C菜は学業、そしてL菜も、きっとあちら側で彼女なりの役割を。
みんなが自分の持ち場で一生懸命生きている(存在している)からこそ、バラバラに見えても「チーム」としての絆は揺らいでいない。
たくさんあるチョコレートも、それを買う私の心を通じて、家族全員をどこかで結びつけている気がします。
「あの子が好きだったね」という共通の記憶が、バラバラの場所にいる皆の中心にある。
寂しさもあるけれど、どこかで繋がっている安心感もある。
その矛盾したような、でも温かい感覚をそのまま大事にしたいんだ。
だけどね、なんだかね、やっぱり寂しいから、お墓に入れる前に、全部入れるよりちょっとちっちゃい骨壺に入れておきたいと思う。
これって私のわがままかなぁ。
いなくなってしまうと、寂しいような感じがして。今回のL菜が実家にいったことで、その思いが大きくなっていった。
今は、小さくて可愛らしい骨壺に入れて身近に置いておく「手元供養」という形があります。
グリーフケアの現場でも、「すぐにお墓に入れなきゃ」と焦る必要はないと言われています。心が「これなら大丈夫」と思える形を選んでいいんです。
ずっと一緒にいたい、そばで見守っていてほしいと思うんだ。
L菜だって、私が寂しくてたまらない時に、お墓という遠い場所で一人でいるよりは、そばに一欠片でもいて、大好きだったチョコレートの香りがするリビングで一緒に過ごしたいと思っているよね。
少しだけ手元に残すことで、私の心がほんの少しでも安らぐのなら、それはL菜にとっても一番嬉しいことのはず。
これは、子離れできていないんだろうか...
C菜が元気いっぱいに大学へ戻り、私が仕事に励むなかで、ふと寂しさが押し寄せた時。
その小さな骨壺が「私はここにいるよ」という、L菜からのメッセージになってくれるかな。
手元供養ってそういう意味なんだ。
私ね、C菜に言ったんだ。
「母が亡くなったら、一緒に棺に入れてくれればいいよ。」って。そのL菜の小さな骨壺を。
一緒に。
ずっと一緒に。
「いつか一緒になれる」という約束があるだけで、これからの日々を少しだけ、お守りを持って歩くような気持ちで過ごせるかもしれない。
双子として生まれた二人が、時を経てまた母のもとで一つになる。
それは悲しいことではなく、家族の絆が完成するような感じがする。
お墓にすべてを納めて「さようなら」をするのではなく、これからも生活を共にして、最後は一緒に旅立つ。
その選択は、私にとっても、そしてC菜にとっても、心の折り合いをつけるための大切な「道しるべ」になるはず。
緑茶を飲んだ。
L菜が好きだった緑茶を。
もちろん一緒に。
カテキンや温かい水分が、チョコレートの脂っぽさを優しく流してくれているといいんだけど。
お正月の静かな夜に、お茶の香りでホッと一息つく時間は、今の私にとって何よりの薬かもしれない。
まとめ
チョコレートは積もっていく。買わずにいられない。
それは、わがままじゃなくて、愛なんだと思っています。
小さい骨壺を手元に置きたい。それも、わがままじゃなくて、愛なんだと思います。
同じような気持ちの方がいらしたら、どうか「こうしなきゃいけない」に縛られないでください。
自分の心が安らぐ形を、選んでいいです。
バラバラなようで繋がっている家族。
チョコレートと緑茶と小さな骨壺。
そんな穏やかな時間が、今夜の私を優しく包んでくれています。
明日の朝、胃もたれがすっきりと治って、少しでも軽やかな気持ちで目覚められますように。
L菜へ
「チョコレート、一緒に食べたね。やっぱりメルティーキッスは美味しいね~。小さい骨壺、可愛いの選ぼうかなって思ってるんだ。一緒に選ぼうね。そして、ずっと一緒にいよう。L菜は嫌かもね~(笑)」
私のグリーフ時期お助けグッズです。
今回は小さい骨壺です。
私は、手元供養は小さい骨壺を考えています。
ジュエリーは、うっかりものの私はもしかして紛失してしまったり、かぶれてしまったりと心配があるからです。
可愛いのがたくさんあって悩んでいます![]()












































