いろいろと無理が効かなくなる? 笑 | ロンドン発 しあわせの見つけ方

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自分を好きになると、周りの人たちをもっと好きになれます。物事のとらえ方が変わると、人生が変わります。幸せ体質になれば、今よりもっと幸せに生きられます。コーチングで、周りに振り回されず自由に生きたいあなたの人生を応援します。

ひとによっては

シフトしてくると

色々な面で無理が効かなくなると言うゲンショウを

タイケンするひと(とき)も

いる(ある)かも知れません

 

 

これも一つの決まった流れがある訳ではないし

どの側面から見るかで観方も変わるかもですが

 

 

たとえば

今までは気にならなかったのに

なぜか違和感を感じる

とても違和感を感じる

ガマンできないくらい違和感を感じる 笑

そんなことも起きて来るかもだし

 

 

これを例えばニンゲン関係で

この不快な感情の原因は? 犯人は? 誰のせい?

ってやっちゃうと

お望み通り

その原因らしきものや

犯人らしき存在や

責任者らしき在り方や

ちゃーーーんと見つかると思いますが 笑

 

 

よーーーく考えてみて

その原因のようなものを突き止めたあなたはいま

ココロの底から幸せですか?

ホッとリラックスして心の底から安心感を感じていますか?

 

 

もしかしたら

ダレカやナニカ

場合によっは自分のせいにして

一時的にそのモンダイをカイケツしたような気になっているだけじゃないですか??

 

 

で、もし

そうかも。って気づいたとして

じゃあどうしたらいいの!?ってなるのが自我で

やはりどこまで行っても

モンダイの原因を知りたい自我さん 笑

ただの習性 

 

 

で、ただの習性なんだけど

このトリックに気づかないと

永遠にモンダイの原因 犯人 責任の在処 etc.etc....を

探し続け・・・・・・・

一つのモンダイがカイケツできたら

次のモンダイに取り掛かり

それが終わったら次・・・・・

で人生(今世)終わってしまい 

来世へ続く・・・???

これが

生老病死のサイクルを永遠と繰り返す

輪廻転生のカラクリのひとつとも言えるのかも??

 

 

なんかいきなりスケールが大きくなりましたが

視点をどんどん高くしていくと

子供の悩みが大人の目線からは違う視点とか

そんな大きなモンダイではないと分かったり

そんな感じと似てるかもで

 

 

シフトしてくると

自分の真ん中に戻ってくると

自分に深く入れるようになってくると

どんどん勝手に視点が高くなって

今までモンダイだと思ってたことが

まったくモンダイじゃなかったとわかったり

 

 

その過程では冒頭に書いたみたいに

今までそつなくこなして来た

色んなことに違和感が出て来たり

無理が効かなくなったり

今までの自分から脱皮する過程があったり 笑

場合によっては自分が目を背けて来た自分の弱さのようなものと

向き合わされるような気がして

大きな抵抗反発を感じるようなときもあるかも知れませんが

ソレも含めてだいじょうぶ

 

 

で、自分の波動が変わってくると

今までのニンゲン関係が変わることもあるかもだし

内側から見るクセがついてくると

なるほど~って納得できることも

起こったコト(外)に対してイイとかワルイと言う

今まで通り二元の受け取り方をしていると

それこそいちいち振り回されてタイヘンなコトになるかもで

これは

シフトしちゃったもん勝ちかも 笑

 

 

音譜オマケ音譜

 

女子大に進んだ友達があるとき

高校時代には利害関係がなくてよかった

みたいなことを言っていたことを

ふと思い出しました

高校も女子高だったんだけどね

 

確かに高校時代はみんな仲良くて

利害関係なかったと思う

って言うか私は共学の大学だったので

大学でも利害関係はなく

女子大ってタイヘンなんだなーくらいに聞いてたんだけど

 

ふと5次元にシフトして行くって

この感覚

ニンゲン関係の利害関係がなくなっていくと言うか

これもやはりオトナ思考が強くなり過ぎちゃってるときには

そうは言っても・・・

どうやって??が出るかもですが

どんなオトナもいつかは赤ちゃん 笑

 

 

勝ちも負けもない

優劣もないし

正誤もない

 

アタマでどうやって?を考えちゃうと

きっとコタエはわからない

って言うか誤解を恐れず言えば

自我の導き出すコタエにロクなものはない。かも 笑

 

一方で

いっぽいっぽ

自分の中心に戻っていくと

そーゆーことか。が

自分のペースで分かってくる

もうこれは自分でやるっきゃない 笑

 

 

赤ちゃんはダレカに教えられたわけでもないのに

その子にとってのその時が来たら

それがその子にとって必要であればハイハイをはじめる

で、ハイハイができるのがすごいわけでもなくて

ひとりひとりが独自のタイケンをするために

このセカイに舞い降りて来ているのかもで

 

五体満足も五体不満足も

その存在の価値に

まったくのチガイはなかったと言うコト

 

私たちの能力は

そもそもアタマで理解できるところにはなかった

のかもしれないね ^^

 

 

ゆるめる

手放す

自分とつながる

 

いっぽいっぽ ^^