ギルティ? or ノットギルティ? ^^ | ロンドン発 しあわせの見つけ方

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今日も今日とて

書きたいことが次から次へと溢れてしまい

えーーーどうしよー と言う感じなのですが

最初に浮かんでいた内容で

取り合えずスタートしてみようかと思います

 

 

今日の記事は

自我主体 思考優位で生きて来た

言い換えると

タダシク

できるだけイイ人 清廉潔白で居たかった

正義感が強かった

特にその意識が自分の人生の中で一番強かった(と思う)

ある意味自分の価値観に迷いのない自信があった(スゴイなぁ 笑)20代の頃の自分には

タブン理解できないかもとも思うので

その頃の自分だったらどんな受け取り方をするだろうと言うことも

踏まえながら描いてみたいと思います

 

 

自分と向き合うと言うことをやってくると

ほんと色んな気づきが出て来て

時にそれは本当にしんどっ!(by自我)ってなる事もあるんだけど 笑

もうほとんどマニアの様に気づくことが楽しくなって来て

ふと振り返ってみたとき

 

 

やはり自分に深く入れば入るほどに

それは場合によっては麻酔なしの手術のようなものかもで 笑

準備が整ってないとショックで死んでしまうかもだし

そのフェーズに居る人にとっては

中々ひとには理解されないこともあるかもで

孤独を感じると言うひと(とき)もいる(ある)かも知れません ^^;

 

 

ちょっと角度を変えて言うと

タダシク生きる事こそ愛♪みたいな感覚でいるとき

必死にタダシサに向けて頑張ってるとき

自分の中にある確固とした正義感に従って

何の迷いもなくまっすぐと突き進んでいるとき etc.etc.etc....

(これが20代の頃のわたし)

 

 

自分の中にある アク とか ヨワサ とか イカリ とか

まぁ色々あると思いますが

総称してネガティブと呼ばれるものを

意識的であれ無意識であれ

否定する 

排除しようとする

そんな意識も働くのかもで

今思えば 今と比べると

そこには固さや緊張感のようなものが常にありました

 

 

 

これに関しては私自身

今までいくつものスモールステップのような

ちっちゃな気づきを繰り返しながら

気づけばここまで来たか。みたいな感じなので

一気にそう言うことか!ってなる人もいれば

そう言う人は自分の価値観の枠の中でもう十分行ったり来たりをし尽くして

そこにどうしてもコタエが見つからず

その枠を超える準備が整っているひと(とき)なのかも知れません

 

 

一方で

そうならない人(とき)もいる(ある)と思います

 

 

それはイイとかワルイとかではなくて

ただ

ひとりひとりにとってのベストタイミングと言うものがあって

私自身もそうでしたが

いくら何度も 同じことを聞いていたとしても

聴こうと100%真剣に耳を傾けているつもりでも

そのトキでないときには

まったく自分の中に入って来なくて

 

 

一方で

顕在意識では覚えていなくても

潜在意識の中には残るので

ある時突然

あ! そーゆーことか!!!みたいな自分の中での気づきにつながったとき

同時に

今までもいっぱい言われてたじゃん 聞いてたじゃん ^^;

みたいな

そこに堰を作って入って来ないようにしていたのは自分だった♪と言う

そしてそれもすべてカンペキだった

なぜならいきなり麻酔なしで手術をしたらショックで死んでしまうから 笑

 

 

そしてすべては自分コントだったと気づくと言うことを

今までも何度も繰り返してきました 笑

だからほんとこの視点になってくると

イイ(と言われる)ケッカも

ワルイ(と言われる)ケッカも

結局のところ

ぜんぶだいじょうぶだったじゃん、って段々と

ならざるを得なくなってくる 笑

ここも無理やり大丈夫と自分に思い込ませる必要はありません ^^

て言うか、無理やり思い込ませると言う時点で それは逆

 

 

 

でね。

今日のタイトルに戻ると

ギルティ or  ノットギルティ て言うのは

自分の中のギルティ

言い換えると

自分が自分にジャッジしていること

こんな自分で在らねばならないと決めつけて

認めていないことを

認めていく 許していく

 

 

それは

それに自分自身が気づけたとき

ソレを自分が受け入れられたとき

ちょっと前に書いた

犯罪者が時効直前に逮捕されてホッとする感覚に似てるかもだし

 

 

むかし

さんまさんの番組の最後に

ギルティって言われて バケツの水を頭から被ると言う罰ゲーム?があったけど

最後まで抵抗しても

水をかぶった瞬間 諦める 力が抜ける

ひとによっては笑っちゃう

そんな感覚にも似てるかもしれません

 

 

要は自我の抵抗がなくなる

堰が開くことによって

一時的に不快を感じたとしても

ケッカとして

コンフォートゾーンが拡がる

安心感に戻る

自由度が増す etc.etc.....

 

 

ゆるめる

手放す

自分とつながる

 

焦らずいっぽいっぽ ^^