自分とズレるって雪山で遭難してる感じ 笑 | ロンドン発 しあわせの見つけ方

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自分を好きになると、周りの人たちをもっと好きになれます。物事のとらえ方が変わると、人生が変わります。幸せ体質になれば、今よりもっと幸せに生きられます。コーチングで、周りに振り回されず自由に生きたいあなたの人生を応援します。

今日も今日とて感覚的な記事ですが

興味のある方はお付き合いいただけたら

うれしいです

 

 

私自身の最近の体験を

自分の感覚で書いてみると

昔に比べるとかなり軽くなっていると言う自覚があるものの

自分の一部分(眠りが深いとも言えるかな)がどこかまだ空回りしていると言うか

何となくのイメージとしては

轍から一気に抜け出したい

そんな感覚もある一方

んんん・・・・・

この知恵の輪ってどうやって外すの???みたいな感じだったかも

 

 

でね。そこに居るときには本人的にはわからないんだけど

自分とズレてるとき(ばしょ)って

雪山で遭難して 

場合によっては疲れ切ってうとうと眠りかけているとき

自分的には全部やってみたけどわからんみたいな

そんな感じとも言えるかもで 笑

 

 

ハッと目が覚めると動かなきゃ やらなきゃって思ったり

でもまたうとうと眠ってしまったり

自我が自力で何とかしようとするときって

そんな感じかも

 

 

そんなとき誰かが

両頬を思い切りひっぱたいて

起きろ!!みたいなことをしてくれるのは

何が起こっているかわかっている視点からは

何とも思わなかったり

愛だとわかったりするんだけど

 

 

眠りの視点(被害者的視点)自我から同じ現象を見ると

なんでひっぱたかれなきゃいけないの!?って

色んな負の感情がでることもあるかもで

これが地球上(3次元 思考のセカイ)で起こってること

とも言えるかもしれません

真逆に見える ^^

 

 

で、ここにもタダシイもマチガイもないんだけど

すごくざっくり言っちゃうと

今まで通り思考のセカイを生きていくのか

自分の感覚のセカイ 今ここの感覚に

自分のペースで戻していくのか

 

 

他人(ひと)は人の頬を叩くことはできても

それによって目を覚ますかどうか決めるのは

自分自身なのかもだし

自分と言うもの(雪山で遭難した人)に照準を合わせていくと

刺激を与えて揺さぶってくれるひと(デキゴト)もいれ(あれ)ば

冷え切った体を温めてくれるひと(救護班)もいれば

病院まで輸送してくれるひともいれば

それぞれ所属は違ったり 関連はなかったりするんだけど

当人の視点から見たとき

それらはまったく別々の事象として起こったり

まったく違った関係のないあれこれが

自分と言う視点から見たときには

カンペキに連携しているように感じたり 笑

 

 

体を温めてくれる 癒してくれる人(こと)だけが

イイコト イイ人

今までのセカイではそんな解釈の仕方もある(あった)かもだけど

ダレが ナニがって言うんじゃなくて

自分の体験しているセカイはすべて自分の投影だったとわかってくると

ひっぱたいて起こしてくれる人(の役目をしてくれている人)

冷えた体を温めてくれる人(の役目をしてくれている人)

すべてカンペキだったんだなーって

そしてそのどれもが自分の投影だったと

 

 

わかろうとするんじゃなくて

ただ何となくわかってしまう

そんな感じかもしれません

 

 

これを超簡単シンプルに言ってしまうと

自分を100%愛してあげたとき

100%愛されるセカイを体現する

よかったら昨日の拗らせ記事も見てみて ^^

 

 

 

音譜オマケ音譜

 

今日の記事に関しても

自分の頬を叩く人に関しても

何かを理解しようとか受け入れようとか

そんなことをする必要もなくて

ただ今までとは違った一つの視点として

何かどこかで参考になることがあれば使ってもいいかもだし

 

私の場合で言うと

あ、、、、って何かわかってしまうとき

それがその瞬間思考で理解できなくても

 

だからか。。。。って

子供の頃の自分の感覚とか価値観と

点と点がつながる感覚があることもあって

うまく説明することができないだけど

自分の中のいろんな感覚と相まって

腑に落ちてしまったりします

 

 

きっとこれを読んでくれているあなたの中にも

あなたにとっての腑に落ちる場所と言うか

ストンと落ちるばしょ(とき)が

ある(くる)のかも知れません

 

ゆるめる

手放す

じぶんとつながる

 

一歩一歩 ^^