今回は公認会計士×プロコーチの塙健一郎が担当です。
みなさん、理想の人物像ってありますか?
あるいは、理想とする人物っていますか?
問いかけている割に、私は正直なところ、明確にこの人物像、あるいはこの人、という理想像はもってはいません。
ただ、漠然とこういう人いいな、こうなれたら良いな、みたいなものはある程度。
そんなレベル感です。
そんな私が、なぜこんな問いを発したのか。。
先日とある方と話をしていて、「行動が曖昧なのは、言葉の定義づけが曖昧だから」、と教えていただきました。
なるほど、と思いました。
また、この話をしてくださった方は、「曖昧な言葉からは、曖昧な行動しか導き出されない」ともおっしゃっていました。
確かに、我々は言葉で物事を理解しているとすると、行動の「もと」には言葉があるとも言えそうです。
行動の「もと」である言葉が曖昧だと、行動も曖昧にしかならない。
つまり、言葉が曖昧だと、行動も曖昧にしかならない。
そして、行動が曖昧なら、行動の結果も曖昧になる可能性がとても高い・・・。
ふと、これは「言葉の定義」だけではなく、それこそ「理想の姿」や今回取り上げた「理想の人物像」に関しても同様なのかもしれない、と思いました。
さて実際、自分を振り返ってみれば、言葉の定義づけって、驚くほど曖昧です。自分が理想とする人物像と同じように。
(というよりも、きちんと定義づけしていない。曖昧なままにしている、といった方が正確かもしれません)。
例えば、「理念」って言葉一つとっても、自分がどう定義づけているのかを説明できるかというと、心許ない。
また、会話や議論の際、定義づけというほどでは無いにしても、言葉の意味を曖昧にしたまま、お互い異なった意味で捉えて会話や議論を続けていたら、なんだか筋が通らない、どこかぼやけた終わり方になるのは当然かもしれません。
(それでも、なんとなくお互い相手は自分が思ったように理解してくれた、と思い込んだりもします)。
コーチングの世界でも、「SMARTな目標設定」であったり、「ビジュアライゼーション」だったり、具体化・明確化は重要とされています。
曖昧な言葉からは曖昧な結果しか生まれない。
逆に、言葉の定義を明確にするだけで、思いのほか大きな結果が生まれる。
それに倣えば、
「理想の人物像を明確にしてみる」
そんなシンプルなことも、人生には存外、大きな変化をもたらすのかもしれません。
言葉の一つ一つ、自分が目指す何かなど、曖昧さを排除することを、今後は心掛けていければなと思っています。