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稽古日誌

稽古日誌です。

情動で全部判断するのは駄目だけど、情動を無視するのも違うといった感じで、

情動といい感じに付き合うさじ加減というのは最初はわからない物かもしれません。

全部今の好き嫌いで判断していたら、それは過去の判断基準に従って生きるという事です。

それは過去の奴隷という事であり、過去に両親や教師など周りの人から教えられた判断基準を無評価で使うという事でもあります。

かといって、情動を無視したら激務で体も心も限界になってるのにまだ動き続けて潰れてしまうなんてこともあります。

情動は緊急回避でもあるので、そのショートカットを使わないというのは危険です。

 

情動は臨場感を上げるのに重要な要素です。

過去も未来のゴールもそうです。

 

過去の情動には向き合っておく必要があります。

体の力を抜いて、その思いを味わい消化していくことです。

 

時間がかかりそうだったらまた後ででも良いですけどね。

先日苫米地手帳の使い方というテーマでレクチャーを行いました。

なかなか良い内容だったので、そのうちセミナーでも行いたいと思っています。

 

この時の内容で一番重要なのがゴールでした。

コーチングでも一番重要な物です。

ゴールは重要だけど、使い捨てというところがポイントでした。

本質的に一回しか効果が無い物がゴールです。

何が一回なのかというと、自我の変容が一回です。

 

なぜ私たちはゴール設定をするのかと言えば、現状の自分ではない、

より良い、より理想的な自分を選んで変化していくために行います。

 

すなわち一回変化したら、そのゴールはもう古い物になってしまいます。

同じように思えるゴールでも、改めて変化した自分の外側から探してくる必要があります。

 

苫米地手帳を書いて、その情景をまるで映画でも見ているかのように追体験をしていきます。

目を閉じてその光景を消化して、目を開けた時に今までに見えていなかった物が見えれば成功です。

スコトーマが外れるという事です。

スコトーマを外すことを日常にしていく、日々変化していくことを当たり前にしていくのがポイントです。

心技体という言葉がある。

語源は諸説あるようだが置いておく。

この3要素のうち心と体は同じ物である。

より正確に言えば同じ物を別の抽象度で言い表している物だ。

となれば、心と体を別物として扱うのではなく、同じ物として扱う広い抽象度にまたがって扱えるというのは、

より高度なパフォーマンスに繋がっていく。

私はこういう状態の事を心身の一致した状態と言っている。

 

さて、ここで一つ残った要素が技だ。

技と言ってもそれが示す範囲は広い。

いわゆる型も技と言えるだろうし、型には収まらないような相手との駆け引きやコツといったものも技と言えるだろう。

 

おそらくこれは型と身体の関係性で現れるものだ。

型を練習するときはまずその形を真似するところから入るだろう。

そして、型を通して、型の中に含まれた心身の操作方法や知恵を学んでいくのだ。

そして型という決められた動作から、より抽象度の高いエッセンスとしての心と体の使い方を学んだら、

今度はそのエッセンスを他の型に応用していくのだ。

 

型とは最初は、決められた正解があるパズルのような物であるが、

上達するにつれて、いくらでも正解がある(そして毎回正解が違う)知恵の輪のようになっていく。

 

こうして考えると、技とは型も含んでいるし型を通して身に着けた心身操作をも内包している概念だと思う。

そうなると、技も心と体と分けて考える事は難しくなってきた。

 

技は心と体ありきで、 技(型)を通じて心と体を学ぶのだから。