無性に幸せがこみ上げてきて、書かずにおられないエグゼクティブコーチあねごです。
無性に、というのがミソ。
決して恵まれたものじゃない。
今は、体調も悪くて、めまいと吐き気とお腹のゆるさと、正体不明の痛み。人生でこんなに体調が悪いなんてなかったほど。
環境で言えば、もともと家族もないし、伴侶もいない。もちろん、子供もない。持ち家もない。友達いない。仕事も大して尊敬されるほどのことでもない。年齢もそろそろ半世紀。容姿ももともとどうってことない。くせ毛で剛毛。顔はでかいし、身長も高いけど中途半端に。足は短く、骨ばった体で、豊満なバストもない。性格は小心者で、出不精。筆不精で整理整頓ができない。料理はするけど、人に食べさせられる料理など作れない。話題は乏しく、眠たがられるし面白くない。一対一は苦手で、話すことが見つからない。無礼な言葉をよく吐き、空気が読めない。女としてのおしとやかさは、トラウマのおかげで、育たずに半世紀。男性に望まれる女性的要素はほぼなしで、ようはポンコツ。
さて、いかがですか?
何を見て、私は自分のことを語ったのか?
ないもの、今はそこに目を向けてみた。
あるもの、には目が向かなかった。
少なくとも、今は頼りにできる友人と思っている人は数人。母親は健在で、何かと世話を焼いてくれる。事務所もあり、コーチとしての仕事もかろうじてある。1人でいる時間で身軽に動ける体力がある。コーチングが好きで、コーチングなら!何時間でもできる。料理は下手の横好き。スポーツが大好き。するのも見るのも。ライズも好き。体調は悪いけど、目は見えるし、鼻は匂いに敏感になってくれている。声も出るし、足も動く。腹筋ができるだけの筋力もある。こうして考えて書く、という力もまだある。人の話に耳を傾けることができる耳も。大事にしたい人がいるし、そういう気持ちになれている感情もある。着ていく洋服もあり、靴も。呼吸して、食べられて、とにかく消化して、排泄する。携帯もあるし、タブレットも使えている。可愛いものを見たら可愛いと感じられるし、嫌なものには嫌と言える。食べる時に美味しく感じられる舌と歯がある。人前で話すのはある一定の自分の領域のことなら臆せず話ができるぐらいの度胸はある。目はぱっちりしているので、目力はある。
どうでしょうか。
自分でも一度やってみてもらえるとわかるのですが、同じようなことを思い出しても、どこに視点を合わせるかで、結果、=心の報酬は、断然後者の方が高いのでした。
すると、実はそれらの視点は、自らコントロールすることもできるのだろうという仮説にもなる。
ないを見るのも、あるを見るのも。「選択」なのです。
ないもん!と意地を張ってもあるもので私たちは生きているのです。
だとしたら、ないものを見て嘆くより、ないものは、発見するための宿題や、私たちのお役立ちの宝庫としてみれば、どうなことが見えてくるかしら?
自分のことをどういう人だと思って信じているのか?それに対する的確な答えは、目の前にある、幾多の事実。先に書いたように、ないものベースだと、そういう風になると思います。
心の報酬とは、自分に対して満足だ、条件なしでいい切れること。
だとしたら、皆さんには、いまいるその場で、どの視点で彼らと接触していきたいか?
そこは、最低限、貴方だけの視点でものを見る危険を示唆しておきたい。そう思います。
