プリンスロス出て、追悼のために、アルバム聴きまくっていますエグゼクティブコーチあねごです。





ベスト盤もダウンロードしていたから、今はそれを流しています。訃報に驚きは隠せず。「flu」で体調を崩していたとのことでしたので、「風邪は万病のもと」を肝に銘じたいですね。



やはり、一番耳慣れしている「puple rain」がヘビロテになる予想。




ファンクとロックの絶妙なアレンジング。ジェームスブラウンのアクの強さも綺麗にまとめる。音作りは全て一人でやりきるほどのこだわりと、他者を寄せ付けない世界観を展開しているプリンス。あー、本当に惜しい。私個人としては、大物アーティストの訃報の中で、一番ショックです。今年初めに亡くなった方や数年前にこの世を去った世界的スーパースターなんかよりも。






で、セッション3
2003年6月2日リリース



『Session3

コーチを始めると、営業をしなければなりません。営業ではないかもしれませんが、自分を買ってもらわなくては何も始まりません。「コーチです」と言えるようにならなければならない。
コーチングを始める前は、企業に勤めていました。営業職ではなかったので、「クライアントを獲得する」ことを自分で生まれて初めてやり始めました。
  でも、営業ってやったことなし。人に会って何話して良いのか。どう接して良いのか。どう思われるのか。変に思われたらどうしよう。男の人に馬鹿にされる。。名刺交換することさえ、恐ろしかった。わからないこと不安なことだらけでした。
いろいろと考えたのですが、ようは、人に断られるのが恐かったんですね。そしてもう一つは、会社というものに守られていたところから、何もない「私」というちっぽけな存在になり、他人に相手にしてもらえていたのは、会社という看板や枠組みに、私自身が大きく依存していました。こんな何も肩書きも看板もない私なんかの話なんて聞いてくれるわけない。と。
その時の心理状態としても、孤独と社会的接点がなかったこともあり、他人も自分も信じられない時期でした。それも相まって、名刺交換するのさえ、恐ろしくて「コーチをやり始めたところで。。。」など、尻込み、腰引けしてビビりまくってました。
今では全く感じませんが。

コーチングを勉強し始めて1年ほど経っていましたが、いろんな人にコーチングの話をすることが恐かった私でした。心の状態もダメダメモードだったので、その壁をなかなかブレイクできなかった。でも状況は切迫。前に進むしかない。。ああ、どうしよう…

コーチとのセッションでは、「やってみるしかない」そういう結論に達しました。
具体的な行動として「異業種交流会に出てみる」「昔の友人に会う。」「行く前に話することを練習する」など。
  でも、やってみるけどうまくいかない。ましてやコーチングの話など到底できないでいました。
そんな時、「名刺ゲームをやってみないか?」とコーチから提案がありました。
名刺ゲーム。一ヶ月で何枚名刺を集められるか。まずは集められるだけ。それだけに集中する。名刺を交換してくるだけで、とにかく何を話すかとか、どういうことを伝えるとかより、まずは自分の名刺を渡して相手の名刺をもらってコレクションすること。1月目はそんな感じ。二月目は、月100枚集める。それを三ヶ月継続しました。おかげで、次第に人と会うことも、名刺をいただくこともちょっとづつ楽になってきました。
  それから、数値設定も効果的でした。目標が100枚/月。そのうちにブワロスペクトになるのは20枚/月。打率は2割。これを行動基準にして動きを決めていきました。「2割バッターあねご」としていろんなところで役立ちました。
  どこに焦点を当てるか。ベビーステップ。数値化。とても効果がありました。
それから、一番の収穫は、等身大で行動したこと。この大切さは、のちに良いかたちで帰ってきました。

以上
June 2 2003』


これは、本当に私がコーチとして独り立ちする時に欠かせないプロセスでした。この次のステップもあり、そこを基準に今も営業のようなものを組み立てています。コーチングが創成期だったのもあり。説明してもわかってもらえなかったり、ネットワークビジネスと言われたり。営業自体も初めてで、心もカチカチに固まって、失敗や不安ばかりの渦まく状態でしたから、進み方も遅かったと思います。コーチは仕事とはいえ、正面から向き合ってくださり、一つ一つ階段を上ることができました。


コーチングは、やはり変化の時や自分の不得意領域に足を踏み込む時などには、大きく貢献するなぁと、改めて思いました。



さて、あしたもがんばろーっと。




今日も最後までもさ読んでくださってありがとうございました。心からの感謝と愛を込めて。