今日は自分のエッジに立って、超えて、もやもやしたエグゼクティブコーチあねごです。
「エッジ」マイブームっす。昨日のブログにも書いたある種の抵抗感。自分の日常、このまま続けるとこうなるであろう予定調和。
先週の三日間は、コーチ自身も、自分のエッジを見て、ともにいる時間。
そのエッジを感じるための問い。
私らしくないものとは?
どんな人間でないか?
私は「どっぷりがっつり入り込む」という事が、私らしくない、または、私の中にある夢中になったり、感情的になる事。
私はとてもエモーショナルな人間。でも、反面、すご~く冷たくドライな部分がある。自分でも、本当に温かい血が流れているとは思えないほどの冷たさを自分の中に感じる事がある。
その冷たさは、時として情熱に、心のままに動く事へのブレーキ役となるのです。
私の課題なの。心のままに動く。理屈ぬきで思うがままに振る舞う。動く。話す。叫ぶ?(^○^)伝える。
初日に、軽く「私はどんな人間で、どんな人間でないか」をつらつらとペアで話していて、出てきた。軽く「ま、こんな感じかなあ~♪(´ε` )的に書き出した。
時間が経つにつれ、なんか知らんけど、書いたものと、ともにいられない。
どっぷり入り込んだりするのが、実は人生の宿題で、毎回肝心なところで、神様はお題を出し、今のところ全て落第{(-_-)}なのでした。
それが、コーチとしても、「エッジ」なんだとしたら、エッジを超える体験は、人生の宿題をクリアするほどの大事(おおごと)。
1日目を終わって、夜、知り合いとの食事でも、なんとなく居心地が悪くて、自分との居心地も悪かった。
今回のシステムコーチングでも、組織変革でも、クライアントに新たな変革の場所へ誘うのがコーチ。要は彼らにエッジを超えろ、エッジの向こう側に行こうとコーチするわけですよ。
そのコーチが、エッジ超えてないんか?って、やっぱりまずいっしょ。
でも、私には、越えられない。本当に恐ろしい。怖い。尻込みしまくり。
で、悩んだ。これが私の中の大きな葛藤でした。ここでめちゃくちゃストレスフルでした。第1番目の葛藤。
越えられない、でも、コーチしたい。続けたい。エッジを超えたい。。。。
でも無理。。。。。。_| ̄|○
思考停止になった矢先の出来事でした。
2日目の午前中は、まさにエッジを超えるワークをする時間でした。いろんな場面から想定して、モールプレイやただのディスカッションを数多くやった。
葛藤しながらも、午前中のワークの時間の中で、大きな気づきがあった。
午前中は、ある手法を教えてもらい、それを使っての葛藤は対処方をお互いにやっていくものでした。ら
そのワーク自体ではなく、その技法をやる上で共通の考え方を紹介していただいた。
そこに答えがあったのだと。
その言葉とは、
「今を明らかにすれば、自然とシステムは動き始める」
でした。
今、って、つかみどころがないでしょ。今だってそう。
その今、何が起きているかを、その時間の中での区切りを見たときに、何が起こってるんだろうと明らかにした瞬間に、その場のエネルギーが、システム自身が内包していただいたエッジを超える事ができるのだと。
現状を見て、明らかにしていく事でエッジを超える体験が。
ただ、現実を明らかにして、「見て」「止める」認める。んです。
そこで、はたと気がつきました。
私はエッジを「越えよう」としていた。「越えようとする」という事は、克服するとか、気にならなくなる、とか、もうこの世から私のエッジがなくなったら、と思ってました。
ところがどっこい。
「見て」「止める」だけか?それだけでええんか?
とすると、私が勝手にハードルあげてただけやん!って結論になりました。
あー、私、相手にどっぷりがっつり関わりが苦手なんだ。そーなんや~感情の赴くままにが苦手なんや~そうか~
で、まずはいいんだ。
その事が目の前にやってきても、動じるのではなくて、あー、そーなんですよー。と言ってみたい。
私らしくないものとともにいた三日間。
私らしくないとはいえ、それもひとつの私といて、「見て」「止める」=認める、でええんや。
三日間の葛藤の中でも、大きなお題であったからこそ、気づきも大きかったです。
エッジを超える、という私の捉え方=乗り越える、頂上に行って、その先にある見晴らしのいい景色が見える。心の中で何かが起こり、乗り越えたりする、登山のようなものだと、考えてました。登り、克服するとかね。
そうじゃない方法もある。
ただあるがままに審らかにするだけやん。
私はどんな人で、どんな人でないか?から始まった。そこには、新しい解決法を一つ学んだ。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。心からの感謝と愛を込めて。