目論見が外れてしまうことになったのですが、実は天の配剤だったなと思うエグゼクティブコーチあねごです。





世界は「対」でバランスがとれている。



たとえば


男 女
表 裏
陽 陰
白 黒
上 下




今日のコーチングで、上司との関係性についてがテーマでした。





いつも怒られるんです。その言葉に、傷ついているんです。とおっしゃる。




怒る 怒られる
傷つける 傷つけられる




これも「対」なんです。





さて、これはどっちがどうなんだって話になりました。




僕は何にもしていないのに、怒られるんです。
私は何もしていないのに、傷つけられるんです。





いや、まてよ。世の中「対」なのですから、こっちがいなければ、そっちもない。





大体の論法は、「怒る相手が怒らなければいいんです」という。「傷つける人がそんな言葉を言わなければいいんです」という。たしかにそうです。





もうひとつの考え方、そもそも「怒られる人だ」と思っているから、「怒られる」んだということ。そもそも「傷つく人」をやっている(意識無意識関係なく)から「傷つく」ということ。





対ということは、双方が存在するから成り立ちます。



今回は、相手に焦点を当てず、自分に焦点をあえて当ててみた。






怒られると「捉える」から「怒られる」と感じる。または、「自分は目上の人から注意される時には相手は怒っている」という習慣化した捉え方があって、何かそのような現象が起こると「怒られた」と感じ、また相手のちょっとした言葉で「傷ついた」と思ってしまう。






対だから「怒る」という前に「怒られる」という捉え方で構えるとどうなるか?相手は、ちょっと注意しようと思っていたのに、相手から思わぬ激しい抵抗にあい、思いのほか「なんでそうなるの?」と聞きたくなる。で、「なんでそんな言い方になるんだ!」というと、また「怒られた」モードの人は「なんでそんなにきつい言い方をするんですか!!」とそのサイクルが強化されてしまう。






捉え方って、そのサイクルを止めて、変えたい。





今日のセッションでうまくいったこと。ある質問をしてみました。




「同じことをしていて、結果が違う状況になった人ってどんな人でしたか?」と。





私的には、「この捉え方は間違っていないと信じ込んでいるクライアント。そういう人はいません!と感情的に返ってくるかな???どうかな???」と思っていたら、なんと、別の結果になった人もいるというではありませんか!!!





もうちょっと突っ込んで「その人ってどんなことをやっていたんですか?」と聞くと、本当にまさかそれやる??????っていう行動に出ていました。





更に「もしこれってあなたがやるとしたらどういう結果になりそうですか?」と問うてみました。すると





「えええええ、ありえんです。絶対にありえんです。そんなこと。」と。「でも、あなたの望む結果になっているのですが?その点についてはいかがですか?」と聞いてみました。





すると「そんなことしたら、◎◎(役職の名前)として恥ずかしいし、普通じゃあそんなことやったら◎◎ではいられませんよ!!!」と逆切れ気味。






なるほど。





セッションでの話の結果の気づきを最後に聞いてみたら「絶対あり得んということって、自分では考えられなかったですけど、もしかしたらそうではないにせよ、違うやり方と捉え方があるように思いました。」とまとめておられました。





個人的に同じようなケースがあった時、「対」から脱することを考えてみるようにしています。クライアントの枠組みが「怒られる」「怒る」という相対性の中に課題があるとした時、相対しない第3の視点を提供する質問が、相手の行動の幅を広げ、成果につながる行動を紡ぎだすことになるなあと実感しました。




そして、考え方の枠は広がったけれども、行動の妨げになっているのは、やっぱり「周りからの目を気にする自分」であったり、「プライドと呼ばれる対面を失うことへの恐れ」のようなものが立ちはだかっていたように感じました。




それについての気づきがあったことは大きな成果だと思いました。





対からの脱出って、難しいけど、面白い。その場に立ち会えたことに感謝。






今日も最後まで読んで下さってありがとうございました。心からの感謝と愛をこめて。