法要の時には飲めなかったので、お家に帰ってからビールを飲んだら、気づいたら夜だったということで損した気分のコーチあねごです。



今日の法要での和尚さんのお話。よかったです。




うちは、真言宗、真言密教とも言いますね。




だからね、法要って、なんかね、密教っていうぐらいなので、お経をあげるだけではなくって、ちょっとだけ儀式?って感じもするんですよ。





長い棒をもって、何かしらオイルのようなものを混ぜる。おっさんは唸りながら混ぜる。その棒で空を切る。なんかの文字を書いているようにも見える。



そういう儀式を終えて、お経を唱える。ちょっとそういう儀式的な感じがあって、ウキウキした法要の時間。






そういう儀式が、どうして法要になるの?よくわかりません。正直。真言宗の知識もありませんし、宗教のことなど、よくわからない。




でもね、私はとても大切なことだと思っています。





なんか知らんけど、ここにいられることは、彼らの命があったからですよね。そして、それにはほかのさまざまな出来事すべてがなければ、ありえなかったのですよね。こうして今生きていられることはありがたいと思います。




ここに至るまでのすべてを思い出したり、有難いことについて考えたりするのも、今をどう生きるか、どう過ごすかを考える時に、ちょっとしたよい影響を与えてもらうことになるなあと、思います。





今日は、父の友人も同席いただきました。父と中学からの同級生だった方。月詣りにも2か月に1度はうちに来て下さって、時間を過ごして下さる。父の話をするのではなく、日頃からどんなことがあるのかというよもやま話をして、過ごして帰る。





父がいる時には、全く知らんかった。父が亡くなってからです。





知ら「なかった」父の幼馴染がいたこと。でも、月詣りに来て下さる縁があった。





うーん、何があるかわからんね~ほんとに。何が起こるかわからへん。





全部を理解しようと考えて、そんなこんなを夜になって考えたりしていたら、頭爆発しそうになって、ふと思った。人知を超えることがあるから、もう思い悩むことなく、今大切に生きよって。そうならず、思い悩むことが趣味みたいな私なので、また、そっちに振り、深刻にどんより暗ーいネガティブになるんだろうと思うけどね(^_-)-☆はは~





今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。心からの感謝と愛をこめて。














大好きな人と気持ちが通じ合うといいなあと思いながら過ごしてきたけども、そうは問屋が卸さなかった。相手には相手の都合があるしね。それって、しかたのないこと。それも、これらの流れの一つなんだろうと思うと、そうして暖かい気持ちを感じられる実在の人物がいるだけで、いいなあって思う。それもさ、この年でね(≧◇≦)元気で過ごしている様子であれば、それが一番だなって思うようになりました。もう、自分とどうなる!とか、うまくいくために、どうこう、とも、思うことも少なくなりました。とはいえ、ね、そりゃね、私もね、程度の低~い人間ですから、煩悩まるけやから。そんなきれいごとだけじゃないですよ~だからと言ってね、どうなるものでもない。自分の気持ちだってどうにもならんのに、人にそれを求めたりなんて、もう、無理やん!ですわ。恋愛についての話だけじゃなくね。人とのかかわりなんてそんなことばかり。ようは仕方ないことで、深刻に悩むことをやめ。こんな当たり前のことが、原落ちするのに、云十年かかったわよ。もうアホですわ。あほあほです。ってなことで、コーチあねご、改め、サレンダ~あねご(^^♪とでも名乗ろうかな、と。ほほほ。